インスタ映えが生み出した悲劇
インスタ映えという概念・ワードの陳腐化が止まらない。
最近では、道端に落ちているゴミにさえ「インスタ映えじゃ〜ん(笑)」と言うギャルもよく見かける。
このようにインスタ映えが陳腐なワードと化したのはインスタ映えすることが正義で、映えないものは悪。といったような昨今のマーケティングに原因があるのではないかと考えられる。
街を歩けば、メディアを見れば、なんでもかんでもインスタ映え。
そんな社会が生み出してしまったのが、例えばスイーツの写真を撮るだけで、スイーツには手をつけずに帰るような都市伝説級ギャルであったり、テーマパークで禁止行為を犯してまで映える写真を撮ってしまうようなギャルなのではないだろうか。
つまり、我々はそのような行為を犯してしまったギャル達を一方的に責めることはできない。なぜなら、彼女たちは我々社会が生み出してしまった悲劇のヒロインであるからだ。
しかし、そんな哀れな彼女たちを無慈悲なインターネットの住人たちはひたすら叩く。それが社会が生み出したものであるとも知らずに。
一方、ギャル達はインターネットの住人たちより高度な知的生命体である。そのため、自分及び、自らの行為が社会によって誘発されたものであると悟る。
「先に、インスタ映えイイ感じにしたのはそっち(社会)だし!マジ卍」
こうして、彼女たちは自暴自棄に走る。
つまり、今まで絶対的なものだと信仰していたインスタ映えという概念を空虚で無価値なものであると捉え始めるのだ。価値の逆転である。
結果生み出されたのが、道端に落ちているゴミに対して「インスタ映えじゃ〜ん」と言うようなギャルである。こうしてインスタ映えという概念・ワードは一気に陳腐なものと化した。
今度街でギャルを見かけたらその目を覗いてみてほしい、その派手な見た目とは裏腹に彼女たちの目は暗く、冷めているはずだ。