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80以上の国と地域を訪問してきました

これまで80か国以上訪問してきました。
これはNewsPicksのNew Schoolのビジュアルコンテンツに参加した際に、
自己紹介用に作成したスライドの抜粋(ほぼ修正なし)です。
デザインや色使い等については完全な劣等生だったので、
そっち方面をご期待の方は、他のメンバーの作品をご参照ください。
スライドだけでは表現できなかった者に対して補足説明を入れてみたら、
思ったより長くなってしまいました。

最初の海外訪問は大学1年生の終わり、阪神大震災で壊滅状態の神戸を横目に友人と韓国へ。前年に開業したばかりの関空を利用しました。帰国翌日、お土産を渡していると、TVでは東京地下鉄でのサリン事件の報道が。そんな時代でした。

最初の海外ながら宿を予約せずに訪問。たまたま見つけた安宿の主人は、戦前生まれで日本名を持ち、日本語ができる方でした。統一展望台という北朝鮮を肉眼で見える場所に行くと、そこにたまたまいた韓国の同世代と仲良くなり、言葉も通じないのに数時間だべってました。この体験が海外旅行・訪問が生きがい の一つなった、大きな契機だったのは間違いないと思っています。

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結果、80を超えるの国と地域を訪問するに至りました。小国の多いヨーロッパと近場のアジアが大半です。近い将来、100ヶ国は達成したいと思ってましたが、近場で残っているのは北朝鮮、ちょっと離れてブータン、東ティモール、マーシャル連邦など。コロナ禍がいつまで続くかもわからず、意外と難易度が高いな、とも感じているところです。

201229_❷7大トピック

講師の櫻田さんからのアドバイスで、7大トピックを取り上げてみました。
過去の旅行暦を思い返す貴重な機会でした。
思い返すと色々なトピックがあり、7つをピックアップするに当たり結構頭を悩ましましたが、結果、ネタ的なものになると、アジア・中東がどうしても多目となりました。

時系列はバラバラなのですが、以下7つのトピックを取り上げました。
❶ペンギンと散歩@パタゴニア
❷空港で賄賂体験@バングラディシュ
❸サハラ砂漠で雑魚寝@エジプト
❹パルミラ遺跡@シリア(訪問の半年後、イスラム国が破壊)
❺インドで拉致軟禁
❻高山病で入院@チベット
❼ニイハオ・トイレ体験@中国

一つ一つが書き記すと長いのですが、一番ネタとしてわかりやすい、
以下を取り上げることにしました。

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7つのトピックの中で、敢えて一つを取り上げるということで、
チベットで入院をした話を取り上げました。今だに人生で唯一の入院です。
スライドでは伝えきれなかったため、以下補足を付け加えます。

(①の前の補足)

訪問当時は青蔵鉄道が開通する前だったため、チベットに行くには飛行機かバスという当局が規定した2種類しかありませんでした。学生の貧乏旅行であり、かつ当時はユーラシア大陸を陸路で1周したいという目的をもっていたため、当然のごとくバスを選択。

バスのルートは、ゴルムドというふもとの街(といっても高度3,000m)から5,000mを超える山を2つ超えて、3,800mのラサというルート。
順調にいけば28時間。ただ、道路は舗装されておらず、雨が降ると60時間程度かかると言われておりました。丁度、訪問した際は大雨の後。先行きを暗示するものでした。

また、チベット省に行くには入省料が必要というルールが当時あり(今はわかりません)、中国人だと3,000円程度で行けるものの、外国人は20,000円。
同じ黄色人種だから何とかなるだろう、という浅はかな若気の至りで中国人料金のチケットを購入。そそくさとバスに乗り込み、昼間でしたが疲れていたのか眠りこけていました。

①省境で密航がバレ強制送還
(お金をケチり中国人のフリをしたが失敗)

ポンポンと肩を揺らされて、ハッと目を覚ますと制服の中国人が目の前に。
どうやら、省境の検問書の役人のようだ。でもこちらは寝ぼけた状態。
そこへ、中国語でマシンガンのように詰問が。当時は中国語が全然わからなかったため、何も反応できず、ただうろたえるのみ。

相手は確信をしたようで、指でバスを降りろ、と指示。ジェスチャーでも通じるものだと変な関心をしながら、已む無くバックパックを抱えてバスを降るしかなし。指示されるがままに公安の車に乗らされて、強制送還に。能天気な学生ながら、おそらく死ぬことは無いだろうと腹をくくり、運を天に任せるしかありませんでした。

検問所の車で再び麓町のゴルムドまで連れ戻され、役所の建物に。5,000円程度の罰金を支払い、中身の全然わからない書類にサイン。その後無事釈放されました。

②出発地点に戻り、知り合った2人の日本人と再出発

已む無く、前日宿泊した安宿(1泊300円程度のドミトリー)にとぼとぼと戻りました。宿の主人から「お前チベットに行ったんじゃないの?」と笑われる始末。前日と同じ大部屋に戻ると、そこには前日はいなかった2人の日本人が。ここでの出会いが、今でも何とか生き延びられている1つの大きな要因でした。

 その少し後に、前日に同じ宿からルールでは認められていない「自転車」でチベットに行くと言っていたオランダ人のおばちゃんも強制送還され、宿に戻ってきました。「中国政府はおかしい、時代はグローバルで私は地球人なのだから、私には自転車でチベットに訪問する権利がある!」となかなか怒りが収まらぬ様子。
 世界には色んな国があって、色んな人がいるもんだ、と感じた原体験の一つです。その後、彼女がどういう選択をしたのかはわかりません。

当時の日本人バックパッカーで、ゴルムドの街に来る理由は1つ、チベットにバスで行く、という目的のみ。2人の日本人と相談の上、翌日 外国人料金でバスのチケットを買って、チベットに向かうことに。眠りにつきますが、この頃から何となく熱っぽいな、という感覚はありました。が、当時は体力に絶対の自信があったため、あまり気にすることはなく、これがあと一歩で命取り、という事態を招く伏線となりました。

③途中の5,500m付近で意識を失う

20,000円を払い、3人でバスに。今度も体調不良もあってか、ずっと眠りこけていましたが、どうにもこうにも体に力が入らない。後から考えると当たり前なのですが、高山病の典型的な症状でした。トイレ休憩(といってもトイレは無い)の際に、用を足すにも体に力が入らず、1点に全ての力を集中させて、何とかしのぐという対応に。気だるさの極致のような状態のまま、バスに戻って再び眠りにつきますが、それから目を覚ますことはありませんでした。。。

④同行の中国留学中の方に助けられる

ふと目を覚ますと目の前に同行の日本人2人が。周りを見回すと自分は病院のベッドに寝ており、入院していることに気づきました。説明を聞くと、
・凡そ2日間、目を覚まさなかったこと。
・バスは雨の影響で大幅に遅延していたこと。
・自分が次のトイレ休憩の際に全く反応せず、眠ったままで、 
 揺らしても、ビンタしても全く目を覚まさなかったこと。
・已む無く、その場で、運転手に告げ、救急車を呼んでもらい、
 一緒にバス  を降りて、病院に搬送してくれたこと。
・病院についてから、人工呼吸器をつけて、色々と注射を打たれたこと。
・チベットの辺境の病院で、衛生観念も高くないため、注射器も使いまわし
    たものではなく、新しいものを使うように指示してもらっていたこと。
これらのことも、たまたま同行の方の1人が北京で漢方学の勉強をしていたため、中国語で指示して頂けたとのこと。高山病とエイズの2つのリスクから助けて頂いた次第です。

⑤1週間入院後、無事退院
(2週間後、普通に歩けるように)

フラフラになりながら、何とか立ち上がるまで3日。
ヨボヨボながら一人で歩けるようになるまで更に3日。
結局、1週間の入院でした。

また、その街からの移動をどうするか、の判断が必要でした。
病院の人から示された選択肢は2つ。
①同じバスのチケットを再度購入して、ラサに向かう。
②ランドクルーザー(トヨタ)をラサから呼び寄せて、ラサに向かう。
自分の体調を考慮し、②を選択。入院代とランクル代で計2万円程度。
(後日、北京で保険会社を訪問し回収できました)
ランドクルーザーは快適で、バスだと数十時間かかるところが、8時間で走破。最初からこうしておけばよかったと思ったものの、後の祭り。今から思うと貴重な経験です。

(補足②)

ラサについてからも普通に歩けるようになるまで、更に1週間。
その間、歩けないので、馬に乗ってチベットの山間を行くツアーに参加したり。少し回復してから世界遺産のポタラ宮を訪問したり。

その後、北京からシベリア鉄道に乗って、モンゴルで乗馬を満喫、バイカル湖で湖水浴をした後、モスクワ経由でフィンランドに。7大トピックの3番目にあげているサハラ砂漠で雑魚寝、という経験もこの一連の旅行です。結果、半年ほど旅をしたことになります。よく体力が回復したものです。

最後に

本末転倒で、単なる旅行記になってしまいました。
いかに情報をそぎ落として、ビジュアルでどう伝えるか、
という課題は改めて難しいな、と感じています。
我ながらテーマも内容もバラバラですが、今後もぼちぼちやっていこうかと思っています。



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