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月の砂漠のかぐや姫 第337話

 二人を完全に飲み込んでしまっている大きな光球は、しばらくの間、強烈な光を周囲に発散していました。それでも、少し時間が経つと、僅かずつではありますが、それが発する光は穏やかになってきました。
 ようやく目を開けることができるようになった男たちは、欠けていた情報を集め直そうとするかのように、すぐに光の源の方へ顔を向けます。
 そこで彼らが見たものは、まるで大きく広げた天幕の敷布をクルクルと巻き取っていくかのように、黄白色の光が中心部に向かって集約していく光景でした。また、いままでは見ることがかなわなかったその光の中心部には、あちこちで黄白色の光が点滅するのが見えました。
 実は、外側から眺める男たちにとって単なる光の変化に思えるそれは、内側にいる二人の女の子が心を通わせている表れでした。それは、人々が会話をするのに近しいものでしたが、もっと濃密で、情報量に飛んだものでした。
「あのね、地下でこんなことがあったノ」
「あたしは、地上で男たちとこんなふうに戦ってたよ」
 このような会話を交わして、理亜と由が情報を共有する必要はありません。なぜなら、それぞれが地上や地下で活動していた時に、その身体の中には理亜と由の心が半分ずつ入っていて、その経験を分け合っていたのですから。
 そして、いま、それぞれの身体から離れて自由になった二人の心は、もう一度混ぜ合わされた後に二つに分かれて、それぞれの本来の身体へと戻ろうとしているのです。
 二つの身体。二つの心。確かに数の上では揃っていますが、いままでそれは、対応する一つと一つが組み合わされてはおりませんでした。その歪な状態が元に戻ろうとする大きな動きの中で、二人の心は言葉など介さずに、直接に気持ちや経験のやり取りをしていたのでした。
 どれぐらいの時間が経ったのでしょうか。ヤルダンのこの場所で、それを正確に把握している者はおりません。ただ、男たちは光の集約が終わる時まで注意力を切らさずに見続けることができていたので、それはそれほど長い時間を要しはしなかったようです。
 少しずつ力を弱めていく黄白色の光。それが照らす範囲はどんどんと小さくなっていき、最後には消えてなくなってしまいました。そして、それが去ったところには、未だに空にかかり続けている太陽が、再び日光を注ぐようになりました。
 その太陽の光を浴びて、男たちの前に姿を現したのは、二人の女の子でした。
「オオオッ? 何だあ!」
「おい、あれは誰だ!」
 護衛隊の男たちの間から、どよめきが起きました。
 もちろん、その二人の女の子のうち、赤髪の小柄な子が理亜ですし、黒髪の上に白い頭布を巻いた子が先ほど本来の姿を取り戻した由です。でも、「母を待つ少女」の奇岩の姿であった由が元の女の子の姿に戻ったのは、あの激しい黄白色の光の中でしたので、外側からそれを見ることはできませんでした。男たちにとってみれば、黄白色の強い光に奇岩と理亜が包まれて見え無くなり、ようやくそれが治まって二人がいたところを見直すと、奇岩の姿がいつの間にか消えていて、その代わりに見たことも無い女の子が立っているという、不思議な状況が生じているのでした。
「おい、羽磋。ひょっとして、あれが・・・・・・」
「はい、そうです、冒頓殿。あの女の子が、『母を待つ少女』と呼ばれる奇岩の元の姿です。遠い昔に、精霊の力の働きで、あんな砂岩の塊に変えられてしまっていたんです」
 流石に、冒頓が驚きの声を上げることはありませんでした。それでも、羽磋に確認をする声が細かに震えるところまでは、冒頓にも抑えることができないのでした。
「そうか・・・・・・。参るぜ、あの子があの奇岩の中に入ってたのかよ」
 冒頓の歪めた口元から、苦々しい声が漏れました。
 それはそうでしょう。
 複雑に砂岩の台地が入り組んでいるヤルダンの中にぽっかりと開けたこの広場で、先ほどまで冒頓と彼の部下たちは、あの「母を待つ少女」の奇岩やサバクオオカミの奇岩たちと、命懸けの戦いを繰り広げていたのです。そして、その戦いは容易には決着がつかず、ついにはそれぞれの首領である「母を待つ少女」の奇岩と冒頓とが、一騎打ちを行うところにまで及んでいたのです。
 「母を待つ少女」の奇岩と正面から戦った冒頓は、それがどれほど力強く、そして、機敏に動くかを、自分の身をもって知っていました。なおかつ、奇岩の心の底には他者への激しい怒りと憎しみが沸々と湧き上がっていることを、対峙している間ずっと感じ続けていました。
 その「母を待つ少女」の奇岩の正体が、理亜の前に立っているあの女の子だったとは。
 確かに、理亜よりは少しだけ背が高く、幾らか年上かもしれませんが、まだ成人前の少女に見えます。その身体つきは華奢ですし、手足にしたって至ってか細いものです。もしも、この女の子が水を満たした水瓶を持って目の前を歩いていたら、きっと冒頓は手助けをしようと声を掛けるでしょう。
 もちろん、このヤルダンに入る前に、冒頓たちは「母を待つ少女」の奇岩にまつわる昔話を調べていました。いまヤルダンで生じている一連の不可思議な出来事と、その昔話に何か関わりがあるかもしれないとも考えていました。
 でも、「母を待つ少女」の奇岩に対する冒頓の意識に、その昔話が大きな影響を与えることはありませんでした。彼にとって「母を待つ少女」の奇岩は、ヤルダンの通行を管理している王花の盗賊団を襲う現実の怪異であり、自分の邪魔をするのであれば戦うべき相手でした。物語は相手に関する情報の一つでしかありませんでした。
 ところが、です。本来の姿である少女に戻った由を目の当たりにすると、冒頓の腹の中にあった彼女への敵愾心が、スッと小さくなっていくのでした。
 それは、冒頓だけではありませんでした。理亜と由を遠巻きにしている護衛隊の男たちの間からも、「おい、アイツが奇岩の正体らしいぞ」、「母を待つ少女っていうからには、アイツがずっと母ちゃんを待っていた女の子ってことか・・・・・・」という会話が漏れ聞こえては来るものの、彼女に走り寄ってその頭上に剣を振り降ろそうとするような者は、一人も出てきませんでした。





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