感想:映画『ハッピー・オールド・イヤー』 写真によってつくられる記憶

【製作:タイ 2019年公開】

インテリアデザイナーのジーンは、ミニマリズムに影響され、自宅をオフィスに改装するにあたって「断捨離」を始める。
最初はすべての荷物を一挙に処分しようとするものの、友人ピンクから贈られたCDを本人の眼前で捨てようとして嗜められたことなどから、誰かからもらったものについては相手に返却するというように、段階を踏んで整理を行う方法に切り替える。
留学時に一方的に関係を絶った元恋人エムのフィルムや、離婚して家を出た父親が弾いていたピアノの処分を通して、ジーンは自身の築いた人間関係やその記憶と向き合っていく。

本作は、モノに付随する記憶や他者との関係を主題にした作品だ。
制作当時に注目を集めていた"こんまり"こと近藤麻理恵の片付けメソッドが取り上げられ、荷物の整理の重要性を認めるものの、「ときめく」か否かで処分を即決する姿勢(これは人間関係の整理への態度ともパラレルである)の独善性への批判が行われる。
また、この作品では写真が重要な役割を果たす。写真を人が見て、撮影時を思い起こすことによって生じる効果について考えたい。

本作では、写真の断片性と、「かつて存在した状況の痕跡」としての側面がクロースアップされる。
作品の序盤で、ジーンが写真集の必要なページのみをスマートフォンのカメラで撮影することが表すように、写真は一貫した文脈からある場面のみを切り取る機能を持つ。
写真そのものは撮影された瞬間の光景を捉えたモノであり、それ以上の意味は持たないが、人は写真を見て当時の出来事を想起し、写真に意味を付与していく。
撮影から時間が経ち、被写体になんらかの変化が起こることで、当初の撮影意図を大きく超えた重層的な意味が写真に付随する場合もある。

結婚を控えたジーンの同窓生カップルが、ふたりが初めて同じフレームに収まった写真を求めるのはその一例だ。
不意に撮られたその1枚は、ポーズや構図にもこだわりがなく、ふたりが被写体に選ばれたことにも特別な意図はない。
しかし、その後、両者が付き合っては別れを繰り返し、結婚を決めたという経緯が付随することで、この写真は「ふたりの関係の起点」という新たな意味を獲得する。
写真においてこのふたりの間に距離が空いているのは、「カメラを向けられた際に座っていた場所にたまたま距離があったから」だが、カップルの歴史という文脈を伴うことで、「まだ互いをよく知らず、意識していないことの表れ」という読み方が追加される。

こうした意味の付随は、ネガティブな効果をもたらすこともある。
ジーンは整理の過程で、彼女が幼い頃の家族の様子を捉えた写真を見つけ出す。
ジーンや兄のジェーにとって、父親のピアノに合わせて他の家族が歌うという写真の構図は、父と自分達の関係を保証するもののように感じられる。ふたりの母がピアノの処分を拒むのも、それが父が家にいた頃の記憶や、彼の家族への愛情を象徴するものであると考えているからだ。
しかし、写真はあくまで当時の状況を写したものに過ぎない。
父親は離婚によって家を去っており、ピアノを処分して構わないか問うジェーンの電話にもあっさりと許可を出す。現実の父親の元パートナーや子どもたちへの態度は、彼らが期待するような思慕や親しみのある姿勢には到底及ばないことがわかる。
これは、写真によって、ジーン達が家族の記憶や関係を実態よりも美化していたことを示す。人は写真を見るとき、それが断片に過ぎないことを忘れ、写真に写っている以上のものを見ようとするのだ。
ジーンが最後にピアノを処分し、家族の写真を破るのは、現実と向き合おうとする姿勢の象徴だといえる。

人間は、過去に起こった出来事の断片である写真やモノをもとに、記憶を再構築する。ここで現出する記憶は、主観や願望の影響を受けたものであり、実際に起こった出来事そのものではない。
本作はこうした断片性と再構築に批判的なまなざしを向ける。

長回しを多用し、登場人物の表情や動作をつぶさに捉える映像の作り方は、一部分を切り取った静止画によって出来事全体を意味づけようとする写真の働きと対をなすものだ。
これは、感情や人間関係をモノに仮託し、安易に処理・清算するのではなく、相手の意向を考慮した上で丁寧に向き合い、吟味することによって初めて「整理」が可能になるという、本作のメインテーマとも通ずるものである。
ジーンとエムの再会のシークエンスにおいて、ロマンティックなBGMがミーの登場によって突然打ち切られる演出も、都合の良い解釈を否定する本作の姿勢が反映されている。

人や事物を断片的に捉える風潮や、モノや人を「いつでも買い直せる/新たに始められる」ものとみなし、即決即断で手放すことを勧める姿勢は、しがらみを抱える人を救うものだ。ただ、「捨てられた」「切られた」人間やモノは必ず存在し、それはたとえ捨象しても世界から消える訳ではない。
本作は、ジーンの独善性を丹念に明らかにすることで、人やモノへの誠実さを問う。
自分の罪悪感を解消するための一方的な謝罪、複雑な関係をなし崩しにしようとすることなど、心あたりのある行動もあり、身につまされた。双方向性や時間をかけたコミュニケーションへの意識が希薄になりやすい現代の姿勢を問い直す真摯な作品だったと思う。

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