「人類」の定義〜同じ用語が違う意味を持つ背景
人類学の研究が、ここ20年ほどで劇的に加速しているらしいことは、ネット上の断片的な情報からも何となくは把握していたが、8月4日(KIN28)にたまたま目にしたYouTubeで、国立科学博物館館長の篠田健一氏と脳科学者の茂木健一郎氏が対談している動画を観て、私は慌てて篠田氏の『人類の起源』を手に入れることにした。
21世紀入ってから実用化されたDNA解析に関する技術革新によって、従来の人類史観が大きく塗り替えられるような状況になっているのを、遅ればせながら認識したからだ。発掘された骨や化石の形状、その地層の年代、放射性炭素年代測定などから推測され、判断されていた頃とは全く様相が違って来ているのをリアルに感じたのだ。
どんな分野にでも言えることだが、50年とか100年前の常識やその延長線上でものごとを考えている人と、その時代には知り得なかった手法や技法を通じて発見された新たな知見をベースに、過去の定説を見直し、再構築しようとしている人とでは、見ている世界が全く異なってしまう。
もちろん、一見、革新的であるように見えていても、誤認その他の要因で歴史の藻屑となって消えて行くものも数多あるのだが、次世代シークエンサという技術がもたらした最新の人類学の進展ぶりは、もはやそういう一時の流行レベルのものではないと思えたのだ。
しかも、そうした新潮流の中でも特に注目を集めているのが、中央アジアのアルタイエリアなのである。N・レーリヒの『シャンバラの道』やO・カリティディの『ベロボディアの輪』を通じて縁を感じ、「13の月の暦」提唱者のホゼ&ロイディーン・アグエイアス夫妻も招かれた土地として、クリカの活動当初から注目し続けてきたエリアが、今、人類学のホットスポットになっているという現実に、私は興奮を隠せなかった。
【ゼウ氏との対談〜アルタイから世界水まつりへ】でも触れている通り、私はヒカルランドセミナーでお会いしたmiccoさんから、7月にアルタイで行われるお祭りに参加するという話を耳にしていた。その旅の間に驚くべきシンクロが重なり、シャンバラ(ベロボディア)への注目度が再び高まっていた所で目にした篠田先生の情報は、何か大きなうねりが関係しているように思えてならなかった。
動画を見終えた翌日(磁気の月11日=サイ時間KIN6)、近所の書店で手に入れた『人類の起源』は、日本人のルーツについての最新情報を含む非常に魅力的な内容で、どこから読んでいいのか分からないくらい面白そうな本であった。実際、気の向くまま飛び飛びに読んでいて、実は未だに読了できていないのだが、今回取り上げたいのは、冒頭に書かれている「人類」という用語の定義についてである。
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