一年ぶりに服を買ったら希望が湧いた
先日、フリマアプリで服を買った。
ロンTとキャミワンピとミニバッグの「コーデ売り」と呼ばれるようなセットのもの。
金額は2000円程度だったが、買うまでに一週間ほど悩んだ。
「いいね」も5つぐらい付いていたので、売れてしまうか心配で毎日ヒヤヒヤしていた。
案外なかなか売れず、皆2000円でも悩むものだなぁ、としみじみもした。
このご時世というのもあるのかもしれない。
あるバイトの日に「えいっ!」となり、買った。
カード決算なので一瞬で買えてしまい、なんだかあっけなかったことを記憶している。
私の年齢で着るには、多分ギリギリのブランド。
でもずっと着てみたいと思っていたブランド。
買ってから届くまでにふと「服を買うの、いつぶりだろう」と思った。
記憶を遡る。
今年の冬は買ってない。
秋服も悩んだが買ってない。
夏は靴下買ったぐらいかな。
あ、去年の春にワンピースを一枚買っていた。
まだ2月だが、記憶の限りではほぼ一年ぶりだった。
去年の春に買ったワンピースは沢山着た。
どこへ行くにも着ていた気がする。
そして夏になり、新型ウイルスの感染拡大。
お出かけらしいお出かけも出来ず、ほとんど家で過ごしていた記憶がある。
秋になっても、ほとんど地元で過ごしていた。
冬になり、一時感染者は減った。
しかし特にオシャレをすることもなく、遠くへも行かなかった。
そしてお正月が明け、また感染拡大。
最近も相変わらず家で過ごしている。
思い返せば、ちょっと地元のスーパーへ行ったりするのにも「洗濯のしやすさ」重視で服を選んでいた気がする。
考えてみれば一年間、もしくはそれ以上「お出かけのためのオシャレ」なんてしなかった。
新型ウイルスが流行る前は、パートナーとよくデートに行った。
私達は美術館や公園に行くのが好きだった。
そしてやっぱりそういう所へ行く時、私はオシャレを楽しんでいた。
*
フリマアプリで買った服が届いた。
いつもよりゆっくり、そおっと袖を通す。
サイズは大丈夫そう。
鏡の前に立つ。
「おめかしした私」がそこには映っていた。
心の中の忘れていた感情が湧き上がる。
「可愛い」とか「トキメキ」とか、そういった感情。
寝起きで下ろしていた髪の毛を、いつもより少し高めのポニーテールにする。
家にある帽子やカーディガンを合わせたら可愛いななど考えていると、この2年間心にずっと被っていた雲がすうっと引き、ぱあっと光が差したような明るい気持ちになった。
*
この時代において「オシャレ」は特別に必要なことではないと思う。
オシャレをしなくても生きていけるし、あまり着飾っていると「こんな時に」と思う人もいると聞いた。
でもオシャレをすることによって、明るい気持ちになる事は事実だと思う。
最近はマスクでも、ピンク色だったり花柄だったり、可愛いものが安定供給されるようになった。
私は、マスクもお化粧やファッションの一つとして楽しめるものだと思う。
今日は可愛い雰囲気にしたいからピンクのマスクをしよう、とか、今日はボーイッシュだから暗色系を使ってみよう、とか。
この新型ウイルスの流行によって、「長く使える服を買う人が増えた」「流行が少しカジュアル傾向になってきている」といった事を耳にした。
言われてみればそんな気もする。
街中を歩いていても、ラフな雰囲気の人が増えた気がする。
今回私が買った服もレースなどは使われているが、洗濯機でガシガシ洗えるような、ラフだけれどどこか女性らしさがあるような感じだ。
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もう以前のような世界に戻ることはないのかもしれない。
でも新時代には新時代のファッションで、これからもオシャレを楽しんでいきたいと思う。
「可愛い」は生きるための立派なモチベーションだ。
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