忘却力を高めたい【癒しの里 名張の湯@三重県】(1/2)
僕は他の人よりも記憶力が高いほうで、特に映像記憶能力に関しては驚くほどの才能を持っている自負がある。映像記憶能力とは、「写真記憶」「直観像記憶」「カメラアイ」などとも呼ばれ、要するに見たものをそのまま映像のように記憶することができる能力のことだ。
もちろん、覚えようと思わなければ覚えることはできないのだけれど、普段から周りの出来事に注意を払ったり興味を持ったりしながら生活していることもあって、日常的に目で見た光景はある程度思い出すことができる。一方で、興味が持てないものに関する記憶力はほとんど機能していないので、歴史の教科書は何度読んでも覚えられなかった。
僕はこの映像記憶能力について、その使い道を見出せずにいた。強いて言えば、たとえば芸能人がSNSに投稿している写真のほんのわずかな一部分のみから撮影場所を特定できてしまうとか、一度通った道はだいたい頭の中に映像として残るので迷子にならないとか、その程度だ。
そこで、ようやく最近この能力について調べてみたところ、僕は少しだけ衝撃を受けることとなった。実は、映像記憶能力が高い人というのは発達障害の可能性があるそうだ。要するに、特定の記憶力が極端に高くなってしまっているために、それによって生活に支障が出ることがあるらしい。記憶力が高いということは、「忘れることができない」とも言えるのである。そもそも、発達障害とは脳機能の発達に偏りがあることを指すそうだけれど、そう言われてみると確かに否定はできない。
僕は「たいていの嫌なことは寝れば忘れる」という人のことをずっと羨ましく思っていた。概してそういう人は普段から忘れっぽいのだけれど、それを加味しても僕からすれば憧れの対象なのだ。なぜなら、僕にとっては嫌なことほど映像で記憶に残りやすく、それがトラウマのようになって判断力や行動に制限がかかることもあるためである。
それに比べると、もちろん全員がそうであるというわけではないのだが、忘れっぽい人は過去の記憶に頼らず、目の前の事象を素直にそのまま受け入れ、柔軟に対応ができている人が多いように思う。だから、過去にとらわれずに新しいことに挑戦ができるのだろう。
では、なぜ僕に映像記憶能力が備わってしまったのか。その問いへの答えはいくつか可能性が考えられるものの、その一つに防衛本能が挙げられる。自分が過去にさらされた脅威を記憶し、忘れないようにすることで、類似した危険を回避しようとするシステムだ。ストレス耐性が弱い僕にとって、いかにストレスを減らしながら生きられるかは人生の命題なのである。
つまり、映像記憶能力が高い人間というのは、前向きに捉えるのであれば「リスクに対して無意識に十分な備えができている」とも考えられるのではないか。その一方で、忘れる能力(※僕はこのことを「忘却力」と呼んでいる)が高い人間というのは、果敢にさまざまなことに挑戦できる行動力が備わっているものの、必要以上のリスクを取りに行ってしまう可能性も考えられる。その分、多くの経験値を獲得できるのだが。
そう考えると、どんな強みも弱みとは紙一重なのだろう。わかりやすいところでは剣なんかが挙げられる。剣は身近にいる相手に瞬時に攻撃を与えることができる武器ではあるけれど、遠くにいる的には攻撃できない。一方で、弓矢は遠くにいる相手に攻撃を与えることができるけれど、手が届くほど近くに敵がいる場合は逆に不利になりかねない。では銃は万能なのではないかと思いきや、これまた弾数が有限なので、弾が切れてしまえばほとんど使い物にならない。どれも状況に応じた向き不向きがあり、万能な武器など存在しないのだ。グーはパーには弱いがチョキには強く、チョキはグーには弱いもののパーには強い、ということである。
ただ、やはり隣の芝は青く見えるもので、どうにか忘却力を高められないものかと考えてしまう。以前は忘れっぽい人に対して「どうしてそのくらいのことも覚えられないのか」と見下すような態度を取ったこともあったのだけれど、実はこれこそが僕にとって必要なスキルだったわけである。どんな強みも弱みも、見方を変えれば真逆の特徴になり得る。絶対的に優秀な人間がいないように、絶対的に劣等な人間というのも存在しない。
ーーこのバランスをうまく取れないものだろうか……。
そんなことを考えながら、僕は三重県内で電車に揺られていた。8月2日(火)の天気は、気持ちがいいほどの快晴だ。
ーー後編に続く
(written by ナオト:@bocci_naoto)