感想:映画『ボブという名の猫 幸せのハイタッチ』 「足元」から見える世界

【製作:イギリス 2016年公開(日本公開:2017年)】

現代のロンドン。音楽演奏で日銭を稼ぎ、路上生活を送るジェームズは薬物依存症からの更生を目指すが、なかなかうまくいかない。
ソーシャルワーカーの計らいにより、公営住宅に住めることになった彼は、茶トラの野良猫と出会う。
「ボブ」と名づけたその猫とともに暮らし始めたことで、ジェームズの生活は変わっていく。

本作は実話をもとにした作品だ。2020年6月に亡くなったボブは、ジェームズとともに雑誌『ビッグイシュー』の販売を行い、彼らが有名になってからは同誌の表紙もたびたび飾っている。

なんらかの理由で生活が困窮し、路上で生活する人に焦点を当てたこの作品では、全体的に映像の目線が低い。
ボブと出会う前のジェームズや、他のホームレス達が睡眠をとる姿を描くシークエンスでは、彼らが横になる地面にカメラが向けられ、通り過ぎる人々は下半身のみが映る。また、本作の特徴であるボブのPOVショットでは、猫の目線から、彼の見る世界や彼をまなざす人間の姿が臨場感をもって示される。これもまた多くがあおりのショットで、立った人間が見る世界より物理的に「下」のレベルからの光景である。
ホームレスの境遇をそうでない人間に啓蒙するという目的のある本作においては、このように視点を置くことで、観念的に「自分とは異なる立場の目線に立つ」ことを促しているといえる。
ジェームズに対して辛くあたる人々の直截的な発言や行動も本作では描かれているが、現実のホームレスの方が受ける排斥や揶揄に比べればかなりマイルドなものであると感じた。ボブとの邂逅を中心に据えたソフトな脚本を補完するものとして、こうした「低い」視点の設定があるのではと思う。

脚本としてはマイルドではあるものの、路上生活や薬物中毒から回復する道程の険しさは示されており、軌道に乗ったと思いきや新たなトラブルに見舞われたり、時にはジェームズ自身がその状況を誘発する。
また、ヘロイン中毒から回復するためには、まずヘロインに比べて刺激の弱い薬物のメサドンを日々服用し、その後断薬して離脱症状に耐える必要があるという一連の流れは印象的だった。

ひとりで路上演奏していた時にはわずかだった観客が、ボブを伴うと途端に増え、人気者になるという経緯(ビッグイシュー販売においても同様)を見て、人々はジェームズの演奏やホームレスの支援よりも、可愛い猫を鑑賞したり接触することを目当てにしているのでは……とは少し感じた。しかし、関心を持たれなければ社会問題の解決が始まらないことを考えれば、れっきとした手立てであるとも思う。
実際にボブが表紙を飾ったビッグイシューは売上が高いほか、QUEEN(および映画『ボヘミアン・ラプソディ』関連)の表紙号が売り切れになるといった現象がある。購入者の動機を問わず、よく売れているということはそれだけ販売者に入る利益が大きいということだし、購入を通じて、興味が薄かった人にも困窮に対する問題意識が共有される可能性がある。パッケージングを一律に商業主義的と遠ざけるのではなく、手段として活用していく必要があるのだと感じた(匙加減が難しいとは思うのだが)

なお、ジェームズは自分が食べるものに困る状況でも怪我をしたボブの治療を優先させ、彼を伴うことで日銭を多く稼げるようになるとすぐにボブの食事を充実させるなど、彼にしっかりと対価を支払って雇用している。こういったフェアで誠実な態度が成功を招く構造や、ジェームズがドラッグ販売人の誘いに乗らなかったことで行方不明のボブが戻ってくる展開は説話的ではあるものの、個人的には好きだった。

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