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明るい未来の御話をしよう

どうも、きっとラットを改め、bochansのKEIです!

bochans


…..といっても、僕は数ヶ月前からbochansのKEIを少しずつ馴染ませていたのですが、これを読んでいただいている多くの方にとって、まだ馴れないものですよね笑
大丈夫です。気づいたら自然としっくりきていると思います

7.17のインスタライブで、自分の口から色々とご報告させていただきましたが、改めて文章にも残しておけたらと思い、今言葉を綴っています。

これからは、明るい未来の御話をしよう。
そのために僕の中で少しばかり過去を振りかえろうと思います。僕の思考をそのまま言葉にするので、堅苦しくて難解な文章になってしまうとお思いますが、どうか読んでいただけると嬉しいです。

この2年間は、正直なことを言うと、とても苦しい時間でした。
大袈裟に言うと『自分がなぜ生きているのか』ということが本当に分からなくなり、悩んだことも少なくなかったです。(ポジティブなエネルギーを伝えることが自分の使命であり、自分自身の歓びなのにも関わらず、このような言葉を使ってごめんなさい)

自分の心の内側にいる“自分らしきもの“と、これでもかというほど向き合いました。1人でいる時間があまりにも長かったので。
そこで自分自身の色々なことに気づくこともできたし、自分でありありと実感するほど数年前とは全く違う解像度で世界・人の心を見つめることができるようになりました。

同時に視力が良くなりすぎたことで、臆病にもなったりしました。

大人になっているとも言えるし、それは成熟とも表現できる。一方で無知ではなくなってきている・勢いが失われていることともいえる。

人生は常に等価交換だと感じます。だとしたら僕はこの数年間で、何を得て、何を失ったのだろう。

『僕はなぜ生きるのか? 』という問いは
僕は何に生かされているのか?』と変換できると思います。

結論、僕は“歌“に生かされています。
比喩表現などではなく、言葉の意味そのままです。

では、なぜ歌に生かされているのか。
歌というエネルギーが世界・人にぶつかって反射し、そのエネルギーが自分に返ってくることで、自分を認識できるからです。
何言ってるか分からないですよね。。笑
一応図解するとこんな感じなのですが。。

自分が外に向けたエネルギー(歌・言葉など)のリフレクションで、自分を初めて認知できる

人は1人では絶対に生きていけないと思います。だからみんな何かしらの形で、他者にエネルギーをぶつけることで、自分を認識して、生きています。
過度に自分の内側に目を向けると、自分の輪郭がぼやけていくのだと思う。

僕にとって、それが歌なんです。自分が生きていることを実感できる。そのさきに本当の意味で、自分の輪郭が溶けて、世界と一体化できる。

もっともっとわかりやすくいうと、みんなの喜ぶ顔=ポジティブなエネルギーの反射で、僕は元気になる生き物なんです。

それを真の意味で実感できたので、この2年間は今思うと素晴らしい時間だったと思います。


さぁ明るい未来の御話をしよう。

僕は、bochansで、みんなが笑うシーンを探していきたい。

笑うってすごく人間的な営みだと思うんです。
・芸人の漫才が面白すぎて腹を抱えて、笑ってしまう
・あまりにもあっけない恋の結末に、笑ってしまう
・仕事帰りに何気なく見上げた空が綺麗で、笑ってしまう
・怒りを通り越して呆れて、笑ってしまう
・感動のあまり泣きながら、笑ってしまう

全て笑っているけれども、全然心の動きが違う。喜怒哀楽、それぞれの笑いがあるんです。

僕はたくさんの笑いを、僕の魂に刻みつけたい。実感したい。
それが僕を生かしてくれると、僕は気付けたから。

そして、そのとてもエゴイスティックな営みが、他の誰かを生かすのなら、それほど嬉しいことはないです。

ずっと意味不明なこと言ってますね笑
でもまぁそれでいいです!笑
これは僕の中での整理であり、所信表明なので。

これから頑張っていきますので、皆さんbochansをどうか応援よろしくお願いいたします!!

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