親と子供
こんばんは。
今日友人と、「将来子供を欲しいか」と言う議題でいろんな価値観を共有し合い、自分の中で消化しきれなかったのでここに残します。
(ただのストレス解消日です)
私は子供を「欲しい」と思っていません。
両親が離婚しており、子供を持つことの大変さを知っているから。
と言うのが一番の理由です。
逆に友人は、子供をたくさん産みたい。と言っていました。
その子は、4人兄弟で、家族同士とても仲が良いのです。
この対比でわかるように、子供が欲しいかどうかは自分が育ってきた環境の影響が大きいと思うのです。
私はこの議題について過去にも様々な意見を聞きました。
・子供を慶應義塾大学に入れたい、
もしくは、特定の職業(ex 公務員、サッカー選手)に就かせたい
・たくさん習い事をさせたい
・兄弟を作ってあげたい
など。
私はこのような意見を聞くといつもモヤモヤしてしまうのです。
ただの願望の話ではあるとはいえ
「それって誰のため?」と疑問に思ってしまうのです。
きっと親の目線だと
・安定した生活を送ってほしい
・自分が叶えられなかった夢を託したい
・家に恥じない子にしたい
・苦労させたくない
・寂しい思いをさせたくない
など、様々な思いがあると思います。
「こうなって欲しいなあ」くらいなら全然問題ないのですが、「こうでなくてはならない!」と言う考えは、特に大学や職業にこだわりのある人には強くあると思います。
でもそれはまだこの世に存在してすらいない「他人」に願望を押し付けているだけなんですよね。
まだ見ぬ子への願望は、きつい言い方になりますが、ただのエゴです。
子供は1人の人間であり、他人です。
必ずしも自分が思う通りに成長しないし、もし自分の言いつけを守ってくれても「親に従うのが正しい」という間違った成長の仕方をしてしまいます。
実際に私もそうでした。
自分で言うことではないですが、私は裕福な家庭に生まれました。
幼稚園から高校まで階段方式で上級できるお嬢様学校にも入れてもらいました。(途中で親の離婚がありど田舎に転校しましたが笑)
周りの裕福な家の子に怠らぬよう、
幼い頃からたくさん習い事をし、できなければ正座でお説教。
楽しむことを覚える前に完璧を目指すことを覚えました。
「ママ!できるようになったよ!」と報告するための苦しい時間。
できるようになっても「そんなの当たり前」と返されるだけです。
でも「怒られないだけいい」と思っていて、母の機嫌を取っては安心するという、今思えば3歳児に全く必要のない能力を身につけていました。
それは両親が離婚した後も変わらず、精神的に不安定な母は前以上に言葉が悪くなり、そんな母を怒らせないためだけの努力をするばかりでした。
「これやったよ!あれやったよ!」
とご機嫌取りのための報告をし、それに何か不備があると役立たずと言われる。その生活を当たり前としてきたのです。
そして大人になり社会に出ると、幼少期に身につけた無駄な知恵が空回りし、正しい大人との付き合い方がわからず思い悩みました。
母はいわゆるモラハラなので相談することもできず、結局精神的に不安定になり、体に影響し、やっと自分で選んだのが「休職」という選択でした。
母は、「4年生大学を出て一流企業に入れる。もしくは自分が好きだった仕事をやらせる」と私に期待を込めていましたが、結局振り出しに戻るのです。
母の苦労も十分わかりますが、いろんな境遇の友人や知り合い、病院の先生に悩みを打ち明けて、もっと幸せな家庭があることや、自分が置かれている状態の酷さを知りました。
親の元々の固定概念や価値観の押し付けについて、子供はある瞬間に違和感を覚えます。そうすると、「他人」と「自分」の戦いでしかなくなります。
元も子もないのです。
子供は大人のための着せ替え人形じゃないです。
まずそもそも、子供が「ほしい」ってなんだよ。「授かる」もんだろ。
と、思ってしまっている自分もいます(とてもめんどくさいですよね)。
そんな簡単な言葉でまるで物みたいに・・・
今日ずっとぐるぐるモヤモヤしていたことをブワアッと解消させていただきました。
疲れましたね、正直。
最後までお付き合いいただいた方、ありがとうございました。