感想:映画『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』 「場所に縛られる」ことの苦しみ
【製作:アメリカ合衆国 2017年公開(日本公開:2018年)】
ダラスの一軒家に住むCとMは夫婦である。時折起こる不可解な現象に悩まされつつも、静かに暮らしていたふたりだったが、ある日Cは自動車事故で命を落とす。
幽霊としてこの世に留まったCは、喪失によってふさぎ込むMの傍らに佇み続けるが、やがてMは気持ちに区切りをつけ、一軒家を去っていく。
その後、新たな住人が訪れては去る一軒家で、Cは長い時間を過ごすことになる……
BGMや台詞の少ない、抑制されたトーンで描かれた作品で、幽霊になった男性Cを通して、ひとところに永遠に留まり続けることの苦しみを描いている。
Cはいわゆる「地縛霊」で、一軒家(のある土地)から離れない。モノに記憶が付随するように、Mにとって一軒家は亡くしたCを象徴する場所となる。
Cが命を落とした直後、Mは知人からの差し入れであるチョコレートタルトを一心不乱に食べ、無理やり飲み込んだそれらを嘔吐する。
これは彼女がパートナーの死を受け入れようとするが、消化できていないことを示す。
しかし、そんな中でも日々仕事に出かけることを繰り返し、ひとりの生活を営むうちに、Mはいつしかその死を受け入れる。Cではない男性とのロマンスが示唆される場面もある。やがて彼女は部屋の壁を塗り替えるなどの改装を行って一軒家から引っ越していく。
幼い頃から引っ越しの多かったMは、いつか再訪したときに見るため、転居する際にはその家の壁の中にメモを入れていた。彼女はダラスの一軒家を去る際にも同じことをする。
しかし、Mは一度出て行った家に実際に戻ることはなく、ダラスの家についてもそれは同様といえる。Mが引っ越し、メモを置く儀式は、彼女が一軒家=Cを過去のものとして新たな暮らしを歩み始めることの証だ。
過去から物理的に離れることのできたMに対し、Cは一軒家に留まらなくてはならない。
新たな入居者が現れ、景色が目まぐるしく変わりながらも、自分はCと暮らした日々の記憶から動けない状況下で、彼の時間感覚は乱れていく。
この時間感覚の変化は映像を通して示される。
本作は全体を通してロングショットや長回しが多く、鑑賞者の感情を煽らない淡々とした演出がなされているが、とりわけMが一軒家を去るまでは、編集が少なく、登場人物が何かを行うのをひたすら捉え続けるシーンがある(前述のチョコレートタルトの場面も該当する)
これはMが苦しみ、Cがなすすべもなく傍にいる時間が体感では非常に長かったことを表す。
一方で、Mが引っ越していったあと、Cにとっての時間の流れは非常に早くなり、さらには過去・現在・未来の区別も曖昧なものになっていく。
Mの転居直後の住人である移民の母子の暮らしにおいては、カメラがパンする度に季節が変わる。
また、終盤の、Cが一軒家のある場所で遠い昔に起こったことを追体験するシーンでは、矢に射られて殺害された少女はワンカットごとに朽ちていく。Cがひとつの動作を行う間に、月や年単位で現実の時間が動く。
さらに、母子が転居していったあとに一軒家で人々がパーティーをするシーンでは、世界の滅亡について語る男性の台詞がずれて二重に収録されている。本作における台詞は「Cが聞いた音」であり(このため、彼が意味を理解できない母子の会話には字幕が出ない)、このシーンにおいては、男性の発言をCが予兆している=彼がこのシーンを既に体験したことがあると示唆される。
Cの幽霊は一軒家の場所から動けない代わりに時間の縛りを超えられるようになり、過去にMと交わした会話を反芻しながら、まだ自分が生きていた頃の一軒家にも姿を表す。
本作ではカメラが固定されたシーンも多く、人の動きを追わずに無人になった場所がしばらく写り続けるといったショットも複数挟まれるが、これはCの幽霊が同じ場所から動けないことを反映している。冒頭のポルターガイストのシーンはCの幽霊のPOVショットであることが判明する。
自己像を失ってシーツ姿の幽霊となり、Mの夫であったこと、Mと一軒家に住んでいたことをアイデンティティとするCにとっては、一軒家で別人が暮らすことでその事実が後景化していくことが耐えがたく、母子をポルターガイストで怯えさせて家から追い出すなどの行動に出たと思われる。
この終わらない苦しみから脱却するため、過去の家に姿を現して生前の自分を客観的に見る=異化し、現在の自己から切り離し、人生を完結させて成仏することに成功したのではないかと考えた。
Mの残したメモは自分の死と彼女の不在を象徴するモノであり、それに物理的に触れて読むことが、Cの死を証明したのではないかと思う。
ただ、本作は自分の勉強不足でうまく観ることができず、特に終盤の展開は噛み砕けていない点が多い。
他の方の感想なども見て改めて内容を考えていきたい。