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MBCT for Depression~Practice Day
皆さん、こんにちは。
先ほどMBCT for DepressionのPracticeDayが終わりました。
ちょっと、気持ちがホットなときに書こうとこれを書いています。
今日の9時に始まり、16時終了。たっぷり静かな時間をとり、瞑想を深めていきました。
チェックインで昨日の出来事を自分の責任のように感じている思考が出る。
そう、今日の意図は「自分に優しい時間にする」に決まり。
優しさって段階がある?
歩く瞑想をしていると、なぜか急に片頭痛が起きる。
頭がぼんやりなりながらも、歩いている。
途中で鐘がなる。「今、意図を思い出して必要なことをしてもいい」と声がかかる。
そうだった、いいんだった、と頭を抱えてしゃがみこむ。数分すると軽くなって戻れる。
自分でそのときに必要な選択をしていいのに、声がかからないと出来なかった。でも、きっと、意識しないと、声をかけれても「大丈夫です」といっていたと思う。
「してもいいよ」という他人のお許しは必要であったが、最終決定は自分でしたのかな?
自分で必要な優しさの選択にはまだ、何段階かありそう。
お休みをとるって大変だ
途中「お休みの実践」という時間があった。
「~しよう、しなきゃ」でなく、何をするでなく、自分を休ませてあげる時間。
ぽっかり空いたわずかな時間。そわそわしてしまう。
返信が必要なDMが目に入る。
「あー、今、これ書き込んだら、後で出せにいけるのに」
「だめだめ、今はリトリート。そんなことしたらダメ」
「じゃあ、なんで終わってないんだよ」
「朝、ちゃんとして入ったらよかったのに」
こんな思考で一杯。
休むって、こんなに大変なの?でも大事なんだね。本当の休み時間。
スピードダウンは「十分」をくれる
色々なスピードで歩く瞑想をする。
「次は急いで歩いてみましょう」の声で部屋の窓をさっと開けている自分。
早く歩くのだったら、ここでは狭いでしょ、の無意識行動。
ってことは、ゆっくりだと狭くても十分ってことだ。
たしかに、マット一枚分でも十分。
毎日、忙しく、スピード感も求められる。
でも、本当にそんなに必要なのかな~ ふと、そんなことを考えた。
とりあえず、今の気づきを書いておこうと思いました。
あとで、出てくると思うので、また機会があったら聞いてください。
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8月22日開講です。
説明会も残り少なくなりました。
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