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月の砂漠のかぐや姫 第332話

「母を待つ少女」の奇岩は、自分でも言っているように、理亜のことを覚えていました。
 交易隊の一行が時折り通り過ぎる他は、人が寄り付くことの無いヤルダン。その一角で「母を待つ少女」は、気の遠くなるほど昔から、砂岩の塊として立ち続けていたのでした。自分に襲い掛かった過酷な運命を思ってはそれを強いた元凶であろう精霊を呪い、また、目の前から消えてしまった母親のことを思っては悲しさと寂しさで心を一杯にしながらです。
 そこへ何の前触れもなく現れた、この場所には全く似つかわしくない、小さな女の子。熱病に冒されているように見える彼女は、フラフラと身体を揺らしながら、うわ言のように「カアさん・・・・・・」と呟いていました。その言葉が自分の心にチクチクと突き刺さったので、「母を待つ少女」は思わず「貴方は、母さんを捜しているの?」と問いかけてしまったのでした。
 もちろん、砂岩の塊と化してしまったいまの自分の声が彼女に届くなどとは、思っていませんでした。これまでにも、通りかかった交易隊の男たちに呼び掛けてみたことが何度もあったのですが、何らかの反応を得られた試しはなかったのですから。
 ところが、この少女は自分の声を聞き取ってくれたのです。さらに、自分に向かって、話し掛けてくれさえしたのです。それも、いまでも心の奥底では「いつか母親が帰って来てくれるのではないか」と思い続けている自分に、「一緒にお母さんを捜してあげようか」と言ってくれたのです。
 何の期待もしていなかった中で得られた彼女の反応に、「母を待つ少女」がどれほど喜んだことか! 長い間、たった一人だった彼女に、声を交換することのできる相手が、それも、自分と同じような境遇にあり、母への想いを共有できそうな相手が現れたのです。
 でも、一気に湧き上がった喜びの気持ちは、直ぐに激しい怒りに塗り替えられて、表に現れなくなってしまいました。物語として語ったとしても誰も信じてくれそうにないほどの残酷な状況に落とされた彼女は、これも精霊が自分に対して行った罠か何かに違いないと、思い返したのです。
 「母を待つ少女」はその昂る感情のままに、「お母さんなんかいない! お前は捨てられたんだ!」と、女の子が傷つくだろう言葉を叩きつけました。ついさっきまでは会えたことを奇跡のように感じていた彼女が、急に心の底から憎らしくなったからでした。それに、辛い中でも何らかの希望を持ち続けているような彼女を見ていると、何故だか自分の胸がキュウッと痛くなるように感じたからでした。
 「母を待つ少女」が発したその言葉は、女の子が最も言われて嫌な言葉であり、彼女の心の支えをへし折るものであるはずでした。
 それなのに、女の子は苦しげな息をしながらも「大丈夫ダヨ」と笑顔を作り、「母を待つ少女」の足元にしゃがみ込むと、「お水をあげるね」と言いながら、ゴビの砂漠で命を保つのになくてはならない水を、全て地面に注いだのです。
 その後のことは、「母を待つ少女」も良くは覚えていません。心と身体が大きく混乱してしまったからです。
 カァッと心が沸騰して、砂岩の塊である身体が溶けてなくなってしまったような感覚がありました。一方で、遠い昔に感じたことのある穏やかな気持ちを思い出して、スウゥと心が落ち着いたような気もしました。
 自分が起きているのか意識を失っていたのかもわからなくなりました。心の中でいくつもの感情が爆発して、叫びたいのか泣きたいのか、それとも、笑いたいのかもわかりませんでした。でも、「何かを吐き出さなければ、心がバラバラに砕けてしまう」、そう思うほど、自分の内側から何かが沸き上がってきていました。
 「怒り」と「悲しみ」で一杯になっている水瓶に「優しさ」や「愛情」が注がれたせいで、水瓶の縁からそれらの混ざり合ったものが流れ出たような、あるいは、夜から朝へ向かう途中の明るい部分と暗い部分が混在した空に、昼から夜へ向かう途中の明暗が混在した空を重ねてかき混ぜ、そこから暗い部分と明るい部分を分けて取り出したような感覚がありました。
 それだけではありません。砂岩の塊と言う固く冷たい身体に潤いと熱を加えて柔らかくし、それをもう一度捏ねて少女の像を作ったような感覚もありました。
 その時、「母を待つ少女」は、確かに自分の足元に水を注いだ女の子と、交じり合い、また、重ね合わさっていたのです。そして、その次に、彼女がはっきりとした意識を取り戻した時には・・・・・・。
 「母を待つ少女」は、これまで以上に明確で激しい怒りと悲しみが、自分の中に存在するようになっていることに気が付いていました。
「月の民には、いや、世界には、多くの人が暮らしているのに、どうして、どうしてあたしだけが、こんなにも辛い思いをしなければいけないんだ! 精霊も、それを敬う人間も、みんな消えてしまえっ!」
 自分の中で感情が爆発している時に、その内容を冷静に検討できる人は、まずいないでしょう。
 この時の「母を待つ少女」も、ただ「ああ、どうしてあたしだけが! 精霊も人間も憎い! 仕返しをしてやりたい!」と言う強い感情に流されるだけでした。でも、この時に砂岩でできた身体の中で爆発していた感情は、「母を待つ少女」が持ち続けていたものだけではありませんでした。
 そうです、地下世界の中で羽磋が濃青色の球体に話していたように、「母を待つ少女」と理亜の心が交じり合い、お互いの心の中にあった憎しみや悲しみが「母を待つ少女」へ、そして、優しさや愛情が理亜へと分けられて受け継がれたのが、まさにこの時だったのです。
 つまり、遠い西国で月の民の交易人に奴隷として買われ、旅の途中で母親と死に別れた理亜も、「お母さんに会いたい。国に帰りたい。どうしてあたしだけが、こんなにも辛い目にあわないといけないの! だれが、あたしにこんな酷いことをしたの! 嫌だ、嫌だ、嫌だあ!」と、思い続けていたのです。ただ、奴隷として縄に繋がれながら、大人ばかりの寒山の交易隊に何とかしてついていく理亜には、その感情を心の一番底に沈めておくしかなかっただけなのです。





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