月の砂漠のかぐや姫 第339話
羽磋と理亜たちとの付き合いは、つい先日、彼が土光村に辿り着いた時から始まったのですから、決して長いとは言えません。でも、羽磋はこのヤルダンへの道程や地下世界の探索を通じて、急速に二人との関係を深めていました。そのため、いまでは同じ氏族の者であるかのように、彼らに対して親しみを感じています。羽磋が「地下から地上へ急いで戻らなければ」と焦っていたのも、「『母を待つ少女』の奇岩が冒頓に破壊されてしまったら、理亜の身体を元に戻すことができなくなる」と、深く心配したからでした。
冒頓は「『母を待つ少女』の奇岩には、責任を取らせないといけない」と言いました。羽磋が理亜の事を身内のように思って心配していたとしても、冒頓は理亜を罰することまでは考えていないようですから、安心しても良いはずです。ところが、いまの彼は、そのような心境ではありませんでした。
それは、どうしてでしょうか。
地下に広がる大空間の中で、羽磋は濃青色の球体に飲み込まれました。それは、「母を待つ少女」の奇岩の母親が変化したものでした。その球内で彼女の記憶や想いを共有する中で、羽磋はどうして「母を待つ少女」の奇岩が生まれたのかを知りました。そして、母親が娘のことをどれほど愛しているのかも知ったのでした。
そうです。以前とは違っているのです。いまの羽磋にとって、「母を待つ少女」の奇岩やその正体である女の子由は、見知らぬ存在では無くなっているのです。むしろ、自分のもっとも大切な存在である輝夜姫がそうであるように、由もまた精霊の力に振り回された可哀想な女の子なのだと思っていたのです。
ただ、地下世界からこの地上へ戻る際には、短い時間の中であまりにも多くの事が起こったために、冒頓に言われるこの時まで、「母を待つ少女」である由がどうなるかについてまで、考えを及ぼすことができていなかったのでした。
確かに、改めて考えると、冒頓の言うとおりなのでした。
ヤルダンの交易路は王花の盗賊団が管理していますが、動き出した「母を待つ少女」の奇岩に団員が襲われ、いまはそれができていないのだと、羽磋は王花から聞いていました。ここへ来る途中では、冒頓の護衛隊と一緒に彼自身も、「母を待つ少女」とサバクオオカミの奇岩の一団の襲撃を受けていました。あの崖際を通る細い道の上で、頭上から大岩の塊と化したサバクオオカミの奇岩が次々と落下してきた時のことを思い出すと、いまでも身体が震えてしまいます。あの時には、大混乱に陥った護衛隊の隊員や駱駝、それに荷物などに大きな被害が出ました。さらには、羽磋たちが地下世界にいる間に、地上では冒頓の護衛隊と「母を待つ少女」が率いるサバクオオカミの奇岩の群れが激しくぶつかり合っていましたから、この時にも死傷者が出ているかもしれません。
やはり、「母を待つ少女」の奇岩としての行動を無かったことにして、「元の身体を取り戻せて、良かった良かった」とするには、あまりにも重大な結果が生じていると、認めざるを得ません。
もしも、これらをしでかしたのが大人だったとしたら、どうでしょうか?
月の民に明文化された法律や裁判制度などはありませんが、おそらくは、村の長や長老たちの判断により、「自らの命によって償うこと」と、決定が下されるでしょう。精霊の力の影響があったことを考慮して、できるだけ軽く見積もったとしても、水も食料も持たない状態で村から追放されることは間違いありません。もちろん、村の外には乾燥したゴビが広がっているのですから、この場合も遠からず命を失うことになるでしょう。
でも、今回は大人がしでかしたことではありません。成人前の女の子です。それも、昔話に語られるほどの不可思議な状況の中で、精霊の力に翻弄されていた女の子です。羽磋は、「由の場合では、長が下す罰はもっと軽くならないだろうか」と、考えてみました。
ただ、由のことを気の毒に思っている羽磋が、どれだけ彼女に肩入れしながら考えてみても、「やはり、大人の時と同様の厳しい罰が下るだろう」という結論から離れることはできませんでした。
なぜなら、精霊により異形の姿に変えられてしまったとは言え、由は自分の意思により行動できたからです。精霊の力に心が操られていたのではなく、自分の心の底から湧き上がってきた怒りに従って、自由に動かすことができるようになった身体を動かしたのです。つまり、王花の盗賊団を襲ったり、サバクオオカミの奇岩を作り出しては、それに交易隊を襲うように命令を下したりしたのは、精霊ではなく由なのです。
大人にも子供にも、どれだけ気をつけて行動したとしても、それが悪い結果に繋がってしまうときはあります。そもそも、人間の行動には失敗がつきものです。遊牧の途中で獣に襲われ、大事な羊を失ってしまう事もあるでしょうし、水を汲んで帰る途中でつまずいて転んでしまい、水瓶を割ってしまう事もあるでしょう。
如何に共同生活をするために規律を重んじる遊牧民族と言えども、その様な場合には大きな罰が下されることはありません。ゴビという厳しい環境の下では、「人」が一番の財産であり、それを軽々しく失うことは避けなければいけないと、良くわかっているからです。
その一方で、成人として認められた者が自らの意思で何らかの行為を行った場合には、その結果に対する責任を取ることが求められます。そして、今回のように、結果が重大なものである場合には、それを行った者がまだ子供であったとしても、その責任を逃れることはできません。それが、氏族を、部族を、そして、月の民と言う国全体を、この荒地で生かす術なのです。