やかたで暮らせば;おもむろに、書き始めてみる。
やかたは、京都の北の方、しずかな住宅地に突如現れる。
やかたは、可愛らしい見た目をしている。
低めの2階建て。瓦屋根。赤茶の小さめのタイル壁に窓が多めに配置され、以前はちゃんと和紙が貼ってあったのだろう障子戸が重なる。
正面扉の取手はアイアン製のリング。開閉するとその振動でガラスが揺れて木枠と当たってカタカタ音が鳴る。その両脇にはまんまるお月さまのような門灯がついていて、暖かく光る。
そんなやかたには、愉快な人たちが暮らしている。
わたしは自分が愉快な人間だとは思わないけれど、幸運にも、愉快な人たちに紛れて、一緒にやかたで暮らしている。
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わたしがやかたに来てちょうど3ヶ月。
まだ3ヶ月、されど3ヶ月。
とにかく、濃密だった。
あまりにも人間らしく、面白く、泥臭く、美しい(ちょっと言い過ぎか。)場面がこの3ヶ月間だけでいくつあっただろう。というより、毎日、そんなことばかりに思われる。
やかた、やかた言っているがつまり家であり、24時間365日家にいるわけがなく、むしろ社会的活動は家の外に出て展開されている。
しかし、やかたというのはすごいもので外にいようが内にいようが、やかたの出来事がわたしの中の大きな部分を占めているのだった。
毎日、人間らしく、面白く、泥臭く、美しい場面がポッと手元に降りてきて・受容し・流れ。
また降りてきて・受け止め・流れ…のくり返し。
わたしはそれを、最近勿体ないと感じるようになった。
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血の繋がりは然ることながら、職場も、学校も、なにも重なることのなかっただれかと、偶然住まいを共有している。
なのに、ここにはわたしたちの生活がある。
わたしたちの生活、がある。
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わたしはわたしのために、記録をはじめる。
でも多分、ほかの誰かのためにもなる。
今日のこと、結構前のこと、先週のこと。
ばらばらと、ポツポツと、
おもむろに書き始める。