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当たり前を愛おしく

2022年もすでに2週目である。


何か新しいことを始めるにしては少しばかり出遅れた感は否めないが、
特に昨年から色々と考えることや深さが増したような気もする(一般的には「今更気付くのソレ!?」となるかもしれないが)ので、
自分の思考を整理すること、軌跡を残しておくという自分勝手な日記、それこそ"notebook"として置いておこう。


2021年を1つの記事で振り返ろうと思うと、思うところが多すぎて結局何を言いたいのかわからなくなりそうなので、数回・エピソードごとに分けていく。


まず、何よりも精神的に揺れた出来事としては、
兄の手術・入院だろう。

身内の出来事を大っぴらに書くべきではないかもしれないが、
やり場のない不安感をどこに向けていいのか分からず、
本人とのやり取りや、両親を見ていても中々しんどいものがあった。


ここで考えたのは「生き方」について。


「生とは何か」とかいう哲学ではなく。
もっと単純に、当たり前の生活ができることへの感謝だったり、
今という時間のかけがえのなさ、尊さだったり。
あとは関係性、自分の中の優先的なこととか。


本当に大切なことは、失くしてから気づくとはよく言ったもので。
美味しいご飯が食べれて、好きな人と会話ができて、
天気がいいから散歩して、疲れたらお風呂に入って…

とりわけ特別でもない日常が、1発で吹き飛ぶのを目の当たりにして。
「みんな、なくなっちゃった。」「迷惑かけてゴメン。」
そう言って大の大人が声をあげて泣く姿を画面越しで見て、何も言えなかった。


「大丈夫だよ。」何を根拠に?
「頑張れよ。」いやリアルに死にかけてるレベルで頑張ってるよ。
「心配すんな。」命かかってて、そりゃ無茶や。
浮かんでは消えた言葉で唯一言えたことは、
「今は自分のことを一番に考えよう。」だった。


あらゆる場面において、人間は一人では生きていくことはできない。
関係性の中でしか存在することはできない。
関係を構築する上で、相手を慮る必要性はあるけれど、
それに永遠に拘束される必要はない。
むしろ君は今不自由で、相手に還元できるほど持っていない。
まずは自分の器を満たしてから、無理なく相手に還元できればいいよねと。

まるで自分に言い聞かせるかのように。
僕も人を信じた生き方は得意ではないし、自己犠牲寄りの思考だから
そうあって欲しいという願いも込めて。
「今生きていることを噛み締めよう」そんな風に毎日やりとりをした。


あとは、自分と他人(家族も含め)の関係性。
僕の性格的に、相手にかなり気を遣う(最近はだいぶマシになった方)性格で、
身内が大変な時に、結婚するだの出かけるだの、
こんな風に生きていいのかって、罪悪感を感じた。(今もまだそういう部分はあるかもしれない。)

幸い両親は「お前はお前の生活だから」なんて風に言ってくれる。
「ですよね、それじゃ!」って言えるほど割り切った思考ができなかった。
見せつけているようだし、励ましの言葉は嫌味になりそうだし。

適切な距離感というか、自分の世界との分け方に悩みながら、
それでも自分は、人は、誰かのためというより
「自分のために」生きるんだろうと思って、なんとかやっている。


「主人公は自分自身だ」


僕の勤め先でのスローガンみたいなものだ。
自分で体現していかなければ、相手に伝わるはずもない。


そんな学び(不謹慎に聞こえてしまうが)を得ることができた1年だった。



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