海賊の時間2024版を観て
クラスと出席番号と自分の名前が後に続きそうなタイトルですいません。まさか子どもの頃あんなに書くのが面倒くさかった読書感想文を自ら書きたくなる日が来るとは。まあ正確には観劇感想文だけど。
2024.8.18、下北沢の駅前劇場にて劇団イン・ノート第10回公演「海賊の時間 」2024版を観劇した。「海賊の時間」は自分にとっても思い入れの強い作品です。
この作品は2021年に初演が上演されている。初演時の劇場は2024版駅前劇場のお隣、下北沢OFF・OFFシアター。
何を隠そう私はこの初演にサンダンス役として参加させてもらっていた。はじめてちゃんと宛書をしてもらった作品で、座組のメンバーともすごく仲良くさせてもらっていたこともあり、自分の中で特に印象に残っている公演の一つだ。個人個人でご飯に行ったり、ポケモン交換したり、座組メンバーみんなで公演後にディズニーに行ったりもした。そんな思い入れのある初演からおよそ3年の時を経ての再演、これはもう観に行くしかありません。
会場に入って劇場のにおいを嗅いだ時、初演の時の記憶が蘇ってきた。ああ、あの時は大変だったけど楽しかったなぁ。
自分は恥ずかしがり屋なので自由席になっているときはたいてい後ろの方の席に座る。役者と目が合ったら恥ずかしいから。「この人頑張って演技してるけど今自分と目が合ってきまずいだろうなぁ~」とか余計なこと考えちゃうから。なるたけ目の合うリスクの低そうな後ろの席に座ります。あとなんか前の方の席に座って役者からいじられるシーンとかあったらやだなぁとか思って後ろの方に座ります。
後ろの方の席に座って、前の人たちの頭の隙間から舞台が見える。視界が遮られることは本来マイナスであるのだろうけど、これがライブ感、生感を演出していることも間違いない。定点、遮られる視界、座っていることによるお尻の痛み、隣の人の咳払い、そういった一見取り除いた方が快適になりそうな要素も「演劇を劇場で観る」という特別感を演出しているのだろうと勝手に思っている。
開演時間になり劇が始まる。劇場が暗くなり波の音が流れる。そうだ、こうやって始まったなあと懐かしくなった。そして次々と役者が出てくる。登場からわかった。あ、この人たち上手い人たちだ。動きが違う。たくさん稽古に臨んだ上手い人たちだ。
あの頃自分が乗らせてもらっていた劇団イン・ノートという船は、果てなく険しいプロという大海原へと出航していた。
自分でも驚いたが、3年も前の作品なのにほとんどの台詞を覚えていた。あの頃朝から晩まで何度も何度も稽古していたから頭のどこかにこびりついていたのだろう。
そんな台詞をあの時とは違う人たちが舞台上で話している。知っている台詞なのに声が違う。不思議な感覚だった。脳内で初演の時のキャストの声で再生されたりもした。どっちが上手いとかどっちが下手とかそういう話ではない。懐かしいのに新しかった。
これは我ながらクリティカルな表現を見つけたなと思って随所で話したりしたのだけど、ポケモンのリメイク版を遊んでいる感覚に一番近かった。何度も何度も遊んだ原作のリメイク版を時を経て遊んでいる感覚。新要素に懐かしさと新しさを感じる感覚。うわぁ、メガシンカしてる~みたいな。まさにアルファサファイアを遊んでいるときと同じ感覚だった。
約2時間の劇が終了した。新しい演出、素敵な役者の皆様、言わずもがな素晴らしい脚本、大満足の観劇だった。個人的なこと言うと、ベルチ役の幡美優さんがかっこよくて綺麗で面白くてツボでした。大事な場面になると髪をかき上げる演技とかかっこよかったぁ~。役者面会があったので話しかけたかったのだけど、先述の通り恥ずかしがり屋のため、知り合いの照明さんについてきてもらってなんとか声かけさせてもらった。なんて声かけさせてもらったか全然覚えてないけど本当に気持ち悪かったと思います。ごめんなさい。
そんな大満足な公演だったわけだけど、それでも心のどこかで個人的にはやっぱりオリジナル版なんだよなぁとも思ってしまっていた。繰り返すがどっちが上手いとかどっちが下手とかそういう話じゃない。どっちが良いとかどっちが悪いとかそういうこと言ってるんじゃない。何度も何度も遊んだオリジナルが結局一番好きで大切なんだよな。エメラルドを最初にプレイした自分にとってはアルファサファイアよりもエメラルドの方が好きで大切なんだよ。壮大なオーケストラ音源ではないけれど電子音のBGMの方が心に響いたりするんだよ。それと全く同じ気持ちになった。
あともう一つ思ったことがあって、泣かなかったな、と。正直、劇を観に行くって決めた日から「泣くかも」と思っていた。それは初演の千秋楽、舞台上で演技をしながら泣いたからだ。今でも鮮明に覚えている。盃を掲げる音頭を取るシーンで泣いた。
で、ふと思った。劇を演じながら泣いたことは何度かあるけど、劇を観て泣いたことってないなと。
これはなんでだろうって考えたけど、ふと思い浮かんだ。没入だ。没入なのだ。自分が発した言葉に全力で周りの人間が反応する。それだけではない。聞こえてくる音楽、舞台を照らす照明、その全てが自分の感情を後押しし、世界に没入させる。しかも、そこには前の人の頭なんて存在しない。云わば舞台上は一番の特等席だ。イマーシヴフォートの魅力ってこういうところにあるんだろうなと思った。
ここでこんなこと思う人がいるだろう。「なんで恥ずかしがり屋って言ってるのに人前で演技はできるの?」と。だから没入だよ。そんなこと考える間もなく没入してるの。それに舞台上は演技する場だから全力で演技してない方が恥ずかしいのよ。だからこそ舞台上では思う存分没入できるのかもしれない。
舞台上で泣く理由として、その瞬間にしか起こらない儚さがあると思う。
演劇はコスパの悪い芸術だ。何か月も稽古をしても本番はせいぜい一週間くらいで、終わってしまえばもうどこにも何にも残らない。
「え~写真とか動画とか撮ればいいじゃ~ん」と言う人がいるかもしれないが違う。先にも言った通りライブ感、生感があってこそ演劇の特別感が生まれていると思っている。劇場じゃない別の空間で、2次元で再生されたものは内容としては同じなのかもしれないけれど体験としては演劇とは言えない全く別の物なのだ。
だから全く同じ劇をもう一度体験することは不可能なのだ。役者の台詞の言い方・聞き方・反応の仕方、役者の心情、音楽・照明のタイミング、お客さんの反応、それらが完全に一致する瞬間はもう二度と訪れないのだ。こんなに儚いことがあるだろうか。稽古を重ねた日々、座組メンバーとの時間、それらが終わりまた日常へと戻る瞬間が刻一刻と迫る千秋楽、そんな儚さが一層涙を誘うのだろう。
一番の特等席は舞台上だ。前の人の頭で視界が遮られることもなく、自分が発した言葉に周りの人間が全力で反応し、ただただその世界に没入することができる。舞台上ってそんな贅沢な空間だったんだなと少し舞台から離れて気づいた。これが海賊の時間2024版を観て一番感じたことだった。
そこなのか?やっぱり自分はそこに行きたいのか?行きたいんだろうな、結局。だからこうやって文章にして整理してるんだと思う。
2024年8月の私は「海賊の時間」2024版を観てそんなことを思ったよということをどこかに書き残しておきたくてこんな文章を書きました。
このタイミングで書いたことによって回し者みたいになっちゃいますが、そんな「海賊の時間」2024版の映像配信が9/3から始まります。9/30まで観られるそうなので気になった方は是非ご覧ください。ハートゴールドとかアルファサファイアくらい面白いと思います。