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経験と対価【アダムアンドイブ@西麻布/広尾/六本木】

 ある日、買い物をしていて気付いたことがある。幼い頃は百円の買い物をすることでさえ躊躇していたこともあったけれど、大人になってからは当たり前のように千円程度の買い物をするようになっていたのだ。となると、もしかしたら今の時点で「高い」と思う買い物であっても、自分が成長すれば高い買い物ではなくなっている可能性がある。

 この理由はいくつか考えられるけれど、たぶん自分の中で百円の価値が下がったのではないかと思う。
 たとえば、RPGで自分のキャラクターの最大HPが50だった時は、20のHPを回復できるアイテムの価値は大きかったかもしれない。でも、次第にキャラクターの最大HPが100、500、1,000……と増えていくうちに、同じアイテムを手に入れたとしても、さほど喜ばなくなっている。その時に嬉しいのは、20ではなく50や100のHPを回復できるアイテムだ。ドラゴンクエストシリーズの生みの親である堀井雄二さんは「人生はロールプレイング」と語っているが、まさにその通りなのかもしれない。

 そう考えると、今は「高い」と思っている買い物も、歳を重ねてさまざまな経験を通して価値観が変化した時に「安い」と感じる時が来るかもしれない。逆に、今使うことができる回復アイテムを「もったいない」という理由で使わずに取っておいたら、その価値は次第に下がっていくかもしれない。つまり、お金を理由に目の前の経験を逃すことは、人生において大きな機会損失になるのではないかと思う。
 それに気付いた時、僕の決心は固まったのであった。

「行ってみよう。西麻布にある、あのサウナに」

 今日は3月22日(月)、天気は晴れ。今週末には桜も満開を迎えるのではないだろうか。僕は荷物をまとめて自宅を飛び出し、その移ろう季節を感じながら目的地を目指した。そして辿り着いた場所は、周囲の建造物と比べて明らかにインパクトが強く、異彩を放っていた。

「目を引くビジュアルだな〜」

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 そう、今回僕が訪れたのは西麻布にあるアダムアンドイブ、通称「アダイブ」だ。アダイブは同じ建物内で男性側の「アダム」と女性側の「イブ」とでエリアが分かれていて、その土地柄か芸能人も多く通っていることで有名である。また、全国的にサウナでは定番のドリンクである「オロポ(※オロナミンCとポカリスエットを混ぜたもの)」は、ここアダイブが発祥とされている。
 僕がアダイブに到着したのは午前9時半ごろ。まずは受付がある2階を目指して階段を上り始めたのだが、ここまで鋭角な建物は久しぶりに見た。

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 ちなみに、アダイブはサウナ施設ではあるが、それと同じくらい力を入れているのがアカスリやマッサージのサービスである。もちろん別途料金が必要になるのだが、これらを目的に訪れるお客さんも多いという。

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 階段を上るとすぐ右側にアダム側の下駄箱があり、その反対側にはイブ側の下駄箱がある。

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 受付は男女同じだ。僕はここで通常入浴(7時間)コースを利用したい旨を伝えると、ロッカーキーを渡された。なお、料金は後払い制なのだが、アダイブの基本料金は税込3,990円と全国的に見ても高額な設定だ。月曜日と火曜日は若干割り引かれて2,940円になるとはいえ、普段は数百円で銭湯サウナを利用することが多い僕としては尻込みしてしまう金額である。
 僕がアダイブの利用をしばらく躊躇していた一番の理由はこれだ。ただ、お金を理由に目の前の経験を逃すことは、人生において大きな機会損失になる可能性が高いことに気付いた僕の意志は強かった。

 受付の両脇には通路があり、ここから先はアダム側とイブ側とでエリアが分かれている。一瞬どちらの通路を進んで良いのか戸惑ってしまったが、下駄箱があったほうと同じ右側に進むように促された。

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(アダムアンドイブ公式サイト: https://www.adamandeve.biz/adam/ )

 その通路の先には、ドーナツ状に設計されたロッカースペースがあった。ここで驚いたのは、明らかに芸能人だと思われる方々の名前が書かれた個人用のロッカーが多数設置されていたことだ。頻繁にアダイブを利用する場合、いつでも手ぶらで来ることができるように私物をそのロッカーに預けておくことができるのだろう。

 受付で渡された鍵を使って指定されたロッカーを開けると、その中にはあらかじめガウンとバスタオルが用意されていた。浴場はロッカールームのすぐそばにあったので、僕は服を脱いでロッカーに荷物をしまい、ガウンを羽織ることなくそのままさらに奥に進むことにした。
 ロッカールームから浴場までの途中に設置されているメタルラックにはフェイスタオルやサウナパンツ(※パリッとした布製の生地でできた水着のような物)などが積まれているのだが、アダイブの浴場ではほとんどのお客さんが全裸ではなくサウナパンツを履いた状態で過ごすらしく、僕も履かせてもらうことにした。局部を隠した状態で入浴ができる点も、アダイブが芸能人に好まれている理由の一つなのだろう。なお、浴場のドア付近にはロッカーとは別に棚があるので、ここにバスタオルやガウンを置いておくと入浴後の休憩にスムーズに移ることができる。
 諸々の準備ができた僕は、いよいよ浴室への扉を開けた。

「なるほど〜。シンプルな構造だな」

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(アダムアンドイブ公式サイト: https://www.adamandeve.biz/adam/ )

 浴場の中心にはお風呂と水風呂が並んで設置されているのだが、水風呂のほうがやや大きく感じた。サウナ室はドライサウナとスチームサウナの2種類があるようだ。ずらりと並んだシャワーの裏側には広々としたアカスリ用のスペースが確保されていて、そこには施術用のベッドがたくさん並んでいた。
 そして驚いたことに、噂通り本当に浴場内にスマホを持ち込んでいる人がいたのだ。サウナパンツを履いて過ごすことができる(※履かずに全裸の人もいる)店舗だからなのか、浴場内にある休憩用の椅子に座っている2人組の男性客がスマホを操作しながら談笑しているのである。しかも、その様子を見かけたスタッフもなにも注意をしていない。この光景は衝撃的だった。

 僕はさっそく身を清めてお風呂に入ることにした。サウナパンツを履いたままの入浴は、まるで温水プールに入ったかのようで、その普段の入浴とは異なる体験に僕の気分は高揚していた。

「では、行きますか」

 僕はお風呂から立ち上がり、全身の水分をタオルで拭き取ってからドライサウナの扉を開けた。

「うおおぉぉぉぉおおお!! 味があるサウナだ!」

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(アダムアンドイブ公式サイト: https://www.adamandeve.biz/ )

 サウナ室は2段構成で、10人程度がゆったり座れるほどの広さがある。先客は1人。といっても、そもそも浴場全体で僕の他にお客さんは3人程度しかおらず、今のところ快適に過ごすことができている。温度は96℃と十分な熱さ。テレビやBGMは無く、そこにはサウナストーブの熱がぱちぱちと弾ける音だけが響いている。
 僕はサウナストーブに近い上段に腰をかけて、その薄暗く落ち着いた空間でじっくりと蒸されることにした。それから数分が経過した時、週刊誌を手にしたお客さんがサウナ室の中に入ってきた。たしかサウナ室のドア付近に掲示されていた注意書きでは雑誌類の持ち込みは禁止されていたはずだが、これも噂通り常態化しているようだった。さすが「日本一自由」と言われるだけのことはある。ちなみにタトゥーもOKだ。

 そんなサウナ室に入ってから10分ほどが経過したところで、僕の心臓の鼓動は激しくなり、全身から大量の汗が流れ出すようになっていた。

「そろそろ出よう……」

 僕は立ち上がり、サウナ室を出てシャワーで汗を流してから水風呂に肩まで沈み込んだ。

「うおおおぉおぉぉぉおお!! つめたっ!!」

 温度計は設置されていないので正確な水温はわからないけれど、体感では14〜15℃前後だ。キンキンに冷えている。バイブラは無いが、そんなことはおかまいなしに僕の体は急激に冷やされていった。できれば1分程度は浸かりたかったが、30秒が限界だった。心臓の動きと呼吸は徐々に落ち着いていき、体が少し震えを感じ始めたところで、僕はゆっくりと立ち上がり、窓際にある ”ととのい椅子” へと向かった。
 閉まっていた窓をそっと開けると、おそらく浴室の気圧が低いからか、外から勢いよく冷たい空気が入り込んできた。椅子に座り、その風を全身で受け止めながら深く呼吸をすると、次第に頭の中がぼーっとしてきて、なにも考えられなくなっていったのだった。

「めちゃめちゃ気持ちいいな……」

 そこでしばらく休憩をしてから、今度はスチームサウナに向かった。こちらは以前に韓国で体験した「よもぎ蒸し」を思い出すような、ヨモギの香りを纏った熱蒸気で満たされた小部屋になっていた。
 室内には椅子が4人分設置されていたので、僕はそのひとつに腰をかけ、頭を壁にもたれかけさせながら、まぶたを閉じて鼻からゆっくりと息を吸い込んだ。体感では50〜60℃程度と低めの温度ではあるけれど、薬草のような独特な香りを感じながら大量のスチームを全身で浴びていると、じんわりと汗が出始めた。とはいえ、ドライサウナのような身体的な負担は少なく、時間を忘れていつまでもそこにとどまってしまいそうになるほど居心地がよかった。

「なんだろう、このリラックス感は……」

 気付いた時には、僕は少しうとうととし始めてしまっていた。その中毒性の高さに危険を感じた僕は、頃合いを見計らってサウナ室を出て、シャワーを浴びてから水風呂を介さずに ”ととのい椅子” へと直行した。スチームサウナは居心地が良かった分、体はそこまで熱せられていなかったためだ。といっても、大量の熱蒸気を受け続けた後に浴びる冷たい外気のあまりの気持ちよさに、僕は自然と恍惚とした表情を浮かべていた。

 それから何度かサウナをいただいた後に、いったん浴室を出て1階にある休憩室で休むことにした。この時にガウンを羽織ったのだけれど、厚みのあるふかふかなパイル生地の手触りと着心地の良さが印象に残った。

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 休憩室にはリクライニングチェアやソファが大量に置かれていたのだけれど、公式サイトで事前に確認していた写真よりも薄暗かった。というか、仮眠室かと思うほど真っ暗で、渋くてディープな雰囲気が漂っていた。
 ここでは軽食から食事まで幅広く韓国料理を味わうことができるのだけれど、その料金は相場の1.5〜2倍ほどの設定だ。さすが港区西麻布。空腹であれば何かしらをオーダーしていたかもしれないけれど、幸か不幸かこの時の僕はそこまで空腹ではなかったので、溜まっていた業務連絡に返信しつつ休憩を取ることにした。

 しばらくそこで休んでから再び浴場に戻ると、先ほどよりもお客さんが増えて、サウナ室の中も常に5〜6人程度が利用する状態になっていた。やはり先ほどと変わらず浴室内にスマホを持ち込んでいるお客さんも、サウナ室内で雑誌を読んでいるお客さんも散見された。それが異様な光景であることは間違いないのだけれど、その文化に触れることができて良かったと思う自分がいたのも確かだ。

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 一通りアダイブを堪能させてもらったところで時計を見ると、予定していた7時間を迎えようとしていた。僕は浴室を出て手荷物を整理してから、受付で料金を支払ってアダイブを後にした。

 アダイブはサウナ施設としてはかなり高額な価格設定だ。ただ、この独特な世界観と魅力は体験した人でなければわからない。今日の経験が僕の価値観になんらかの影響を与え、そして今後の人生のどこかで活かされる日が来るのだろうと想像すると、それだけで生きるモチベーションが湧き上がってきたのであった。

(written by ナオト:@bocci_naoto)

YouTube「ボッチトーキョー」
https://www.youtube.com/channel/UCOXI5aYTX7BiSlTt3Z9Y0aQ


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#連続サウナ小説 『ボッチトーキョー』byナオト
①僕たちは自費でサウナに伺います ②それでお店の売上が増えます ③noteを通して心を込めてお店を紹介します ④noteを読んだ方がお店に足を運ぶようになります ⑤お店はもっと経済的に潤うようになります ⑥お店のサービスが充実します ⑦お客さんがもっと快適にサウナに通えます