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結刃流花譚 第1章 ~ 残り香の調べ③ 心構え ~

 
    以前から読んでくださっている方も、初めて目に留めてくださった方も、ありがとうございます。少しずつ見直しながら書き直している途中ですが、読んでみていただけると嬉しいです。そして拙い文章からでも何かを受け取っていただけると幸いです。






 水を打ったように静かな廊下を歩き続けた先に辿り着いた部屋の前で菊之介は立ち止まった。閉じられた障子戸は先程の部屋のものよりもひと回り大きい。菊之介は一定の距離を保ったままついてきていた清春も一歩後方で足を止めたのを確認すると、その框を軽く叩く。
 
「失礼する」
 
 返事はなく、菊之介の手で音を立てることなく戸が開かれる。それに合わせ、左右に分かれ向かい合うように座っていた全員が一斉に菊之介と清春の方へと視線を向ける。平然とした姿勢を崩さない菊之介より一歩引いて立っていた清春は、気後れしそうになりながらもひとりひとりを順に目に映していく。緊張した面持ちのままではあるが、その中に天音と真光の姿を認め、少しばかり安堵する。2人も開いた戸の向こうに姿を見せた清春を確認し、自然と目を細めていた。
 部屋の奥には対となった屏風が2尺(約61cm)程間を空けて飾られている。格式高さを感じ足を踏み入れることに躊躇するが、菊之介はそのまま中へと進んでいく。それに従い恐る恐る足を前に出した清春は、数歩進むと座るよう菊之介に促される。目礼をして空いている場所へ向かおうとすると、清春から見て右手の屏風の前の花台に置かれた和時計が目に入った。流麗な唐草模様の施された文字盤の上で、針は昼八つを示していた。眠っていたため時間の感覚がわからなくなっていたが、最初に呼ばれた清春の実技試験の終了後半刻程しか経っていない。
 全員の試験が終わるまで二刻近くはかかると予想していたが、思っていたよりも随分早い。試験は別の場所でも同時進行していたのだろうか。これまで1人ずつ順に試験を進めているものと思い込んでいたが、そうではなかったのかもしれない。確かにいくら腕の立つ清乃でも続けて今日試験会場に来ていた二十数名を相手にするのは厳しいだろう。そう思い直し、複数の試験官が手分けしているのが道理だと1人で納得する。
 考えをまとめながらまた数歩、静かに歩き、空いていた真光の左隣に腰を下ろした。この後他の合格者も続々と集まってくるのだろうと思い、それを待つつもりでいたが、姿勢を整えるとすぐに、部屋に集められたのは清春で最後であることを菊之介より告げられた。

「もうじき隊長たちが来られるだろう。席を離れずそのまま待て」

    全員無言のまま小さく頷きその指示に従う。緊張感漂う、広さに余裕のある空間の中には、清春を含めた6名の合格者と菊之介の他に細身の男性が1名立っている。風の吹いていない部屋の中でもその僅かな動きに従い風に攫われるように靡く黒髪が美しく、浮世離れした印象を与える男は、実技試験の際にも姿を確認している、菊之介と手分けをして案内役を務めていた者だった。部屋の端で壁に背を預け佇んでいる、それだけで見栄えのする容姿をしている。

 短い待ち時間に清春はこの組織――天叢雲――に関して庵から聞いていたことを改めて思い返していた。その表の顔と裏の顔、活動の範囲や組織の構成の概要、客観的でわかりやすい説明は頭の中で整理しやすく、大まかな現状はわかったつもりになっていた。それゆえに、今回の合格者の人数に引っかかりを覚える。二十数名の受験者に対し6名というのは隊員を少しでも多く増やしたい様子だと聞いていた割には随分低い合格率だ。試験の内容は、志望理由や特技を訊かれる程度の面接、筆記による簡単な知識の確認、竹刀での1対1での打ち合いの3つだった。知識の試験は寺子屋を出ていれば身に付けているような基本的なものであり、実技に関しては技を受け続けるだけで精一杯だった清春が合格できたくらいだ。厳しかったようには思わない。
    距離を置いて壁際に立つ菊之介の方を見たが、清春の視線に気付く様子はない。浮かんでいた疑問が気にはかかるが質問し易い空気ではないため、ひとまずは深く考えすぎず流れに従うことにする。話しても問題ない内容であれば、後で庵に尋ねれば教えてくれるだろう。

 合格者6名の中には、天音と真光の他に、育ちの良さそうな端正な顔立ちをした少年、ややつり目の大きな瞳が印象的な利発そうな少女、全体的に白く儚い雰囲気を纏った少女がおり、居住まいを正して座る全員が厳かな表情をしていた。
 清春はもう一度彼らを一瞥すると、隣りの真光と目を合わせる。このような緊張した空気を苦手とする真光は、それだけでも安堵の気持ちから表情を綻ばせる。そして慣れない正座をしていた足を崩し、清春の方へと身体を傾け、何かを話したそうな顔で口を開こうとするが、それは叶わなかった。再び戸が開き、先程の老人と背後にいた2名の年配の男性が厳然たる雰囲気を伴い姿を現す。続いて清乃、庵が粛々と入ってきた。彼らは緊張が高まり座布団の上で背筋を真っ直ぐに伸ばしている清春たちの間を通り、部屋の奥まで歩いていく。
    6名とも微動だにせず、彼らが立ち止まるまでその姿を眺めていた。実技の試験の場では桜吹雪の中それぞれの姿が美しく風情のある絵に描かれた幻想的な景色の一部のようにも見えていた。しかし今、左右の隅に描かれた竹の間で鶴と亀の向き合う縁起の良さを感じる立派な屏風の前に並ぶのを見ると萎縮してしまう程の威圧感がある。この1年、ほとんど毎日顔を合わせていた庵でさえ近寄り難い要人のように感じた。
    さらなる緊張で既に伸びていた清春たちの背筋はこれ以上整えられない程伸びる。そのような彼らの前で全体を一瞥すると、中央に立った老人がほとんど髭で隠されている口を開いた。

「6名とも揃っておるな。儂はここをまとめておる近衛藤次郎桜助じゃ。
  入隊試験ご苦労じゃった。今年も知識と技術に関しては全員合格じゃ」

 最後の一言を強調し、近衛は真っ白な眉と髭の下でゆったりと笑った後で、その笑みをいたずらっぽいものに変え、不思議そうな顔をする6人に説明する。

「この試験、合否は最初の面接でほぼ決まっておる」

 ひとりひとりと目を合わせるように、近衛はもう1度ゆっくりと6人を見渡した。近衛にとっては茶目っ気も大いに含まれた笑顔なのだが、自分に目を向けられた瞬間、清春は僅かにたじろいでしまう。目を彷徨わせて周りを見ると、粛然とした姿勢を崩さない黒髪の少年を除く4名も同じような様子を見せていた。近衛はその反応も含め説明を楽しんでいる様子だったが、清春たちにはそれに気付く余裕はない。

「知識と技術の試験については――――」

    説明の途中で近衛が急に言葉を止め目を見張る。その視線は清春たちを通り越し、閉められた障子戸へと向けられていた。近衛の感じた異変は一瞬で全体に伝わり、今までとは別の種の緊張感が部屋中に走っていた。続いて框を叩く小さな音が響き、速やかに移動した清乃が戸に手をかけ拳ほどの隙間が生まれると、そこから1羽の雀が飛び込んできた。杏と同じ勾玉を首にかけたその雀は全員の視線を集めながら正座する清春たちの間をやや傾斜をつけて通り過ぎ、丸く小さな身体で床にぶつかるかのような勢いで菊之介ともう1名の案内役の間に着地する。清春は一瞬怪我をしなかったか心配になるが、柔らかそうな羽に包まれた雀はお手玉や大福を彷彿とさせるような姿で安定してそこに留まっており、衝撃に痛みを感じている様子は窺えなかった。

「紡(つむぎ)か。班長から何か連絡か」

    この現れ方に慣れているのか、菊之介は何事もなかったかのように呟き、菊之介の横でしゃがみこんだ黒髪の案内役も落ち着いて手を伸ばし、羽毛に隠れていた脚に結ばれた紙を解こうとする。紡は菊之介の問いを肯定するかのようにつぶらな瞳を向け、また、案内役の方へは大人しく片脚を差し出していた。案内役は皺だらけの紙を開き、書かれた文を見る。その細く整った筆跡は予想した人物の直筆ではないようだが、誰かに代筆を頼んで書かれたその文の差出人は予想通りの人物であることを確認する。そして真剣な面持ちで文章に目を通しながらその場の全員に伝わるよう内容を読み上げた。

「『錦野(にしきの)北西部にて闇雲(やみぐもり)と思われる者三名確認済
     内一名は呪術発動中であり制御不可
    もう一名と標的、その身内、使用人十数名、術に巻き込まれる
    残り一名、標的の雷獣誤って逃がし、制止のための火矢外し柵に引火、逃走中
     試験の件は承知の上だが一刻を争う
     至急応援を要請したい』以上だ」

    次第に深刻さを増していった案内役の声を聞き終えるか終えないかのところで、清春たち6人は誰も言葉を発することなく一斉に立ち上がっていた。そこには迷いも躊躇いもなく、真光と天音だけでなく他の3人も同じ思いを持っていることを心強く感じながら、すぐさま行動を始めるつもりでいた。

「いやおまえらは……」
「俺たちへの要請だ。おまえらはここに残って――――」

    自分たちが指示を受けたも同然のように動いた清春たちの真っ直ぐな視線を浴びる案内役が驚いたような表情を浮かべて呟き、それとほぼ同時に庵も静止しようとした。菊之介は言葉は発していないが、その僅かな表情の動きから、もう1名の案内役や庵と似た心境であることは伝わってくる。
    途中で途切れた言葉は純粋で揺るぎない志気を放つ彼らに対しそれ以上続けられらることはなかったが、試験を終えたばかりの清春たちを現場に同行させることに肯定的ではない空気に、一抹の疎外感を覚える。その感謝はその場で自分1人だけが戦力外だと言われるほど大きなものではないが、しかし、ここで退くことはできない。それでは何のためにここにいるのかわからない。それに、今清春を動かすのは、天叢雲の隊員であるかどうか以前に、その場に居合わせた者として何かしなければならないという思いだ。自分にできることを行いたいという気持ちに立場は関係ない。話を聞いた以上はもう無関係ではない。無関心ではいられない。庵たちには申し訳ないが、このまま許可が降りずとも、大人しく待つつもりはない。庵たちにもそれぞれの思いがあるだろう。しかし、どのような思いで何を言われようと、何もせずに待っているという選択肢は選べないのだと無言で訴え続ける。
    内心困っているであろう庵は無表情で口を噤んだままだ。菊之介も同様に視線を清春たちの方に向けたままほとんど動かず黙っている。一方で、もう1名の案内役はあらかさまに困惑の表情を浮かべている。申し訳ないという気持ちは強くなるが、それでも清春は折れるつもりはなかった。今の位置から全員の表情が窺えるわけではないが、おそらく他の5名も同じだろう。感じる空気からそれが伝わってくる。斜め前に佇む最も大人しそうな色素の薄い少女も凛とした佇まいで言葉のない主張を続けている。強い意思を宿した淡藤色の瞳が揺らぐことはない。
    こうしている間にも刻一刻と時は流れゆく。
    曲げることはできないのだと無言で伝え続けることしかできないまま、それを感じる清春の心には焦りが生じている。時は決して止まってはくれない。何もできなかった日の後悔と悲しみの記憶が頭を過ぎる。このまま許可なく行動を始めるべきだろうか。これ以上過ぎ行く時間を無駄にすることは許されない。少しでも何かできるのならば、後で咎められることは厭わない。しかし、可能ならばやはり蟠りなく、認めてもらった上で動きたい。

「一緒に来てもらいましょう。今は少しでも多くの手が必要です」

    静寂を破り、欲しかった言葉をくれたのは清乃だった。毅然とした態度で言うと、彼女は確認をとるかのように清春たちに柔らかな表情を向ける。ひとりひとりを流れるように見た後で庵と案内役、菊之介と目を合わせる。それぞれが折れた様子で息をつくと、穏やかに首を縦に振る。感情も立場も関係ない、誰もが心の中でわかりきっていたであろう事実を述べるだけで、清春たちの思いを支持しようとしてくれた。事務的な口調ではあるが、その表情から言葉の裏の気持ちを読み取ることは容易であり、雪融けのような温もりを感じた。
    無知だったこれまでの自分とそんな自分の無力さを恥じ、変わりたいと願ってここまできた。勝手な思い込みだとわかりながらも、清春のその願いまでも後押ししてもらえているかのような気持ちになれた。
    清乃の言葉で場はまとまったように思えた。快く認められたわけではないが、庵たちはもう異議を唱えることはない。

「隊長、副隊長、よろしいでしょうか」

    清乃は確認するように許可を求める。周りの者たちは当然受け入れられるものだと感じていた。しかし、すぐに返答はなく、妙な居心地の悪い間ができた。僅かな時間に清春たちはまた不安を煽られる。

「失礼を承知でお尋ねします。同行してはならない理由が何かあるのでしょうか」

    近衛たちの方へと向き直り、黒髪の少年が問う。臆することのない落ち着いた声だった。今初めて声を聞いた少年のことは何も知らないが、立場を弁えていそうな少年が口を挟んだことは、意外であり必然でもあるように思えた。清春たちの複雑な思いを代表して伝えようとしてくれているかのようにも感じた。
    近衛が少年の方へと頭を動かした。その間に全員を一瞥した近衛の目は長い眉毛に隠れて見えないが、狸というよりも猛禽類を彷彿とさせる鋭い視線で射抜かれたような気がして、清春は僅かに畏縮してしまう。質問した少年以外の4人も動揺を示し、瞳を揺るがせたり肩を1度小さく震わせたりしていた。

「勿論じゃ」

    どう捉えてよいかわからない答えが穏やかかつ威厳のある声で返ってくる。各々が意味を測りかね困惑した反応を見せるのを待つように間を空け、近衛はさらに続ける。

「錦野までの距離なら移動は杏と紡で十分じゃろう。6人増えたところで困ることはない」

    勿論という言葉は清乃の言葉への返しだったのだろうか、やはり真意は読み取れないが、そこに続いた言葉は同行を肯定するものだった。

「随分時間を食うてしもうたの」

    この場で誰よりも強い決定権を持ちながら敢えて様子を窺い続けていた近衛は、自分自身も動きを遅らせる原因となっていたことを認めた上でか否かそのように告げると、特別に焦る様子はなく指示を出す。

「篁(たかむら)、雪成も早う行ってやれ。儂も月見里(やまなし)に事情を伝え結界を強化した後ですぐに向かう」
「承知しました」

    篁と雪成と呼ばれた2名が同時に答え、即座に踵を返して動き始める。先程の清乃の言葉から察するに、彼らは天叢雲の副隊長なのだろう。彼らの容貌と毅然とした態度はそれに相応しいと感じる。
    彼らの名に続けて挙げられた月見里という名には心当たりがあった。庵の家に世話になり始めてすぐに天叢雲から来ていた時に出会った非戦闘員で、その後も何度も顔を合わせている。春の陽射しのような柔らかな笑顔の印象的な人物だ。今日はまだ会うことができていないが、彼女もここにいるのだ。清春も天音も真光も、その場にいない彼女の名を聞くだけで僅かに穏やかな気持ちを取り戻すことができた。

「そうじゃ」

    近衛が態とらしく開かれた掌をもう片方の手で作った拳で打つ。動き始めようとしていたその場の全員が動きを止め、再び近衛に注目する。

「これを今回の追試にするのはどうじゃろう」

     水を打ったようにその場が静まり返る。一瞬の間を置き、それぞれが近衛の言葉を咀嚼する。今度の提案には庵たちも怪訝な表情を浮かべていた。

「そなたらはなかなか面白みがある。試験と現場はまったく異なる。どのように動くのか、ここでやっていくことができそうか見てみたい」

    突如の提案は突拍子ないものであっても不可解であってもほとんど決定事項のようなものだった。脅しではない不思議な圧力のある近衛の言葉に反対できる者はここにはいない。誰にも見えてはいないが、白い眉毛の奥の黒い目が悪戯っぽく期待の色を浮かべている。

「庵、清乃、菊之介、絢悠それぞれに認められたものを真の合格者とする。無論、本気で入隊を望む者は全員参加じゃ。追試じゃが、初任務でもある。心して臨むように」

「隊長の面接が済んだ時点で彼らはもう合格だったのでは」
「俺たちに最終の判断を任せてよろしいのですか」

    菊之介と絢悠が問う。

「名案じゃろう?」

    近衛は彼らの反応も含め楽しんでいる様子で一見柔和な笑みで返す。その意図は已然として読み取り難い。純粋に楽しんでいるようにも、清春たちにさらなる助け舟を出したようにも、何か別の裏があるようにも思える。しかし、それ以上深く問うものはいない。

「隊長がそう仰るのならば」

    庵が承服の意を伝えると、動きを止めていたそれぞれが武器の簡易な手入れ、防具の装着など各々必要な準備を再開する。望んでいた結果ではあるが、清春は先程まで反対の空気が流れていたのにも関わらず、今度は試験の1部として強制参加と状況があまりにも大きく変わっていることに少々翻弄されていた。しかし遅れをとることはないよう周囲の動きに従う。

「俺らは椿と雷羅(らいら)に乗っていく。おまえらも出発しておいてくれ」

    2名の副隊長のうち隻眼の男性の方が部屋を後にしながら伝えるのに対し、庵、菊之介、清乃、案内役が慇懃な姿勢で返答する。彼の言葉からすると、椿と雷羅と呼ばれたのもおそらく杏や紡のような天叢雲の一員として何らかの役割を担う妖だろう。妖ではない動物や乗り物に名前がついているだけの可能性もあるが、なんとなく、その方が自然な気がした。彼らが乗ると聞くと随分大きく屈強な妖なのだろうと想像される。そうした妖たちも含め、共に動く者たちのことを知りたいと思うが、ひとまず彼らとは現地までは別行動となるようだ。そのまま長い廊下へと消えていく彼らの背中を見送りながら、清春も動き始める準備を続ける。

「菊。昨日はおまえも幸志郎班長と一緒に錦野で動いていたな。指揮を任せてもいいか」

「はい」

    庵に一任された菊之介は間を空けずに行動を始める。涼やかな目で周囲を一瞥しながら、静かだがよく通る声で淡々と指示が出される。

「持ち物は最低限に。各々持参した竹刀と防具を持っていけ。用意ができた者から外に出て3名ずつに分かれ杏と紡の背に乗れ」

    今は手のひらに収まってしまいそうな姿をしている紡だが、杏に乗せてもらった経験のある清春はすぐに紡も杏と同様に大きさを自在に変えられるのだろうという考えに至った。天音と真光も少し意外そうな表情で紡を見ている。清春たち以外の3名も同様の推測をしているかもしれないが、普通の雀と烏と変わらない大きさの2羽を見つめ、一瞬動きを止めていた。しかしそれは数をひとつ数えるにも満たない時間であり、誰も詳しく問うことはなく、急いで竹刀と防具の準備を再開する。その傍で、紡は清乃の右肩に乗り大人しく羽を休めながら待機を始め、杏はその周りを軽やかに舞いながら左側の肩に止まった。手を動かしながらで構わないと前置きし、様子を眺めていた清乃は2羽を交互に見遣りながらやや早口でかつ丁寧に紹介する。

「彼女たちは自らの意思で身体の大きさを変える力を持っています。こちらは袂雀の紡。素直でいつも率先して動いてくれます。そして、天音さん、清春くん、真光くんはよくご存知だと思いますが、八咫烏の杏です。頭の回転が早くいつも頼りにしています」

   清乃は気遣いの前置きをしてくれていたが、すぐに準備を終えた清春は真っ直ぐに身体を向けてそれを聞いていた。清乃の言葉に満足気な2羽を見ると、このような時でさえ少しだけ微笑ましい気分になってしまう。他の者たちの方へ目を向けると清春同様に穏やかな表情で彼女たちを目に映していた。良い意味で2羽とも一見修羅場慣れしている妖には見えない。しかし、その容姿からは想像できないような様々な経験を重ねてきたのだろう。杏の嘴の傷、紡の脚に一瞬見えた傷がそれを物語っている。共に生活している杏のことは十分にとは言えずともよく知っているつもりだった。太陽の化身とも言われる八咫烏。そして庵と並ぶ大きな恩のある存在だ。一方初対面の紡のことは詳しく知らない。袂雀も母から聞いたことのある妖だが、目の前の紡は不吉の象徴ではなく福良雀と呼ぶ方が似合いそうだと感じた。杏を慕っているような雰囲気も醸し出し、その仕草全てに愛嬌がある。

「これから杏と紡に班長の1人である幸志郎班長の元まで運んでもらいます。錦野はすぐ近くですが走るよりもずっと速いはずです」

    言い終えると清乃は全員の支度が終わったことを確認し身を翻した。立ち位置が変わり、その帯には清春と切り結んだ竹刀ではなく、黒く塗られた鞘に納まる恐ろしさと美しさを兼ね揃えた真剣が差されているのがはっきりと目に入る。珍しいわけではない。姉も庵も家を出る時には必ず打刀と脇差の2本を差していた。継父も携帯して出かけることがあった。これまで特別に気にすることもなかったが、何故か今はそれを強く意識してしまった。
    その他の地域同様、和久国でも護身用を除き人間、妖を問わず武士の身分である者のみに帯刀が許されていたが、幾つか例外があり、天叢雲もその対象であった。しかし、それを誇りに思っているわけではない者もいる。何のためにそれを手にするのか。責任と覚悟、命の駆け引きの重みをどのように受け止め、どう向き合うか。身分に関係のないその心の在り方が個々に問われる。

「菊之介、お願いします」
「ああ」

    声をかけられると同時に菊之介が動き出す。彼の身の回転に合わせ生成の襟巻が流れるように部屋を舞う。2羽を肩に乗せたまま清乃が続き、そのすぐ後を刀に時々視線を向けながら清春が追う。残る全員も早足でそれに続き部屋を後にした。
    自分の歩みに合わせた速度で景色は流れていく。先程は長く感じた廊下をその距離をあまり感じない間に通り過ぎ、入ってきた時と同じ出入り口から外へと出ると、桜の舞う風流な庭がまた視界に広がる。しかし一刻も無駄にできない今、春の美しさを感じている余裕はなかった。清乃の肩から舞い降りた杏と紡が目の前で紙風船が膨らんでいくように大きさを変える。分かれ方の指示はなかったが、迷う時間もなく清春が杏の背に乗ると、天音と真光も続いて清春の両横に座る。
    杏に乗せてもらうのは1年ぶりだった。その艶のある黒い羽の温もりは安心感を与えてくれながらも気を引き締めさせられるようで、不思議な感覚がする。この1年間で身につけてきた知識と技術、出会いと繋がり、変わらない大切なものと抱えてきた想い――――。それらが今の清春を動かすもの、ここに居る理由であり、多くを失った後で残ったもの、手にしたものだ。この背中に救われて今がある。絶望の淵で見た夜の色は、痛みも優しさも忘れないでいさせてくれる。
    清春たちが杏に乗せてもらうのを見届けた残る3名は自然と紡の背に乗る形となる。紡は杏同様に10尺(3m3cm)程の大きさへと変化していたが、大きさにより雰囲気の変わる杏と異なり、その周囲を和ませる愛くるしさは変わらない。少女2人は紡を気遣い、恐る恐る乗っている様子が窺えたが、紡自身は心配する必要は微塵もないというような表情と態度で乗り終えるのを待っていた。

「先導します。絢悠(あやちか)も乗ってくれ」

   菊之介が言うともう1名の案内役――――絢悠が紡に乗り、菊之介は絢悠の長い髪を踏まないようやや慎重にそれに続く。「頼む」「お願いします」と伝えた庵と清乃もその間に難なく杏の背に座る。先程まで自分たちの手や肩に乗ってしまえる程の大きさをしていた2羽の背中は、今は5人ずつが乗るのに十分な大きさがあった。

「出発します」

    菊之介の短い言葉に続く美しく頼もしい2羽の声を聞くと同時に、柔らかな茶色と混ざりけのない黒の翼が大きく広げられる。ここまでの短い時間に詰め込まれたやり取りは長く感じられたが、気を引き締めるべきはここからである。この先に待っている光景を具体的に想像できるわけではないが、こうしている今も手紙に書いてあった状況に誰かが置かれ続けていると考えると考える程に焦りは募っていく。感情を隠すことなく、または隠しきれずに表情に表している者、冷静な顔つきのままの者、それぞれ異なる様子で全員似た想いを持っているのだろう。
    きっと今の自分にできることは多くはない。しかし、周りで苦しむ人々に気付かずに平穏な日々が当たり前だと思い込んで生きてきた頃の自分とは違うと思いたい。自信はないままであるが、信念は曲げないと決め、清春自身の信じる正しさに従って動く。その結果、何か少しで役に立てることを願いながら、救えるかもしれないものへ手が届く位置まで行くために、花弁を舞い上がらせながら目的地へと繋がる空へと飛び立った杏の背に身を委ねた。





    拙い文章ですが、読んでくださりありがとうございました。何度も加筆修正を繰り返している状況で申し訳ありません。誤字脱字など、お気付きの点がございましたらご指摘いただけると幸いです。


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