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魂の教科書『水の精霊』

横山充男さんの『水の精霊』4部作を読み終わった。
ほんまに最高だった。
本当に、心の底から、こんな本を書いてくれて、ありがとうって、横山さんに直接お会いして伝えたい。

涙が出るほど、ありがたい。

私が29年の人生で感じてきた、言葉にならないたくさんのことを、この本は寄り添って、道を示しながら、感じさせてくれた。それは、答えの提示じゃなかった。でも、これから辿る道の片鱗なのかもしれない。

改めて、気持ちが落ち着いたら、さらに追記していくかもしれないけれど、まずは読み終わった直後のこのエネルギーを、ここに記しておく。


特に胸に響いた言葉たち

ひとはひとを支配してはならない。ひとはまた自然をも支配してはならない。たとえそれが神という名であろうとも、人や自然をしはいしてはならないのだ。真人がこれまで体験してきた自然の靈氣を、あるいはその総体を神霊と呼ぶとすれば、支配というものからもっとも遠い存在であった。神霊は、何者をもけっして支配はしない。つねに開かれつづけるものであり、清らかで美しい。明るくすこやかで、しかも荘厳ともいえる大きさを備えていた。

水の精霊 4 p.307

水は岩から生まれ、岩は天の凝り固まり有となったものである。天とは無。有と無は、空からきたものである。

水の精霊 4 p.302

苦を背負いながら、この世を渡り続ける人々を、セゴシたちは聖なるものとして見た。この世を停滞させることなく、この世の穢れも苦悩も背負いながら、それを自らの旅として清めていこうとする。こうした人々を、神々の子として捉えた。神々とは、その循環の意志とちからのことであった。

水の精霊 4 p.251

他人の吉凶を占い、不浄を清める仕事は、呪術者そのものを幸せはしない。むしろ、次々と降り掛かってくる不幸と戦わねばならぬことが多い。ー真人という少年が、浄化された魂の持ち主であればあるほど、邪悪な念が周りにまとまりつく。それを跳ね返すには、まったき魂の存在として、天真爛漫に生きるしかない。あと、もうひとつ。邪悪な念そのものを飲み込んでしまうこと。

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旧Luna
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