GQuuuuuuXと今また積み重なる黒歴史
公開三日目にして『機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-』を観劇したが、感想をあげている人がろくにいない故ここに筆を取ることとする。
感想として最初に浮かび上がった言葉は、また一つ黒歴史が積み重なったというものであった。
機動戦士ガンダムという作品は直接の続編だけでなく、これまでも世界観や設定、そして解釈を変えて続けられてきたコンテンツであるが、それらは皆黒歴史として正暦へと収斂し、また繰り返し紡がれ続いていくのだという。
本作、機動戦士Gundam GQuuuuuuXもその収斂していく物語の一つになるのだが、描写の一つ一つは作品が生まれてから46年の考察や研究の一つの区切りと言ったものとなっている。ガンダムを始めとするロボットのデザインは今様の宇宙服を発展させた重機という体になり、武器のディティールもギミックを意識したものになってはいるものの、それが従来作同様に人間さながらの動きでロボットプロレスを繰り広げる姿は圧巻である。
クランバトルは頭部を破壊された者が失格になるというGガンダム さながらのルールであり、整備するシーンで難儀していないのは00から続くガンダムを構成する部品は基幹システムを除いては形状以外特別なものを使っていないという設定の継続なのだろう。
また、ガンダムは搭乗者にしばしば資格を要求するが、本作はまさしく選定の剣を引き抜くべくして引き抜いたと言える非常にオーソドックスなものとなっている。葬送のフリーレンの様に選定の剣を抜かずとも一つの物語を大団円に導いたものもありはするけれども、ジークアクスは自ら選んだ主人と共に、なにがしかを解決する為宇宙を駆けるのだ。
そして、本作は多分ボーイミーツガール、もといガールミーツボーイの物語であるのだろう。主人公であるマチュがガンダムを駆る少年と出会い仲間になるシーンはその関係性の帰結がどうなるにせよ選定の剣と共に物語を動かしていく予感があった。ガンダム における異性の接種は悲恋に終わることも多いが、それ故にガロードとティファの様な穏やかな結末を迎えることを望んでやまない。
さて、本作に対する感想として、初見の人間にわかりづらいというものと、大風呂敷を広げているというものがあった。僕はどちらにも深く共感する。
最初から多くの人物が顔見せをする為少々人間関係がゴチャついているというのは否めないし、本作は選定の剣とガールミーツボーイという非常にわかりやすい物語の軸を持っている以上に世界観の根底に大きな謎を抱えているからだ。物語を重ねるうちにマチュが周囲の人と共にどう謎へと立ち向かっていくのかこそ、このこの物語の魅力になると僕は信じている。
ガンダムという物語はいくつもの枝分かれと繰り返しを持っている。初代一つとってもアニメ版と映画版と小説版とサンダーボルトとは違うし、それはきっとBANDAIや講談社やKADOKAWAの商業主義や作り手やファンの身勝手だけでなく、本歌取りが劣化コピーだとそしられようともその様に歴史が紡がれるのがガンダムの世界の黒歴史なのだろう。リギルドセンチュリーがやがて正暦になりまたいつの日かリギルドセンチュリーへと続いていく様にこの『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』もきっと誰かの為に広げられたより良い明日の為の黒歴史になります様に