感想:映画『マンハッタン・ラプソディ』ルッキズムに抗うロマンティックコメディ

【製作:アメリカ合衆国 1996年公開(日本公開:1997年)】

コロンビア大学の文学部で教鞭をとるローズは、外見にコンプレックスがあり、恋愛が上手くいかないことに悩みを抱えていた。
一方、同大学の理学部に務めるグレゴリーは、多くの女性と肉体関係を持つも継続したパートナーシップを築けないことから、落ち着いた交際を求めて新聞広告でパートナーを募集する。
広告を見たローズの妹・クレアが無断で彼女のプロフィールを送ったことでローズとグレゴリーは出会う。
恋愛への価値観やユーモアセンス等の点で意気投合したふたりは、セックスをしないという約束で婚姻関係を結ぶ。
かくして居心地の良い共同生活が始まるが、次第にローズは欲求不満を抱えるようになる。

本作は「肉体関係なしの恋愛・結婚は成立するか」という問いとルッキズムをテーマにしたロマンティックコメディだ。

この映画のプロットは、主役のふたりを通してラブストーリーの類型を風刺しながらも、最終的には恋愛の成就・肉体関係に帰結する、という『恋人たちの予感』と同系統のものである。
教育やメディアによって再生産されるロマンティックラブイデオロギーにプレッシャーを感じ、その必然性を疑いながらも、その価値観に沿って異性のパートナーを得ることに憧れてもいる状態を前提にした恋愛映画は比較的メジャーなジャンルである。本作も、男女のパートナーシップと肉体関係を不可分とする展開であり、その内容は決して目新しいものではなかった。
主役がふたりとも大学で教鞭をとっている設定は面白く、学生の目線を考慮せずに自身の数学への熱意を捲し立てるような講義を行っていたグレゴリーに、ローズが譬え話をするように持ちかけ、その試みが功を奏するくだり等は、ふたりの関係がもたらすポジティブな効果を巧く描いているように感じた。婚姻最初は「新婚夫婦ごっこ」をぎこちなく行っていたふたりが、互いの癖や傾向を掴み、自分たちのスタイルを身につけていく過程も微笑ましかった。
ただ、グレゴリーが聴講したローズの「恋愛」にまつわる講義で、ロマンティックラブイデオロギーの恣意性に言及しながら、「それでも恋愛をする時間は輝いており、人はどうしようもなくときめく」といった結論に着地するのは文学部出身者としてはかなりいまいちだった(既成概念を問い直し続けることが人文科学の本分だと思っているので……)

一方、もうひとつのテーマであるルッキズムについては真摯に描かれている印象だった。
ローズの髪型や服装はいわゆる「異性に受けの良いスタイル」ではなく、化粧っ気もなく、フリルやレースなどの装飾に富んだ家具や小物を好む。
本作では眼鏡も「容姿が優れていない」ことを示す記号として作用する。彼女は自分にとって快適な装いをしているものの、内心では他者からのまなざしを気にしてコンプレックスを感じている。
結婚してしばらく経ち、良好な関係を築けているものの、セックスは拒まれるという状況に直面した際、ローズは自分の容姿が優れていないからグレゴリーがその気にならないのだと考える。
幼い頃の自分の容姿を褒められたことで自信をつけ、グレゴリーの海外出張中にダイエットやワードローブの刷新に励んだローズは、かつての自分には目もくれなかったアレックスの注目を惹くようになる。
密かに憧れていた相手とのロマンスに心酔するローズだったが、容姿が変わったことで近づいてくる者は自分の内面を重視していないと気づく。
好きな装いをする自分に好意を持ったグレゴリーの得難さにローズが気づき、グレゴリーもまた肉体関係によって居心地の良い関係が変わることを恐れてセックスを拒んでいたと吐露し、ふたりは物理的にも結ばれる、という筋立てである。
容姿を変えることで自信がつくことそのものは認めつつも、容姿が優れていることをハッピーエンドの要件としない本作の姿勢は誠実なものだと感じた。
パジャマ姿のローズがグレゴリーと路上で踊るクライマックスは印象的で、彼女が他者のまなざしから解放されたことを表していたと思う。
なお、ローズとグレゴリーが同居を始めた際はひとつの部屋に互いの趣味によるインテリア(ファンシー/シンプル・モダン)が併置されていたが、次第にグレゴリーのテリトリーもローズ好みのインテリアで満たされるようになる。
これはグレゴリーがローズをそのスタイルごと受け入れていることを示唆しており、巧い表現だと感じた。

映像面では、現代(おそらく1990年代半ば)の米国を舞台とした作品ながら、古典的でロマンティックな演出が多用されている点が印象的だった。
紗がかかったような画面の効果、クロースアップを多用しドリーショットも登場する映像、コロンビア大学の重厚な意匠、前述したローズの趣味である装飾的なインテリアなどが相まって、電話もテレビもPCも登場するにも関わらず現代の映像にみえない、不思議な印象を受ける作品だった。クライマックスのダンスシーンのBGMがプッチーニの「誰も寝てはならぬ」である点も本作のクラシカルな性質を表している。(セックスがテーマの根幹にある作品ながら、映像から扇情性が排されているのも印象的だった)
なお、ローズがジムでトレーニングに励むシーンのみ、BGMにロックが用いられるなど他の場面と大きくトーンが異なり、このプロセスがローズにとって"不自然"であることを強調してもいた。

個人的には年少の女性との短期的な交際に違和感を持ったグレゴリーが、肉体関係を度外視してローズと関わることで相手の人格を尊重したコミュニケーションを取り、重層的な関係を築けるようになる過程がかなりスムースだと感じたので、セックス抜きでの関係を貫いて欲しかったという気持ちが拭えなかった。
セックスに対する考えの違いを擦り合わせることそのものは重要だが、真摯に向き合うのであれば「色仕掛け」を試みるのではなくセラピーやカウンセリングを受けるのがベストだったと思う(そういうテーマの作品ではないのはわかっているが……)

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