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「エンパワメントと相談専門職」~共感的な理解を超え、共創的な物語(ナラティブ)へ~

 「エンパワメント」という言葉がビジネスの組織論でも用いられるようになっています。ネットで調べてみると、上司から部下へ権限を委譲し、情報を共有し、心理的安全性を確保することで自発性とパフォーマンスの向上を図るといった、いわゆる「部下を活かすマネジメント」の意味合いで企業でも浸透しているようです。しかし、この用い方は社会的な困難の中にある人々が本来の力を取り戻し、自らの人生を主体的に生きるための概念として発達してきたエンパワメントとは少し異なるように感じます。


 社会福祉やソーシャルワークにおいてエンパワメントは、差別や貧困、障害などによって自分の人生を自在にコントロールできなくなっている人が、自らの権利と存在価値を再発見し、自分らしく生きる力を再び取り戻す過程を指していました。それは一方向的な「上から下への支援」ではなく、利用者と支援者が共に新たな物語を紡ぎ出していく相互作用的なプロセスだったはずです。
 この相互作用には、共感を超えた創造的な物語の共有があります。単に「わかります」という同情的な響きを超え、支援者と利用者がともに人生の物語を語り合い、そこに新たな意味を見出していく過程なのです。


私が所属する相談支援専門職の現場でも、その感覚はしばしば生まれます。利用者の方がこれまで過ごしてきた人生は、決して平面的ではありません。単に「困難を抱えた人」ではなく、その背景には郷里の風景、かつて慣れ親しんだ食べ物の香り、温かな家族とのやりとり、喪失や再生、そして大きな宇宙の循環の中で自分という存在が脈々とつながってきたヒストリーがあるのです。ドイツ語の「ハイマート」という言葉は、そうした安心できる起源や自然な情緒的交流を示します。利用者が自らのハイマートに触れるとき、そこには懐かしい駄菓子屋の風景やバタークリームと生クリームをめぐるケーキ屋の思い出、成家近くの商店街の茶の香り、母と一緒に食べた外食中華のグリーンピース入りが特長のチャーハン、お惣菜屋でつまみ食いした唐揚げの味など、ありふれているがかけがえのない人生の情景が浮かび上がります。


 こうした記憶や物語を語り合うとき、支援者もまた利用者に巻き込まれていきます。聞き手である支援者は、利用者の人生を立体的に知ることで、そこに新たな価値が見出せます。かつては「手のかかる人」としか見えなかった利用者が、「人生の先輩」として、あるいは「自分にとって大切な存在」として立ち上がってくるのです。ここで重要なのは、支援者がただ「親切な人」や「共感深い人」というだけではなく、専門職として多様な人生に対して主体的な興味・関心を持つということが大切です。利用者がどのような経験を経て今ここにいるのか、そしてそれを言葉として紡ぎ出す中で、どのような価値が再評価され、再構築されていくのか。その過程に支援者自身が積極的に巻き込まれ、その語り合い自体を楽しみ、また大切に味わうことがエンパワメントへとつながっていくのです。


 共感的な理解はもちろん大切ですが、それを超えた「共創的な物語(ナラティブ)」こそがエンパワメントの鍵を握っています。単に「わかりました、大変ですね」という理解ではなく、「あなたの物語は私にとっても新しい視点をもたらし、私はあなたと共に新たな意味を発見していける」という姿勢が求められます。そのとき、支援関係は一方向の援助でなく、相互巻き込み型の関係へと変わります。語り手である利用者は、自らの人生を語ることで、これまで曖昧だった価値や意味が明確になっていく実感を得ます。一方の支援者も、その語りに触発され、自らの人生経験や価値観が揺さぶられ、再編成されます。そこではお互いが対等な語り部として出会い、エンパワメントの相互関係を築き上げると思います。


 近年、就労継続支援A型やB型といった福祉事業所が増え、サービス提供が標準化・均質化する中で、エンパワメントが単なる「支援メソッド」や「モチベーション向上のテクニック」として扱われる場面も見受けられます。そうした状況は、ある意味でビジネス現場におけるエンパワメントの捉え方に近づいているのかもしれません。しかし、福祉や相談支援の現場で真に求められるのは、個々の人生を厚みのある物語として捉え、その語り合いを通じて共に意味を再構築することです。華々しく見えるスローガンよりも、利用者が感じている茶の香りや、ちょっとした食べ物の好みの裏側にある温かい記憶を大切にする姿勢が必要です。そこではじめて、権利に基づくアプローチ(Human Rights-Based Approach)や参加、リスペクト、そしてエンパワメントの精神が息づきます。


 共感的な理解を超えて共創的な物語へ踏み込むとき、そこには互恵的なエンパワメントが生まれます。聞き手である支援者が主体的な興味関心を持って利用者の人生に巻き込まれ、共に語り合いながら新たな意味を生み出していく。その過程で利用者は自らの来歴に新しい価値を見出し、支援者は利用者の物語を通じて自己や世界の見方を更新します。この相互の巻き込みと再創造こそが、相談専門職が目指すエンパワメントの核心なのです。組織論で言われる条件整備や権限委譲とは異なる、この深みと奥行きを持ったエンパワメントが、困難な状況でも自分らしく生きていくための大きな力になるのではないでしょうか。


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