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月の砂漠のかぐや姫 第316話

 疲れ切って地面に座り込んでいた理亜でしたが、びっくりして反射的に立ちあがりました。それは、別の声が割り込んできたのをきっかけとして、その声の出どころから「辛い」だとか「絶望」だとかの感情が、一気に押し寄せて来たからでした。
 その声は彼女のすぐ後ろから聞こえてきていました。でも、後ろを向いた彼女の目に映ったのは、いままで彼女がもたれかかっていた砂岩の塊だけでした。ひょっとして、その後ろに誰かが隠れている・・・・・・、いいえ、それを確かめるまでもありません。理亜にはすぐにわかったのです。その声の出どころが砂岩の塊であることが。
 この広場に迷い込んだ時にはあまりにも疲れ切っていたので全く気が付いていなかったのですが、それは単なる岩の塊とは思えないほど、特徴のある形をしていました。改めてよく見つめてみると、月明かりに照らされて影を伸ばしているその細長い砂岩の塊にはくびれた部分がいくつかありますし、スッと地面から立つ砂岩の途中からさらに前方に飛び出した細い部分もあります。ああ、そうです。立ちあがっている理亜の横に砂岩が並ぶその様子は、ちょうど二人の少女が並んで立っているように見えます。そして、その前方に飛び出した部分は、何かを求めるように手を前に差し出しているように見えます。
 この奇妙な形をした砂岩の像こそ、有名なヤルダンの奇岩の一つで、「母を待つ少女」と呼ばれるものでした。精霊の導きか、それとも、悪霊のいたずらか、高熱に浮かされながらヤルダンの奥の方へと歩いていた理亜は、それとは知らずに「母を待つ少女」の奇岩が立つ場所へ入り込むと、その奇岩に背を預けて座り込んでいたのでした。
 理亜は自分の前に立つ奇岩の全体を、改めて見つめ直しました。夜空の下ではありましたが、月明かりがあるので、そのおおよその形は見て取れました。
 先ほどまで女の子の声が聞こえていたせいでしょうか、理亜の頭にはその奇岩が単なる砂岩の塊であるという考えはまったく浮かびませんでした。それどころか、高熱と疲れのせいで朦朧としている理亜の意識は、自分が女の子と向き合っているのか、それとも岩の塊と正対しているのかさえもが、はっきりと認識できていませんでした。彼女の心に浮かんでいたのは、「この子も、私と同じなんだナ」という思いだけでした。
 スウゥ・・・・・・と、冷たい夜の空気が理亜と奇岩の間を通り抜けていきました。
 それをきっかけとしたのでしょうか、ポツンと理亜がつぶやきました。
「だい、ジョウブ、ダヨ。王花さん、いるよ。オカアさん、いるよ」
 どうしてそのような事を自分が口にしたのか、理亜は王柔たちに説明できませんでした。なぜなら、それがあまりにも自然に自分の中からこぼれ出た言葉だったからでした。そして、次に自分がしたことについても、どうしてそのような事をしたのかについて、同じ理由で話すことはできなかったのでした。
「あの・・・・・・、お水、あげるネ・・・・・・」
 カサカサに乾いた声でそう呟くと、理亜は奇岩の足元にしゃがみ込み、王柔から渡された水袋の口を開けて、中に入っていた大切な水を少しずつ地面へ注ぎ始めました。
「ね、大丈夫ダヨ・・・・・・」
 もともと、大した量の水が残っていたわけではありません。理亜は皮袋に残っていた水を最後の一滴まで注ぎ出すと、自分に語り掛けて来た女の子を安心させようとするかのように、できる限りの優しい声を出しました。その行動は、理亜がはっきりと意図を持ってしたものではなかったのですが、混乱した様子の声の主を安心させたいという、優しい気持ちから生じたものであるのは間違いありませんでした。
 ただ、砂岩の像に水を与え終えてホッとしたのか、これまで高熱や無理な移動に耐えてきた理亜の小さな身体は、とうとうここで限界を迎えてしまいました。彼女は、この後すぐに意識を失ってしまったのでした。

 次に理亜が意識を取り戻して目を開けた時には、周囲はすっかりと明るくなっていました。ヤルダンの上空で冷ややかな白光を降らせていた月は既に地平線に没してしまっていて、直視すればたちまち目を傷めるほどにギラギラと輝く太陽が、ゴビの大地から夜の空気をすっかりと拭い去ってしまっていました。
 砕けた砂岩の粉で頬を黄白色に染めた理亜は、ゆっくりと上半身を起こしました。彼女は、ヤルダンの中では珍しく開けた一角で、一晩中横たわっていたのでした。
「あれ、しんどくないヨ?」
 周りには誰もいないのに、理亜は思わず声を上げてしまいました。
 どうしたことでしょうか。昨日まであんなに重くて動かなかった身体が、そんなことなどなかったかのように、自然に動くのです。それに、高熱のために頭がボウッとして、何も考えることができない状態だったのに、いまではしっかりと睡眠をとった翌日の朝のように、頭がすっきりとしています。もちろん、その原因だった高熱もすっかり治まっていて、熱っぽさなど身体のどこにもありません。もしも、ここに寒山なり王柔なりがいたとしたら、彼女の身体から風粟の病の症状が完全に消え去っていることに驚いたことでしょう。
 理亜は、頬に付いた砂粒を手の平で払い落とすと、勢いよく立ち上がりました。そして、上衣や下衣に付いた砂粒を落としながら、自分がどこに居るのかを確認するかのように、周囲をぐるりと見回しました。
 このヤルダンの広場に迷い込んで来たのは夜の事でしたし、そもそも理亜の意識自体が朦朧としていましたから、昨晩の周囲の状況がどのようなものかは、覚えていません。でも、理亜は気づきました。昨晩と今朝でここに大きな変化が起きているのです。
「あ、あれ? 無くなってルッ!」







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