ひいじいちゃんとばあちゃん
既に亡くなってしまっているんだけれども、たまに思い出しちゃうひいじいちゃん。コロナ禍で全く会えなくなってしまったひいばあちゃん。
どっちも会えてないからか、私の中で二人とも元気なままです。ひいじいちゃんなんて亡くなった実感が未だにない。どこかにいる気がしてしまう…。お葬式行ったしお顔も見たのに不思議。
ひいじいちゃん、よく私に寄って来る蚊を手ぬぐいで払ってくれてたなぁ。ひいばあちゃんは手ぶるぶるさせながら、ミカンとかお芋とか、あとご飯作ってタッパーで持たせてくれてたなぁ。
二人とも戦争の時代を経験しています。話してくれることは少なかったけど。いっつも同じ話してくるし、ずっと構ってくるしで当時はちょっと嫌だなあなんて思ったりしてたけど。
今会えるなら同じ話何回されてでも、もっとお話ししたい。
私はまだ20年と少ししか生きていないけど、二人が生きた・生きてるその想像もつかないくらい長い人生で、何がどうだったとかたくさん聞きたい。
亡くなる前、ひいじいちゃんは認知になった。
まだコロナ禍になる前だったから、デイサービスに顔を出せたんだけど、認知になったひいじいちゃんと初めて会ったときの、衝撃が今でも忘れられなくて。
家族では私が長女の一番っ子だったから、それはもう生まれたときからすごくすごく可愛がってもらったとかいう話は母親からよく聞かされたり、写真見せてもらってたりした。
そんなに可愛がってくれてた、色んな所に連れてってくれた、嫌がるくらい構ってくれてたのに、顔見せても名前教えても分かってもらえなかった。
あそこのおうちの長女の〇〇だよってひいばあちゃんが説明したら、「あ~!」ってやっと嬉しそうにしてくれる。でも、ごめんねって謝られる。
覚えていたくても、覚えていられない。
どっちもしんどいよね。
どんどん順番回ってくるって考えるのもしんどい。
でも、だからこそ大事にしないと!って思うのかも。大学で家族と離れることになって、存在の大きさとか偉大さとか思い知らされた。
特にお母さんってすごくない?
まぁお母さんになることとかはまた別で書きたいとして、、、
ひいばあちゃん、面会行きたいなあ。元気でいてほしい。
ひいじいばあちゃんたちだけじゃなくて、帰省した時すぐ会えるじいちゃんばあちゃん、なんなら親とかも同じことだよね。
おばあちゃんは、ちらっと昔モテモテだったエピソード聞いたことがあるから、もっと聞いてみたいな(笑)
というわけでかなり久しぶりのnote投稿になってしまい…三日坊主ですらないことに自分でも情けなさを感じまする…。
けど読んでもらうってよりかは、ふと考えたこととかを残せる場所にしたいなって思うから、これからも時間と気分で気ままに更新しよう(笑)