君のiPodのプレイリストにまた恋をする。
それはたまたま入った100円ローソンでようやく見つけ出すことができた。
ようやく見つけ出したというが、別に急いで探していたわけではない。見つけたのはiPhone初期世代やiPodに使われていた横長の古い充電器。最近ではほぼ姿を消した代物だったのでほとんど期待もなく諦めていたが、たまたま仕事帰りに寄ったコンビニで残り1個の充電器口を発見した。その充電器と夜ご飯のカップ麺を買って、帰路に着く。
どうしてこんなものが欲しかったのかというと家にあるiPod pianoの充電をしたかったからだ。iPod pianoは当時5GBや15GBしかないiPodの容量に対し、200GBの音楽データ容量を収録できる音楽好きには嬉しい音楽プレイヤーだった。ゴツゴツとした図体で普通のiPodよりも重厚感と銀色のボディが特徴的だった。
このiPod pianoにはTSUTAYAでレンタルしたCDを大量に詰め込んで、一曲一曲味わうように音楽を耳で楽しむのが好きだった。
イヤホンジャックを挿すのが本当に楽しみで、学校や仕事終わりの帰り道で少し遠回りしてでも歩きながら音楽を聴くことに没頭していた。そんな思い出詰まったiPodだが、スマホの進化につれてあまり使わなくなり充電器をなくしてからは、そのiPod pianoの存在すら忘れてしまっていた。
先日、大掃除をしていると延長コードをまとめた袋からドジっと地面に鈍い音を立てて転がり落ちるコイツがいた。久しぶりのご対面に思わず「あっ」と声が出た。
あんなにお世話になったのにまったくもって記憶の外にあった思い出が急激にフラッシュバックして脳内にインストールされる。
断片的な記憶しかないが、確かにこのiPodには私の青春が詰まっていて、まるでタイムカプセルを発見したかのような気分だった。
一体当時はどんな音楽やプレイリスト、はたまた星評価をつけていたのかがまったく思い出せない。このiPodを充電できる古い型の充電器さえあれば。そう思っていたもののそのコンビニで発見するまでに2ヶ月は時間が経っていた。
意外と人間というものは過去を振り返らない生き物だなとあらためて思ったが、帰り道の歩くペースがいつもより早く感じる。
その充電器を見つけたことが、内心宝箱の鍵を発見した冒険家の足取りをしていたのかもしれない。
帰り着くとティファールでお湯を温めながらカップ麺の準備をする。お湯が温まる前に充電器でiPod pianoを充電を数年ぶりに行った。電池マークが赤く点滅し、息を吹き返したかのように小さな画面が明るく光る。
電池マークが緑に変わらないものかとカップ麺をすすりながら待つこと30分。ある程度の充電を確認して数年ぶりに起動したところ、特に問題なくデータの損傷も見られない。
完全復活だ。
私は心の中でカズダンスを舞って見せた。
さっそく当時の音楽たちをのぞいてみよう。
私はiPodの丸い部分を沿って左回転させカーソルを上にずらし、プレイリストを開いた。
その中の「トップ25」を選択することで当時たくさん聴いていたレギュラーメンバーと対面することができるのだ。
一番聴いていた音楽はHIGHWAY61の「サヨナラの名場面」。当時、中島みゆきの「ファイト」のパクリ疑惑により著作権侵害でCDが世の中から消えた名曲だ。この曲を初めて聴いたのは8年も前の出会いだが、HIGHWAY61の力強い言葉とファイトに似たメロディに勇気づけられ、励まされたのを覚えている。そのほかにandymoriの「シンガー」。雨先案内人の「あるこうぜ」。THE CHERRY COKE$の「PALE YELL」。THEラブ人間の「砂男」。CASCADE「SURVIVOR」。井乃頭蓄音団の「帰れなくなるじゃないか」など、我ながらかなりマニアックなオールスターが揃いに揃っている。そんな音楽たちと久しぶりの再会を果たしながらプレイリストを眺めていると「彼女のおすすめ」というものを発見した。
それは専門学生時代にお付き合いをしていた、フラワーコーディネートを勉強中の彼女だった。クシャクシャの天然パーマ。平野ノラ似の顔が特徴で、少し突き出た顎に濃いめのアイライン。ジャラジャラのネックレスが部族の長のようで彼氏として恥ずかしくて。ショートパンツからスラッと長く伸びた脚がエロティックで魅力的な女性だった。
そんな彼女とは専門学校のイベントをきっかけに仲良くなり、彼女に告白される形で付き合い始めた。彼女とはわりと食や映画、旅行好きなど共通点は多く、楽しい1年を過ごしたが、彼女は地元福岡で就職。私は上京をきっかけにお別れすることになった。
そんな彼女との思い出は楽しいものよりもむしろちょっとした喧嘩のほうがよく覚えている。喧嘩の内容は主にドライブデート中のBGMをどっちの音楽プレイヤーから流すかということだ。彼女とはほとんどウマがあったが、唯一理解できなかったのが、音楽の趣味だった。
私はどちらかというと邦楽の日本語ロックインディーズバンドが好きだったのだが、彼女は邦楽は邦楽でも、HIPHOPや英語ロックインディーズバンドなどまったくもって理解ができなかった。当時、音楽を聴くことや新しい邦楽バンドと出会うことに全力を尽くしていた私にとって興味のないジャンルは心に響かないものとして淘汰していた。
よくドライブの時は喧嘩しながら主張をぶつけておすすめの音楽を互いに紹介し合っていたものだ。記憶は定かではないが、そんな日々を過ごしていく中でお互いのiPodや音楽プレイヤーに厳選したおすすめ曲のプレイリストを作って入れておいた気がする。
久しぶりに「彼女のおすすめ」を開いてみる。
選曲は、ANARCHYの「Fate」。般若の「LIFE」。Pay money To my painの「Pictures」。RIZEの「ZERO」。RHYMESTERの「ONCE AGAIN」など横文字が並んでいる曲が多い。当時は歌詞やメロディに趣きをおいていた私にとってRAPや英語の歌詞はまったく刺さらずいた。
それでも彼女の人間性を改めて確認するようにそのプレイリストを再生してみた。
不思議だったのは当時あれほど嫌っていたジャンルの音楽を受け入れている自分がいる。RAPの言葉匠な歌詞と韻を踏む時の耳心地の良さ。歌詞を意味のあるものよりは「音」として楽しむこと。
いまなら彼女のことを理解できる。
かもしれないとそう思った。
彼女のことは好きだった。
好きだったのに何故か充実しないものは正直あった。私の音楽を理解してくれない彼女に対してどんなに趣味趣向が合おうとも、心から好きになれなかったのかもしれない。
それに対して彼女はどう思っていたのだろう。
彼女はまだ私が厳選したプレイリストをまだ残しているのだろうか。
相手のおすすめ曲をプレイリストに入れる事を提案したのは彼女からだった。
彼女のその行動は当時理解できなかったけど、今なら少しわかる気がする。
別れてしまった彼女がどんな気持ちでこの曲をお薦めしてくれたのか今になってこんなに気になり始めるとは思いもしなかった。
なんであの時あの瞬間にもっと彼女の音楽を知ろうとしなかったのだろうか。
今になってこんなに熱を帯び、ジワジワと燃え始めるなんて。ついついLINEで彼女の名前を探してしまう。
彼女のプロフィール画像は相変わらず藤の花のままだった。藤の花言葉には「歓迎する」や「決して離れない」というもの以外にも「恋に酔う」という意味がある。
まさに今の私は彼女に夢中だった。
思い出を取り戻したiPodを強く握りしめ、彼女へのメッセージを打つ指先が震える。
もしかしたら返信はないかもしれない。
もしかしたら覚えてすらいないかもしれない。
もしかしたら彼女に聴くことで後悔するかもしれない。そうだとしても。
それがもう終わった恋だとしても。
この気持ちを抑えて後悔をしたくはなかった。
「彼女のおすすめ」のプレイリストをリピート再生しながら、眠れない夜を過ごすのであった。