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おとなりの国のことば

いつもの「ひとりごと」ですので気にしないでください。
とある新聞社には本当にお世話になりました。
学生になれたのも、卒業できたのも、その新聞のおかげです。

読書も新聞も、いろんな人に大きな影響を与える時代にぼくは学生でした。
もちろん知らないうちに大きな影響をうけて、考え方もそれに沿ったものになるときもありましたが、大人になるにつれ、少しずつ軌道を修正してきました。いま半世紀をいきて、中庸にもどったといえるのかもしれません。

韓国を訪ねたのは、昭和時代の戦争を知るためともいえますが、なんとなく自分の根源がそこにあるような気がしたことも影響しています。本当になんとなくです。

「独立記念館」を訪ねたことで、過去と未来の築き方を考えました。いつか言葉にできるかもしれませんが、いまここでは、これだけ。未来のためにできることはなんだろうと、漠然と思った記憶があります。30年近くも前のことですので、記憶はあいまいです。

とにかく関釜フェリーで釜山にわたり、ソウル、天安、慶州を旅しました。まだ、日本語で話しかけてくださるお年寄りも多かったころです。そのとき、いつかこの国の言葉を話せるようになろうと思った記憶は鮮明です。言葉を知らねば、いくら旅をしてもわからないことばかりだから。

昨年まで5年間、つづけて韓国で「玉手箱」をひらいてきました。ようやく軌道に乗ったのですが、いまは中断しています。もちろん事態が好転すれば、かならず再開すると、自分のこころに誓っています。

いつか、突然、韓国・華城(ファソン)の方から「大門玉手箱」について話をしてほしいというご注文が舞い込みました。不思議ないきさつははぶきますが、喜んでお受けしました。数か月後、本当に日本を訪問され、奈良でお話をいたしました。みなさん熱心に聞いていただき、再会も約束しました。

昨年、大邱で玉手箱をひらいた際に、ファソンへも招待していただき、ホームステイまでさせていただいて、おもてなしを受けました。みなさん本当にこころから歓迎してくださり、恐縮してしまいました。うれしくて、涙が出そうでした。みなさん元気にお過ごしでしょうか。

少しでも多くその国の言葉で話したいという思いから、ほんの少しずつではありますが、韓国語を耳にならしています。語順が日本語と同じなので、学びやすいともいわれいていますが、言葉はやはり時間がかかりそうです。

『ハングルの世界』(金両基著)という本を読みました。ハングルの世界観が余すところなく語られる名著だと感じます。ぼくはまだ、森の入り口に立ったばかりですが、勇気を出して踏み込んでいこうと思います。お隣の国は、本当に近くにあるのですから。

いつかかならず、素晴らしい未来がくると信じています。
そのときのための準備を、のんびり、やすまず、ささやかにつづけます。




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