感想:映画『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』 "Jr."ではない、自分自身を捕まえて


【製作:アメリカ合衆国 2002年公開(日本公開:2003年)】

舞台は1960年代のアメリカ合衆国。
退役軍人で文具屋の事業を経営する父と、フランス出身の母のもとに育ったフランク・W・アバグネイル・Jr.は、テレビや流行のカルチャーを好むハイティーンの少年だった。
しかし、フランクは、父の事業の失敗と、母の不倫に端を発する両親の離婚という事態に見舞われる。
事業・私生活ともに失敗した状況でもなお、プライドの高い父に小切手を与えられたフランクは家出をし、父の誇りを取り戻すためにパンアメリカン航空の副操縦士になりすまして、小切手を偽造しながら合衆国中を駆け巡ることになる。
その後も、医者・弁護士へとそのステータスを変えながら小切手偽造を続ける彼を、執拗に追い続けていたのが、FBI捜査官のカール・ハンラティだった。
フランクの軽快な逃走や転身を軸に、ハンラティとの間に芽生える奇妙な信頼関係を交えながら、彼が逮捕されるまでを描いた作品。

本作は、1960年代を舞台に、同時期のカルチャーやファッション、自動車、飛行機、電話などの小道具をふんだんに配し、ノスタルジーを駆り立てる作品であると同時に、メインプロットでは1950年代〜60年代のステレオタイプだった家族像・男性像からのパラダイムシフトを描く作品だといえる。

主人公フランクは、「フランク・W・アバグネイル・"Jr."」という名前の通り、「父親のようであれ」という願いを込めて育てられ、父親の影響を多分に受けた人物である。事業が失敗していなければ彼が後継者になっていたことも想像できる。
父フランクは退役軍人ということもあり、良くも悪くもマッチョイズムや誇りに満ちた人物で、家父長制を体現したような人物像だ。子フランクはそんな父親を心から尊敬しており、父の名誉の失墜や、父から母が離れていく事実に耐えられず、「"Jr."」として父の誇りを取り戻そうとする。一連の小切手偽造事件は、家族の形が変わったことへのショックと父への敬愛を動機として始まった。
20歳前後にして学校の代理教師やパンアメリカン航空の副操縦士、医者や弁護士を演じてみせるだけの立ち居振る舞いや度胸を持ちつつも、フランクは精神的には年相応の少年である。テレビ番組や雑誌のヒーローから偽名や職場での在り方のヒントを得、人並みに女性に興味を持ち、寂しさから毎年クリスマスに連絡する相手を求める。
パンアメリカン航空の小切手を偽造する際、彼は同社の飛行機のおもちゃを湯につけ、ロゴを剥がして小切手に貼り付けていく。小切手の枚数が増えるにつれ、ホテルのバスタブは飛行機で満たされてゆく。世界を飛び回る飛行機が窮屈そうにバスタブに詰め込まれている様子は、まだ子どもであるフランクの精神的なゆとりと、彼の大胆な行いのギャップを示しているように感じた。また、医者として働く際に重傷の子どもの傷口を直視できない点も、フランクの未成熟さを表している。
また、パイロット・医者・弁護士といった職業はいずれも世間的なステータスの高いものである。特にパイロットを演じる際、フランクは銀行の窓口係やキャビンアテンダントといった数々の女性とセックスをしたり、時には彼女たちを付き従えるといったマッチョイズム的な振る舞いを行う。さらに、それぞれの職業の合間では、コテージに様々な人々を集めてパーティーを行いもする。
しかし、こうしたステータスの高い職業や享楽的な振る舞いは、いずれもフランクを満たさない。

フランクは病院の看護師ベリンダに惹かれ、医者として彼女と婚約し、家庭を築こうと試みる。ベリンダに興味を持った理由は、彼女が歯の矯正器具を着けており、つい最近まで同じように歯を矯正していた自分との親近感を持った、という素朴なものだ。
それまでの行きずりの関係とは異なり、この婚約では、司法書士試験を受験して正真正銘の資格を取得し、婚約パーティーに立入捜査が入った際にはベリンダに自分と駆け落ちするよう頼むなど、フランクの言動に真摯さがみられる。
自分の信じていた家庭の形が崩れたことで家出をし、小切手偽造と身分詐称という壮大な「自分探し」を始めたフランクにとって、ベリンダと幸せな家庭を築くことは、彼が見つけようとしたひとつの「自分」の形であるといえる。
しかし、真摯に好意を向けたベリンダは警察の捜査に協力することを選び、家庭への夢もまた裏切られる形になる(フランクがその後にパイロットに戻ってキャビンアテンダントを選抜し、従えるのは、安定した家庭や愛を求めた彼がそれらを手に入れられなかったことへの反動であるとも捉えられる)

家庭をなくし、あらゆるステータスや典型的な幸せに充足を得られなかったフランクの心の支えになるのは、「フランク・W・アバグネイル・Sr.の息子」ではなく、「小切手偽造犯の少年」を逮捕することに情熱を注ぐハンラティである。
偽名や嘘の経歴を用い、実態を持たない存在となったフランクの正体を突き止め、世界のどこにいてもその痕跡を捉えるハンラティは、裏を返せばフランク自身のアイデンティティを浮き彫りにし、担保してくれる存在だともいえる。
数年にわたる逃亡の中、クリスマスはフランクとハンラティが接触・邂逅することの多い場面であり、フランクはそれを心待ちにする様子さえ見せる(自分の本当の居場所を告げて話し相手になるよう頼む年もある)
ハンラティもまた、離婚して妻や子どもと離れ、家族を持たない孤独を知る存在である。詐欺師と捜査官でありながらも、ふたりの間には友情に近い関係があり、特にフランクにとってハンラティは、他の誰でもない自分自身を認めてくれる唯一の存在として大きな役割を果たす。

両親が出会った場所、自身のルーツといえるフランスでボロボロの姿で拘束され、アメリカへの帰路で父が亡くなったことを知り、到着した母国で母が新しい家庭で暮らしていることを目の当たりにして初めて、フランクは逃亡をあきらめる。
拠り所であった家族を失くし、逮捕・収監されたフランクをハンラティは支え、小切手偽造の豊富な知識をもとにFBIの協力者として働く道を提示する。
詐欺師としての一連の活動が、フランクだからこそ可能な生涯の仕事につながることからも、本作がフランクがアイデンティティを獲得するまでの物語としての側面を持つことがわかる。

軽妙なアニメーションから始まるオープニングや細かなカット割を特徴とし、スリリングに展開する華やかな映画である一方、物語としては父の背中をただ追っていた少年が「自分自身が何者であるか」を問い、大人になるまでを描いた切実で普遍性も持つ内容だったと感じる。
エンターテインメントとしても、家父長制・マッチョイズムへの批判を含んだ成長譚としても楽しめる、優れた作品だと思う。

いいなと思ったら応援しよう!