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【短編小説】石山のおっちゃんの墓標

「こうして改めて見てみると……。人が住まなくなった家の傷みが早いと言うのは、本当だなあ」
 暦の上では秋に入っているはずなのに、まだまだ日差しは強い。首筋を流れる汗をハンカチで何度も拭いながら、私は廃屋の前で立ち尽くしていた。

 
 ここは、都市部からずいぶんと離れた山間の村だ。
 電車はもちろん、汽車も通っていない。ずいぶん前から廃線の危機が叫ばれているローカル線の駅からバスは出ているものの、一時間以上山道を登ってこなければいけない。それでも、まだバスがあるだけ有難いと言うべきなのかもしれない。山一つ越えた隣の村には、もうバスも来なくなったそうだから。
 盆地にあるこの村の主な産業は稲作だ。私の背中側に広がっている田んぼには、刈り入れを待つ稲穂が、その上を歩けるかと思うぐらいにぎっしりと満ちていて、風が吹き抜ける度にザアッと大声を上げている。
 リリ、リリリッと言う虫の鳴き声が、あちらこちらから途切れることなく聞こえている。田んぼと田んぼの間に数軒ずつ固まって立っている民家の屋根の上には、ヒヨドリが陣取っていて、しきりに縄張りを主張している。
 農作業をしている人の小さな姿もポツポツとはみられるが、それはすっかりと景色の中に溶け込んでしまっていて、自然の彩りの一つとしか感じられない。
 そうだ、ぐるりと首を回して、村を囲んでいる山々を見渡せば直ぐにわかるはずだ。遠い先祖が苦労して切り開いたのであろうこの田畑も、自然のほんの一部を、一時だけ借りているに過ぎないのだ。
 そして、その期間が終われば、私が村の外れで眺めているこの廃屋のように、また自然にお返ししなければならないのだ。

 
 ……少々、感傷的になり過ぎたのかもしれない。
 今春に兄貴を亡くしてから、何かにつけて「人生」や「物の盛衰」について、考えを及ぼす癖がついてしまったのだ。
 まったく、良い兄貴だった。私とは十歳程離れていたし一緒に遊ぶことは少なかったが、とても、面倒見の良い優しい兄貴だった。
 兄が就職して家を出た後、両親が亡くなった。それは、私が十歳の時のことだったが、その後は兄が私を引き取って、成人して独立するまで育ててくれたのだった。
 還暦を過ぎて会社を退職し、ようやく自分の時間を楽しめるようになったというのに、何の前触れもなく心臓の病気で亡くなってしまった兄貴。
きっと、やり残したことがたくさんあっただろう。皆に伝えたい想いもたくさんあっただろう。
 私も兄貴に伝えたいことが、伝えないといけないことがあったのに。
 もう、兄貴はいないのだ。

 
 いま私が目にしているこの家は、私が子供の頃を過ごした家、つまり、生家だ。
 両親が亡くなって私が兄貴の下に引き取られた後は、ここには誰も住んでいなかった。所有していた田んぼは同じ村の人に貸していたが、家については借り手が無かったのだ。
 兄貴が亡くなった後は、もちろん、奥さんや息子さん、つまり、私から見れば義姉や甥が財産を引き継いだのだが、この田舎の家だけは私に話が回ってきたのだ。
 兄貴は両親の墓参りに帰村した際に、この家の風通しをしていたそうだが、都会に住む義姉さんたちは、この家や村には何の縁もない。兄貴の墓は近くに建てたそうだから、もうここへ来ることも無いだろう。これまで借り手が無かったほどだから売ろうにも売れないだろうし、私はまだ両親の墓参りにこの村に帰るだろうから、いっそ引き取ってくれないかということだった。
 私はこれまで田舎の家のことは兄貴に任せ、墓参りの際にもここには来ていなかった。「来ようと思えば、いつでも来れるのだし」と思っていたのだ。
 だから、義姉の頼みを気軽に引き受けてしまったのだ。「墓参りの時の宿にできる。自分はこれまでずっと独り身で家族はいないから、いっそ、退職後は田舎の家に戻っても良いな」とも思ったのだ。
 その家が、まさか、すっかり廃屋になっていたとは……。

 
 ん、廃屋? 私はいまこの家のことを廃屋と言っていたか?
 いやいや、それはこの家に対して、あまりにも失礼な言い方だ。
 自分の都合だけでイメージを膨らませていた私が、時間の進行がもたらした当然の結果を目の当たりにして、それに圧倒されてしまったのがいけないだけなのに。
 幼少期を過ごしたこの家は私の生家なのだ。それに、私の両親や祖父祖母もこの家に守られて生きたはずだ。その家に感謝こそすれ、貶める気持ちなど一切持ってはいけない。
「小さい頃はお世話になりました。ありがとうございました」
 私は家に向かって姿勢を正すと、小さく頭を下げた。
 とは言え、だ。
 目の前に建つ木造瓦葺きの日本家屋が酷く痛んでいることは、建築の素人である私の目にも明らかだった。
 壁や電線には蔦がびっしりと這い、庭だった場所では私の腰ぐらいの高さまで、雑草が生え放題となっている。もともと、この家の裏手には里山へと続く雑木林があったのだが、いまでは木々がすっかりと成長して、「雑木森」とでも呼びたいほどになっている。
 屋根瓦の一部が落ちたのだろうか、壁際には割れた瓦が幾つも転がっているし、その脇の土壁はと言えば大きなひび割れが縦横に走っている。私が立っているところから見える範囲では窓ガラスに割れは無いのだが、あの雨戸は歪んでいて開かないような気がする。
 それに、何よりも。
 生気がない。
 木々が伸ばす枝葉の下に収まるようになってしまったせいだろうか。この家は私の記憶よりも、ずいぶんと小さくなってしまったように感じられる。
いや、それは、確かに、ここ四十年ぐらいはこの家に住む人は誰もおらず、死んだ兄貴が半年に一度の墓参りの際に風を通すぐらいが精々だったそうだから、人の気配が感じられないのは仕方がないことだ。
 私が感じているのは、人が住んでいないから生気が無いというのではなく、何と言うか、家としての、いや、建屋としての生気が感じられないという事なのだ。
 眠っているというのではない。それであれば、また人が住む様になれば、家もそれに応えて目を覚ますだろう。でも、私がこの家から受ける印象は違うのだ。特に目に見えて傾いているという訳ではないのだけれども、もうこの家の寿命は尽きているような気がするのだ。
 ああ、家にも寿命があったのか。
 まだしばらくは私も仕事をするつもりだから、直ぐにここに帰ってくることはない。たくさんの人手と金をかけて、この家を再生させる余裕も無い。
 このまま放置して本当に朽ちさせてしまうのは、生家に対して流石に忍びないし、人が住まない家にかかる税金が高くなるというような話も聞いたことがある。残念だが、この機会に思い切って、取り壊す必要があるのかもしれない。
 この家で生きた両親は、すいぶん前に亡くなった。その前の世代、つまり、私の祖父母も、もちろんとうに亡くなっている。先日には、兄貴が死んだ。いずれ私もあちらに行くだろう。
 そうなれば、ここに家が建っていたことを知る人は、いなくなってしまう。それに、私たちが、この場所で毎日を過ごしていたという痕跡が、すっかりと消えてしまう。
 それは、寂しい。
 ここに立っている自分自身までもが、急に輪郭が朧げになって来たようにさえ感じる。もちろん、私はここに居る。そして、この家が無くなった後も、街の中で生き続ける。だが、それは、私か?
 どうやって、確かめるのだ。もう、戻る場所も無いのに?

 
「こんにちは。こちらの方ですか?」
 ボンヤリと自問自答を繰り返していた私の後ろで、白い軽トラックが止まった。その運転席から、若い女性の声が聞こえて来た。子供を迎えに行っていたのだろうか、助手席には小学生ぐらいの男の子が座っている。
「ああ、そうです。この家の者なんですよ。実は……」
 女性の呼び掛けで我に返った私は、早口で事情を説明した。
 人の出入りの少ない田舎の村のことだ。お墓にならともかく、いままで誰も住んでいなかった家の前でじっと男が立っていたのだから、怪しい人と思われているのかもしれない。
 急に私がたくさんのことを話し出したものだから、女性は少し面食らった顔をしていた。だが、話を聞いて納得はしてくれたようだ。男の子の「ママ、早く帰って石山さんの石山に遊びに行きたい」と言う声を切っ掛けに、それ以上の詮索をすることなく去って行った。
「この田舎でも、ママなんだな」
 男の子の母親への呼び方に、思わず笑みがこぼれた。
 私が子供の頃は、子供から母親への呼び掛ける時には、「お母さん」と言ったり、「お袋」と言ったりしたものだが。
 考えてみれば、私が持っているスマートフォンは、いまこの瞬間も使用可能だ。インターネットで世界が結ばれているこの時代は、昔よりも都会と田舎は離れていないのかもしれない。昔といまでは、時間の経過に従って大きく環境が変わっているのだ。
 母親の呼び方の他に、もう一つ、私の耳に残った言葉があった。
 それは、「石山さんの石山」だ。
 「石山さん」。それに、「石山」。
 私がこの村を出たのはずいぶん前だが、この二つには思い当たる事がある。
 私はそれを確かめるために、生家の脇を抜けると、その裏側に接している雑木林の中へと入っていった。

 
 人が手入れしている林ではないものの、木々が高い所で枝を伸ばして日光を遮っているせいか、雑木林の中では藪や低木が蔓延っていることはなかった。
 どうやら、頻繁に誰かがここを通っているようだ。落ち葉や枯れ枝が踏み固められた筋が、うっすらと地面に浮かび上がっていた。ひょっとしたら、あの軽トラに乗っていた子供なのかもしれない。確かにそれならば、小道の入り口近くに見慣れない男が立っていたら、声を掛けて確かめてみたくなるだろう。
 子供の頃の記憶を頼りに足を進める。
 このまま進んだら家に帰れなくなるのではないかと怯えたこともあったものだが、目的の場所へは、ものの十分も歩くと辿り着けた。
「おお、こんなにまでなっているんだっ……」
 やはり、私の思ったとおりだった。
 家の裏から林の奥へ入った先には、木々の間にちょっとした空間が広がっている場所があった。そして、そこには拳ほどの石や子供の頭ほどの岩などをこんもりと積み上げた、高さ三、四メートルほどの塚、いや、山があったのだ。
 まるで、石を積み上げて造った土蔵だ。それも、一棟だけでなくて二棟、三棟と続く。
 一体、誰がどうやってこのようなものを作ったのだろうか。
 考えるまでもない。それこそが、私の心当たりなのだから。
 私の中に、長い間思い出しもしなかった子供の頃の記憶が、急速に膨れ上がって来た。

 
「おう、坊主。また来たのか」
「うん、石切りの滝上のおっちゃんが、何してるのかと思って」
「馬鹿やろう! 石切りの滝上のおっちゃんじゃねえ! 石山さんだって言っただろうがっ」
「えぇー。だって、おっちゃんの苗字は石山じゃなくて、俺と同じ滝上でしょ。石切りの仕事してる滝上のおっちゃんじゃないか」
「いいんだよっ。つべこべ言わずに俺のことは石山と呼べ。でないとここから追い出すからなっ」
「はいはい、わかったよ。ちっとも、わかんないけどっ」
 子供の頃に石山のおっちゃんと交わしていた会話が、頭の中に響き渡った。
 田舎には良くあることかもしれないが、この村には滝上の姓を持つ者が多い。私もそうだし、この場所で石を積み上げていたおっちゃんもそうだった。
 なにせ、村は閉じた世界だ。ひょっとしたら、数代も遡って調べれば、村人はみんな遠い親戚になるのかもしれないほどだ。
 私がここによく来ていたのは小学校に上がる前の頃だったから、五歳ぐらいだったのだろうか、その時には石切りの滝上のおっちゃん、いや、石山のおっちゃんは、もう五十を超えていたはずだ。
 この村には農民が多いが、おっちゃんは山から石灰岩を切り出す仕事をしていた。そのせいもあったのだろうし、おっちゃんの性格もあったのだろう。おっちゃんは仕事でも仕事以外でも、他人と関わることがとても少ない人だった。奥さんや子供もいなかったし、いつも一人だった。
 いつの頃からか、おっちゃんは自分のことを「石山」と名乗るようになり、この林の中の空間に小石を集めて来ては蒔くようになったのだ。幾らか付き合いのあった者からは、変わり者と思われるから止めるようにと忠告もあったそうだが、それには全く耳を貸さずに仕事の傍ら何年もそれを続けたそうだ。
 私がこの林の中へ来ていた時には、おっちゃんがそれを始めてから何年も経っていて、大人の腰の高さぐらいまでの石の小山ができ上っていた。その高さが増すにつれて、村の人々との関係はどんどんと疎遠になり、おっちゃんが望んだ通り、「石切りの滝上」から「あの石山」へと、呼ばれ方も変わっていったのだが。

 
 その石山が、いま私の目の前にある。
 しかも、それは私の記憶にあるよりもずいぶんと高いところにまで、積み上げられているのだ。
 さっき軽トラに乗っていた男の子は言っていた。「石山さんの石山」に遊びに行くと。
 私の胸の中に、急に熱いものが生まれた。
 それは、身体中を駆け巡り、ビリビリと震えをもたらした後に、私の両目から涙となって外に出た。
「おっちゃん。いまなら、おっちゃんの言ってたことがわかるよ」
 私は、石山に向かって語り掛けていた。
 その時の私には、見えていたのだ。
 昔と同じように、石山の上に腰かけるおっちゃんの姿が。
 私を見下ろしながら、少し照れくさそうに、でも、とても誇らしげな面持ちで語り掛ける、おっちゃんの姿が。
「いいか、坊主。滝上なんてのは、たまたま俺が滝上の家に生まれたから、付いた姓だ。別に俺が選んだわけでも何でもねぇ。だがな、石山は違う。俺が自分で選んだ呼び名だ。俺の生業を、俺の人生を表した名だ。俺は、たまたまの滝上じゃねぇ。石切りの石山だ。村の誰にも真似できねぇほど上手に石を切る石山だ。ここに積んだ石の山を見た人はきっと言うだろう。『こんなバカなことをした奴は誰だって』。良いんだよ、それで。こんなバカは滝上にはできねぇ。石切りの石山、この俺にしかできねえんだよ」
 おっちゃんは、自分が座っている石の山を、思いっきり手の平で叩いた。
「こいつは、俺だ。俺がいなくなった後も、こいつを見た奴はきっと俺のことを思い出す。俺のことを知らねぇ奴は考える。俺は石山だ。俺のことを忘れるなんて許さねぇ。だって俺は、石山なんだからなあっ」


(了)






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