「年の担い手」と期間の名前
慣用句としての「一年の計は元旦にあり」は、中国明代の学者・馮応京が伝統的な年中行事やしきたりなどを解説した『月令広義』という文献の以下の文に典拠があると考えられている(ちなみに「晨(しん)」という字は「あした、あさ、よあけ」の意)。
「一日之計在晨、一年之計在春」(一日の計は晨にあり、一年の計は春にあり)
書き下すと「一日の計画は1日の初めである朝に立て、一年の計画は一年の初めである元日に立てるべきである」となるが、その意味するところは「事を成し遂げるには、周到な準備と計画が必要である」とか「物事は初めが大事、しかもしっかりした計画のもと着実に行うべきである」となっていて、ゴールを見据えた計画性の重要さが説かれているのが分かる。
ただ、一般的には計画性云々よりも「物事は最初が肝心である」という意味合いで用いられることが多いようにも思う。この「最初が肝心」という発想は、古代のマヤ暦における「年の担い手(イヤー・ベアラー)」という仕組みにも見出す事ができるのが、何とも興味深いところだ。
「13の月の暦」では365日暦と260日暦の併用に「3次元(肉体)と4次元(心)を統合する」という重要な意味がある訳だが、古代の人々にそのような意図があったかどうかはさておき、マヤ文明に先行するサポテカ文明で、既に紀元前550年頃には365日暦と260日暦の併用が行われていた事が明らかになっている。
そして、少なくともマヤ文明において長期暦が用いられていた古典期(3世紀〜10世紀)には、365日暦の元旦(0ポプ*)に巡って来る260日暦の日付を「年の担い手」とし、その1年を「年の担い手」の名前で呼ぶことが行われていたようである。
*元旦を「1ポプ」としている文献もあるが、iOSアプリ「MAYA3D」やパン・ジャパン・ライブラリーのトップページからリンクしているサイトでは「0ポプ」を元旦として計算されているので、ここでは「0ポプ」説をとった。
「13の月の暦」では、『チラム・バラムの書』が書かれた16世紀の頃の組み合わせ、則ち「カン、ムルク、イシュ、カワク」を「年の担い手」とするスタイルが継承されていて、元旦に巡って来るのは、それらと対応関係がある「種、月、魔法使い、嵐」という4つの「太陽の紋章」に限られている。
実際、2024年7月26日(365日暦の磁気の月1日)から始まった現在の1年は、そこに巡って来た260日暦の日付、KIN19(青い律動の嵐)に従って「青い律動の嵐の年」となっている。
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