「お金のかからない趣味はない」の主張に思っていたこと、思うこと
人生は、面白い。
35年近く生きているが、心の底からこう思えたことはないように思う。
決して病んでいるわけではなく、面白いことはたくさんあるし、楽しみにしていることも、やりたいことも山ほどある。それこそ、残りのわからない寿命で足りるのか自信がないほどに。
ではなぜ、人生を面白いと思えたことがないのかといえば、自分がまだ人生を語るに足るだけの経験を積んでいないと感じるのである。
過ぎなければ全盛期がはかれないのと同じように、終わりにならなければ語れないのが人生なのではなかろうか。
推しは我が人生
トークアプリのLINEで、あるスタンプを購入した。友人とのやり取りを目的に購入したもので、「推しは我が人生」の台詞が含まれる。
これを目にしたとき、腑に落ちる感覚があった。まだ人生を語ることはできないものの、生き甲斐であり、生きる目標である推しは間違いなく筆者の人生を構成する重要なものだ。何物にも代えがたい。
マイブーム
筆者はミーハーだ。世間を知らないため、そこら中に新しいことは溢れており、興味の対象は目まぐるしく移ろう。
ただ、沢山の対象から自然と選抜が行われ、一定期間は同じ物に没頭する。
いまアツいのは、ミニチュア。
厳密には少し異なるような気もするが、素人考えに基づくものと大目に見ていただきたい。
きっかけは、ガチャガチャだ。
リカちゃん用の靴が景品のガチャがあり、どれが出ても推しに似合うだろうと回した際、他の商品に度肝を抜かれる。
食玩やマスコット、組み立て式のフィギュアにとどまらず、実在するコスメやスイーツ、実際に使える手洗い場のミニチュアまで出ている。
現金を持ち歩かぬようになってから10年近く、ガチャガチャコーナーから足が遠のいている間に、このような進化を遂げたのかと驚くばかりであった。まるで浦島太郎である。
お金のかからない趣味は趣味じゃない
数年前、某番組で道行く人に趣味を尋ねるシーンがあった。
場所は秋葉原。いわゆる「オタク」と呼ばれる人種が多数応じ、時折課金総額を交えながら進んでいく。
その中の一コマが、「お金のかからない趣味は趣味じゃない」である。
発言者は鉄道模型に夢中な男性で、総額100万円超をかけ、自宅にジオラマを設定しているとのこと。これに対し、インタビュアーが感嘆したところに当該名言が飛び出したわけだが、当時の筆者には遠く及ばぬ世界だと感じた。
しかし、ふと自室を見渡し、推しグッズにかけた金額を考えてみると、自分なりに課金している気はする。推しに無関心な人に対し、同額を課金できるかと聞けば、即答で「ノー」と答えるだろう。
そうなると、及ばぬと感じた世界に、知らぬ間に足を踏み入れているのかもしれない。
全ての人が趣味にお金を費やすわけではなかろうが、少なくとも「時間」というコストはかけているはずなので、筆者が同様の主張をするのなら、「コストのかからない趣味はない」になるだろうか。
こうして下らぬ思考に時間を割いている今も、もしかすると趣味の時間なのかもしれない。