月の砂漠のかぐや姫 第333話
羽磋や冒頓が知る「母を待つ少女」と理亜の性格は、一方が激しい怒りを、もう一方が忍耐強さと優しさを特徴とするものでしたが、元から二人が全く違った性格だったわけではなかったのです。
二人はどちらも優しい心を持った女の子でした。ただ、二人に共通していたのはそれだけではありませんでした。母親を目の前で失い、自分自身も通常では考えられないような辛い状況に落とされることで、どちらも心に深い傷を負ってしまったのです。そのため、「母を待つ少女」は精霊や他者に対して大きな怒りと悲しみを持つようになっていましたし、それは理亜の方も同じだったのでした。
月が天井から地上を見守る深夜に、精霊の力が支配すると言われるヤルダンの奥で、精霊に語り掛ける力を見込まれて奴隷として買われた理亜が、月の巫女の祭事でも執り行われる「水をゴビの大地に注ぐ」と言う行為をした結果、その同じような特徴を持つ二つの心が交じり合って一つになるという、超常の現象が生じたのでした。
そして、その交じり合った心は、また二つに分かれて「母を待つ少女」と理亜の身体の中に戻りました。でも、それらの心は、元と同じ色ではありませんでした。
「母を待つ少女」に戻ったのは、怒りの赤と悲しみの青が混じった、傷口から流れ出る血のような紫色でした。理亜の身体に戻ったのは、穏やかな温もりを感じさせる黄色と無垢な白色が交じり合った、月の光のような黄白色でした。二人がそれぞれ持っていた怒りや悲しみはまとめて「母を待つ少女」に、そして、強さや優しさはまとめて理亜に戻されたのでした。
理亜が「母を待つ少女」の奇岩の足元に水を注いだ直後から、少しの間二人の意識は途切れていました。それは、このように二人の心が身体の外に取り出されて、混ぜ合わされていたためです。そして、それが原因であるというからにはもちろん、二人の身体に再び心が戻された後には、二人は意識を取り戻すことができました。ただ、それは同時には起こりませんでした。やはり、風粟の病のせいで理亜の身体は弱り切っていたのでしょう。先に意識を取り戻して、ブルブルッと身体を震わせたのは、「母を待つ少女」の奇岩の方だったのでした。
あれ? 身体を震わせて?
そうです、この時からなのです、「母を待つ少女」と呼ばれる奇岩が、単なる砂岩の塊に過ぎないはずの身体を自在に動かせるようになり、さらには、他の砂岩の像を作り上げて、それに命令を与えて動かしたりできるようになったのは。
「母を待つ少女」自身も、始めは自分が動けるようになったことにとても驚きました。絶望した母親が目の前で地面の割れ目に身を投じた時も、彼女を止めるために走り出すどころか、その手と思しき飛び出た部分を母親に向けてわずかに動かすことさえもできなかったというのに。
それでも、この「魔鬼城」と人々に呼ばれるヤルダンの中で、気が遠くなるほど長い間立ち続けていた彼女は、精霊の不思議な力の働きを何度も感じ取ってきました。それにもちろん、自分自身がこうして砂岩の像となっているという事実こそが、精霊の力は人の想像を超えた出来事を実際に起こし得ることの証左でした。
手を振ってみたり足踏みをしてみたりして、動けるようになった自分に馴染みが出てくると、始めに感じた驚きはだんだんと小さくなっていきました。すると、勢いよく沸き上がってきた別の感情が、彼女の心の余白を一瞬で埋めてしまいました。それは、自分だけを特別に酷い目にあわせた、精霊や他の人々に対する激しい怒りでした。
自分の心の中ですから、「母を待つ少女」がその感情の出自を疑うことはなかったのですが、もちろん、それは彼女と理亜の二人分のとても強い怒りや憎しみであったので、彼女はそれに従って行動することに何のためらいも覚えませんでした。
「ああっ、精霊めっ。どうしてわたしだけを、こんなに辛い目にあわすんだ。人間もそうだ。どうして、わたしを助けてくれなかったんだっ。憎い、あいつらが憎いっ。そうだっ! 復讐だ! 絶対にあいつらに仕返しをしてやる!」
「母を待つ少女」は、奇岩として有名な自分を見物しにやって来る交易隊の男たちのおしゃべりを聞いていましたので、自分が人間として暮らしていた時からずいぶんと時間が経ったこの時でも、ヤルダンの近くに村がある事を知っていました。
「ひょっとしたら、それはわたしと母さんが暮らしていた村なのかもしれない。母さんとわたしを見殺しにしたあいつらの子孫が暮らしているのだったら、その村を襲ってやろうか。いや、まずは、ここを通る交易隊を襲って、自分に何ができるか確かめるか。それとも・・・・・・」
復讐の算段をしながら、「母を待つ少女」の奇岩は自分が立っていた広場から出て行こうとします。その時、彼女は自分の足元に小さな女の子が倒れているのに、気が付きました。
「人間だっ!」
反射的に右腕を振り上げる「母を待つ少女」の奇岩。
もちろん、その倒れている少女は理亜で、彼女と心を混ぜ合わせた後に分け合った少女です。でも、そのような事を、当事者である彼女が知る由もありません。
彼女の心の中では、精霊と人間への憎しみの炎が激しく燃え盛っています。相手が小さな女の子だろうと関係がありません。自分が精霊と人間に酷い目にあわされたのも、小さな女の子だった時だったではありませんか。
「母を待つ少女」の奇岩は、その右腕を理亜の頭に向かって振り下ろそうと、グッと力を入れました。
でも、それを振り降ろすことは、彼女にはできませんでした。それがどうしてだか、自分でもわかりません。ただ、月の光を受けてほのかな黄白色に染まっている理亜の顔を見ていると、どうしてもその腕を振り降ろすことができないのでした。
「そうだ、この子もわたしと同じように、母さんを捜しているんだったな」
結局、「母を待つ少女」は自分を納得させるために無理やりにでも理屈をつけて、理亜をその場に捨て置くことにしました。その後、彼女は復讐の相手を求めてヤルダンの奥へと去っていくのですが、自分に水をくれた少女の顔は強い印象となって心に残り続けるのでした。