「継続は力なり」の真意とは
みなさんこんにちは、Bodayboと申します。いままでFC2、livedoor、bloggerにはてなとブログをコロコロ移住している私ですが、
noteは病んでいる人が多いですね。
はてなはエンジニアが大半を占めていますが、noteは大学生から五十路まで、幅広い層が病んでいるイメージです。
日記とかエッセイを書く人って、私を含めて病んでるんでしょうね。
でも、そんなみんなのこと、スキ、ですよ・・・
そんな哀愁漂う大海原を航海していると、
「他人の評価に振り回されてしまう自分が嫌い」
といった具合に、上手に承認欲求を消化できていない人間が多いことに気が付きます。
noteって、他のブログサービスと違ってかなり数に対して曖昧だと思うんですよ。例えば、ライブドアなんかはまとめブログ同士がランキングで競り合っていますし、はてなは星や読者等、ブログとしての影響力、即ち強さが明確に数字としてに表れている印象です。
それに対してnoteにはランキングがないですよね。Twitterのふぁぼのように気軽に推せる「スキ」のみで、UIも統一されているので平和な世界です。誰もブログで争わなくて良い、優しい世界。
それなのに、病んでいる人間が多い訳ですよ。なんともおかしな話じゃありませんか?
私は精神科に入院したことはないですが、はたしてそんなコミュニティーの中に放り込まれた所で、完治するものなのか?と疑問を抱きました。
一見楽園に見えるんですがね、摩訶不思議。
そこで継続は力なり、が何故これ程消極的な世の中でも語り継げられているのか、と考えた所、消極的な世の中だからこそ継続できる人間が少ない→珍しい、偉い?という錯覚に陥り、病む人間が増えるのではないか?と考えました。
確かに継続することは凄いことです。クリエイターならば完成するまで、人の目に触れるまで孤独なマラソンを続ける訳ですから。
かといって、継続が偉いのなら、対義語の辞める、逃げることが悪いことってなりますけど、それは違いますよね。まぁかっこ悪いのは仕方ないですけど・・・
先週の「ザ・ノンフィクション」では、京都の舞子さんへの密着取材が特集されていました。中学校を不登校になり、高校に行かずに入門したAと、元々舞子に憧れていて、入門したB。
初めは練習に全くやる気がなく、女将さんやお姉さんに叱られてしまうAと、踊りが完璧なB。Bはひたすら笑顔で、すべてが楽しい、と常にはにかんでいた。
ところが、数年経つと立場が逆転します。
Aは芸者さんになりますが、Bは演奏者に転身するものの、どうしても遅刻癖が治らず、実家に帰ってしまいます。現在は何をしているかはわかりませんが、京都の実家に帰りなさい、は辞めてくださいという意味だと思うので、芸の道を絶ってしまったのでしょう。
Bは、初めの壁に当たるまでに数年掛かりました。どうしても遅刻してしまう、芸ごとは楽しいのに、稽古場へ出れば問題なく踊れるのにも関わらず、何故か遅刻を繰り返してしまう。芸が好きなのに、なんでこうなってしまうのか原因がわからない、心当たりが無いと泣き崩れるB。
この気持ちは実は痛い程分かります。僕も中学時代は不登校でしたが、別に学校に行きたくない訳ではないんですよね。今でも何故あの時不登校だったのか、行きたくなかったのかはわかりません。
中学時点で反抗期を終わらせたAと、ちょっと遅れてやってきたB。
いつまでもいい子でいた筈なのに、多少は認められる実力がついているにも関わらず、壁に当たると周囲の目は冷たい訳です。
Aのように、早い反抗期の場合は周りが「若い」、ただそれだけの理由で多めに見てくれる訳です。
芸ごとの世界のみならず、小さい頃からはぐれ者だった人間が、社会に出たら意外と成功する、ってのはよくある話だと思います。
一見世の中は報われないなぁとか思いましたけど、これって悪いのは全部
逃げるのは負けって風潮だとおもうんですね。Bも実家に帰る数年前から明らかに精神が崩壊していましたし、でも期待を背負っているから辞めるに辞められないと。
僕は、全部辞めてきました。最近だと、仕事が変に出来てしまったせいで割に合わなくなってしまったスーパーのバイトをバックレましたし、今まで予備校なんかもいくつも辞めて来ました。
ここでやっと、「継続は力なり」の真意について考えていきたいと思います。私なりの解釈では、この言葉には「他人の目に踊らされるな」という意味があると考えます。別に人の目を気にしなければ、仕事だって辞められる筈です。かっこ悪くても、自分が辞めたきゃ辞めても良いんですよ。君を責めてくる人間が居たら、僕のスキで、守ってあげたいな・・・
黒澤明の言葉で、「山登りするときと同じように、毎日毎日、一歩一歩ね、頂上見ちゃいけないって言われてるんだけど、足元を見て、コツコツ歩いていく。そのうちに頂上へ着くんだけどね、途中で頂上を眺めていたら辛くなるでしょう」
「足元を見て歩いていて、そのうち峠へ来るでしょう。そうすると風が変わってくるわけね、スーッと。その風が通ってくると、峠は間近いっていうのを身体で感じますよね。脚本を書いていて、あるところで急に不思議な展開をはじめたりね」
という一節がある。自分の理想像・完成形を眺めるのではなく、ただ今はじっと足を踏ん張って、一歩ずつ歩む・・・目の前のことをただひたすら消化していると、虚無感に襲われる。しかし、それはまだ山道が続いているだけで、確実に頂上には近づいている訳だ。
黒澤明って、結構ポジティブですよね。本人曰く、兄がネガで自分がポジだそう。
現実が上手く行っていなくとも、noteが優しい世界であるからこそ、安心して病むことができる。そんなnoteが、スキです。
この、スキって気持ち、素直に伝えられたなら、どれだけ楽なことか・・・
冴えないオタクに幸を