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結刃流花譚 第1章 ~ 残り香の調べ⑤ 違和感 ~ 【編集中】


    前から読み続けてくださっている方も初めて目に留めてくださった方もこの頁を開いてくださりありがとうございます。お時間の許す時に読んでみていただけると幸いです。





「待て!」

    部屋の奥の方から太く明瞭な声が響いた。中と外で音が完全に遮断されていたわけではなかったらしい。それに反応し、庵はすぐさま動きを止める。しかし、率先して庵に続こうとしていた真光は咄嗟に自分の勢いを制止できず、顔面から庵にぶつかり、鈍い音と共に2人は転がるように部屋の中に入ってしまう。大きな衝撃はなかった。倒れた床は目の前にあるはずなのに、禍々しい空気の影響か、それとも何らかの別の力の影響か、靄がかかっているかのように明確に見えず、庵は妙な感覚を覚える。外観から想像されるのは質の良い畳の敷かれた床であるが、その硬さよりは幾分柔らかい気もした。逡巡している庵と同じような感覚を真光も覚えていたが、それを気にするよりも庵に謝らなくてはという気持ちが勝り、見えない床に手をついて勢いよく顔を上げる。

「悪ぃ!」

    焦りの色を浮かべて謝る真光と体勢を立て直す途中の庵を眺めていた清春たちは、次の瞬間一斉に目を見張る。真光と庵の斜め上からは弧を描いたような形をとる風の刃が迫っていた。

「真光! 庵さん!」

    2人の名を呼びながら清春も部屋に飛び込み、伸ばした両手で前に押すことで形を持つ風の攻撃から逃れさせようとした。しかし庵にはその必要はなく、自分でその軌道から外れる位置へと身を翻しながら、真光を守ろうとその腕を掴み引き寄せるように引っ張る。清春の届いた手はそれとほぼ同時に真光の背を押す形となり、重なって倒れ込む。そのすぐ後ろを風が通り過ぎ、一旦は3人とも無傷で済んだ。
    今越えた敷居を境目に、部屋の中の鋭い風の音が煩いくらいに聞こえるようになっていた。部屋の中は、そこが武家屋敷の一室とは思えない、外と切り離されてしまったような異様な雰囲気に包まれていた。部屋の壁も天井も床も把握できない、掴みどころのない状況もそうであるが、今も外で清春たちを見ている天音、杏、清乃とは、すぐそこにいるのに異なる空間にいるような、うまく表せない違和感がある。禍々しい空気は一際濃く重くなり、その中で無数の風の刃は無秩序に空を切り裂いて回っている。風の通った後は一旦禍々しい空気は切り裂かれたように上下左右へと流れ、すぐにまたできた隙間に満ちていく。何ヶ所かでそれが同時に起こっている。1度避けることができたことに安堵する間もなく、淀んだ空気がまとわりついて身体が少し重いような錯覚があるところに、すぐにまた別の風が近付いてきた。
    清春も音と肌で感じる空気の動きからそれ自体には気付いていた。しかし、耳の聞こえの所為で背後から襲いくる風との距離感を正確に把握することができなかった。

「清春!」

    今度は真光が清春の上腕を引いて風の軌道からその体を逸らせる。間一髪のところで風は清春の左肩付近を通り抜けていった。自分で避けられるつもりになっていたが、己の感覚を過信していたことを反省する。実際の風の脅威はわからないが、鋭く素早い刀の一閃を彷彿とさせる風は直撃したならば軽い怪我では済まないだろうと思われる。心臓が早鐘を打っていた。

「ごめん」
「謝る必要ねぇよ。お互い様だ。俺もさっきは危なかった」
「ごめん、ありがとう」
「だから謝らなくていいって。こっちこそさっきはありがとな」
「いや、真光も庵さんも怪我がなくて良かった」

    吹き荒れる風が次々と体を掠め、いつ直撃してもおかしくない、ゆっくり会話をしている余裕などない状況であったが、清春は目の前の蜂蜜色の大きな瞳を真っ直ぐに見ながら、言葉自体はできるだけ短く礼を伝えた。縮まった距離のまま真光も先程の礼を伝え返す。できるだけおざなりにしたくない言葉をほんの少し交わすだけの間にも、さらにまた別の風が清春の髪を掠め、切られた数本が宙を舞った。

「悠長に話してる場合か」

    通り過ぎた風が離れていくのを見届けていると、庵に窘められ、2人揃ってすぐに姿勢を立て直す。

「お礼は必要だろ?」

   真光の本気で怒ってはいないが本心からの反発に庵は小さく息をつく。それも本気で呆れているわけではなく、そこにいつも隠されている慈しみのような感情を感じ取ることが清春にとっては心地良かった。しかし、本当に気を緩めている場合ではないことは承知している。風は誰かを狙ってくることはなく、途中で曲がることもないため、その進行方向を確認し軌道からずれてさえいれば大丈夫なのだが、どこからか次々と発生し、無秩序に空を切り裂き続けている。このままでは避け続けることは厳しいだろうが、まともに食らうのは避けなければならない。他に近付いてくる風はないか周囲を見渡し目で確認する。

「庵か。一緒の2人も急げ、こっちだ!」

    先程と同じ声がした。聞こえてきた方に目を遣ると止め処なく風の行き交う空間に数枚の札が浮かび上がり、それに囲われた3間(約5.5m)程の範囲の中に複数の人の姿が見え始める。禍々しい空気が漂い、風が形あるものとして見えているだけで、ただ現実と切り離されてしまったような空間が広がっていた部屋の中で、それは次第に明確になっていく。

「幸志郎班長」
「走れ! 結界の中まで!」

    庵が呼ぶ声に声が被った。もう1度、轟く風の音にも掻き消されない大きさで、空気を切り裂くように響く。

「早く!」

    風が清春、真光の2人と庵の間を切り裂くように勢い良く通り抜ける。その風圧で互いに1歩ずつ飛ぶように後ずさる。

「行け」

   視線と言葉で庵に促され、向き合っていた清春と真光は身体を回転させ示された方へと走り出す。禍々しい空気の濃い場所も薄い場所も足元は鮮明には見えないままだが、床を蹴って進む感覚は明確にあった。真光が半歩前、その斜め後ろに清春が続く。さらにその後に少しの間を空け庵が向かってくる風と重たい空気を抜いた刀で薙ぎ払いながらついてくる。

「外にいるのは清乃か? 他にもいるみたいだな。すまんが、どちらか救急箱をとってきてくれ! 火がまだ回ってなけりゃ西の中央の部屋にあったはずだ!」

    清春、真光、庵が動き出したのを確認すると、障子戸の外から状況を見ていた清乃と天音にも声がかけられる。怪我人がいるのだろうか。気掛かりだが、今は声のする方へと足を動かし続ける。

「行きます」
「お願いします。杏も天音さんについていってください」
「いいんですか? 心強いです」
「お気をつけて」

    天音は部屋の位置を確認する。右手に見えている渡り廊下の先のどれかだろう。部屋の外で行われていたそのようなやり取りの後、横に並んで飛ぶ杏とともに、天音は縁側を駆け出していた。

    近くを通る風の風圧と、時々濃くなる黒い霧のような空気を肌で感じながら、結界に向かって走り続ける。近付くにつれ、目に映る呼び声の主の姿がさらに明瞭になってきた。父や継父と同年代であろうと思われる、鈍色に見える髪の男性は、真剣な視線をこちらに送りながらその結界の端に立っている。人差し指を立てた形で両手を組み、半月のような形の結界を張り、様々な角度から切りつけるように吹く風と不穏な色の空気から背後にいる10人ほどを守っていた。座って身を寄せあっている者もいれば、立って様子を窺っている者もいる。彼らの年齢層には幅があり、その服装から屋敷の奉公人たちと思われた。何か料理を作っている途中で巻き込まれたのか、生成の前掛けを着け手に菜箸を持ったままの女性もいる。
     風が顔や腕、脚を掠める度に小さな痛みを覚えながら走り続け、結界まで後もう少しのところで真正面上方から風が唸りながら迫ってくる。それをしっかりと目で捉え、避けるように体を捻りながら清春と真光は結界の中へと入り込んだ。

「怪我はないか」
「平気だ。ありがとう」
「大丈夫です、ありがとうございました」

    真光はいつもの無垢な笑顔を向け、清春は頭を下げる。結界の中では、先程までの風の轟音はまるでその姿は見えないのにどこかから聞こえる滝の瀑声ように遠く聞こえていた。極力触れたくないと感じていた禍々しい空気も一切入ってきてはいない。その場で息を整えながら、結界を張る男性の声へ耳を傾ける。

「いや、俺は元々張ってた結界の方へ呼んだだけだ。
 そうか、おまえらが――――――、いや、何でもねぇ。……来てくれたんだな。こっちこそありがとな」

    清春と真光を真っ直ぐに捉え声をかける男性――――天叢雲班長の幸志郎が目を細める。おまえらが今回の受験者か、とでも言おうとしたのか、なぜか途中で言葉が濁された時、その目の色が変わった気がして少し気になったが、負の感情を思わせる変化ではなく、深く言及するほどのことではないと感じ、それはすぐに薄れていく。特別に説明せずとも得心した様子で温かみのある眼差しを向け受け入れてくれたことに安堵する。

「時枝 清春です」
「真光、です」

「天叢雲の6つの班のうち1つを任されている、班長の幸志郎だ。よろしくな」

    これまで面識のなかった清春たちに感慨深い表情を浮かべながらかけてくれたのは峻厳そうな容姿よりもずっと柔らかな声だった。
    それがじんわりと響いた時、清春はこの声をどこかで聞いたことがある気がした。しかし、それがいつのことなのか、どこで聞いたのかは思い出すことができない。ただ似た声を聞いたことがあるだけかもしれない。
    幸志郎は1度ふり返り背後の奉公人たちに目配せすると、姿が見えやすいよう体の向きを変え1歩右へと動く。
    幸志郎の他に結界の中にいた9名を一瞥する。結界に入る前は気付けなかったが、彼らの中には歳の頃は5歳から7歳くらいであろう少年が2人混ざっていた。母親だと思われる小柄な女性の若草色の着物の裾を掴み、不安げな表情を浮かべている。高齢の上品で穏やかな雰囲気を纏った男性、色白で大人しそうなまだ20歳そこそこだと思われる女性、眼鏡をかけた神経質そうな長身の男性、立ったまま心配の表情を浮かべている割烹着の女性と雑巾を持ったもんぺ姿の女性の間の片膝をついたまま動こうとしない男性は顔色が随分と悪いように見える。

「さっき秋穂さんに書いてもらった応援要請に答えて駆けつけてくれた仲間たちだ」

    怪我人と思われる男性に声をかけたいと思ったが、幸志郎の紹介に従い清春と真光はもう1度名乗り頭を下げる。清春は緊張した面持ちのまま視線を戻し、真光はまた心を絆すような笑顔を浮かべる。真光が笑った瞬間、少年2人の表情も微かに緩んだのがわかった。幸志郎の視線の先にいた秋穂と呼ばれた者だと思われるふくよかなもんぺ姿の女性も穏やかに微笑み返す。それに続くように何名かは頭を下げ、何名かは「ありがとう」「よろしくな」等の言葉を返してくれる。

「あの、怪我をされているんですか……?」

  片膝をついた男性は顔を上げ直して口を開こうとするが、少し身体を動かした瞬間、苦痛の表情を浮かべ再び視線を落とす。清春は心配の色を浮かべ半歩前に出て腰を屈める。真光も一緒になって男性へと近付いた。両腕で覆われ先ほどまでは気付かなかったが、立てられている方の脚を肩掛けで包(くる)んでいる。その肩掛けには赤い血が滲んでいる。

「血が出てるじゃねぇか!」
「大丈夫ですか……?」

    怪我の原因としてはここで吹き荒れる風が真っ先に思い浮かぶ。目の色を変えて声を上げた真光に続き、かけた言葉には躊躇いがあった。おそらく命に別状があるわけではないだろうが、大丈夫と言って片付けられる状況ではないことは見てわかるのに、これ以外に思いつかなかった。時と場合により、救いになることもあれば相手をより苦しめてしまうこともある言葉。この言葉を使うべきかどうか迷う時、いつも継父が共感していたという父の言葉を思い出す。同時に思い出した記憶に胸の奥が針で刺されたように一瞬痛んだ。
    男性はまた顔を上げる。血を流す脚を庇うように蹲っている男性は、周りの奉公人たちの着ているものと同様に質の良さそうな小袖姿だ。痛みに耐えながら焦燥の募る表情をしており、印象が普段とは異なるのかもしれないが、年は30代半ばに見える。手当ができる環境ではない中、どれくらいの間そうしているのだろうか。

「今はちょっと動けねぇけど…………大丈夫だ。ありがとな。怪我してるのは俺だけじゃないのに情けないな」

    そこまで言うと、男性は他の奉公人たちに目をむける。そこで数名が顔や腕に小さな擦り傷を作っていることに気付いた。

「俺の怪我もそこまで酷くはないよ。
  でも奥様の大事な肩掛けをこんな汚しちまって……申し訳」「一ノ瀬さんがお気になさるようなことではありません」

    謝ろうとする男性――――、一ノ瀬の言葉を少年たちの母親らしき女性がやんわりと遮る。罪悪感を覚えていたのは彼女の方だった。愛用していた薄紅色の肩掛けは巻くだけでは十分な止血にはなっていないが、気休めになればよいと思い渡されたものだった。
    改めて血の滲む一ノ瀬の脚を見る幸志郎は表情を曇らせ、1度視線を結界の外に遣り、説明を始める。

「この風――――鎌鼬にやられた。ほとんど軽く擦った程度だが、一ノ瀬さんはふくらはぎの辺りを裂かれている。重症とまではいかないが相当痛いはずだ。
    ――――――すまねぇな。もう少し耐えてもらえるか」

    幸志郎が声をかけると怪我をしている本人は言葉は発せず頷いて応える。先ほどは大丈夫だと答えていたが、上げた顔を強張らせ、少し怯えているようにも見える。そのような一ノ瀬の姿に、清春は何も言うことができなくなってしまった。ただ見守るしかできない様子の奉公人の中に医療の心得がある者はおそらく居ないのだろう。居たとして、応急処置をしようにも今ここに必要な道具は何もない。清春自身、医学の知識は殆ど持ち合わせておらず、今この状態で何が最前の対応か思いつくことすらできない。天音が救急箱を探しに行っているが、現状では為す術のない周りの者たちは不安と心配の色を浮かべ、縋るように幸志郎の方を見ていた。その重圧を受けながらも、幸志郎は落ち着いた態度を崩さない。深く考えてのことではないのかもしれないが、彼のその堂々たる姿勢は周囲の者たちを必要以上に不安にさせないように、その立場の者のあるべき姿として身についた精神が具現化しているように見えた。

    彼らの交わすやり取りを眺めながら自分の取るべき行動に思考を巡らせているうちに、真横からの風を避けるため結界まであと少しのところで身を捻り方向転換していた庵も中へと入ってきていた。息を乱すことはなく、悠然と背後に立っている。入ってきた瞬間には気づくことができなかった。
    先程避けていた風の所為だろうか。本人は気にしている様子はないが、藍染の羽織の裾は縦に大きく裂けていた。

「庵さん……」「庵!」

    清春と真光は庵が幸志郎と向き合えるよう1歩ずつ左右に寄って間を空ける。彼も仲間だ、と言って幸志郎は庵に向き直る。

「1人じゃ制止できん状態になっちまって、かたじけねぇ」

「班長の所為ではありません。謝罪などなさらないでください。この空間の安定化を図ったのも、炎の進行を遅らせたのも班長でしょう」

    普段の淡々とした庵の声とあまり変わりはないが、その発言からは敬意が滲み出ていた。言葉足らずであることの多い庵だが、目上の者を立てるのは上手い。場の空気を読んで立ち回ることも多いのだろうが、幸志郎に対しては心からの感情でそうしているように見えた。幸志郎は幸志郎で、部下に自分の力不足をさらけ出して謝辞を伝える姿を見て、信頼の厚い人物なのだろうと感じられた。

「思いつく限りのことはやってみたが、十分な対応ができたとは言えん」

    幸志郎は言葉を切り顔を顰める。

「炎を留める結界ももう解けてるだろ。町の被害はどうだ」

「飛び火して民家が燃え始めてはいますが、班長の結界が時間を稼いでくれたことと民家とこの屋敷との間に距離があったことが幸いし、広範囲に広まってはいません。何事もなければそう時間はかからずに消火できるでしょう」

「そうか」

    想像よりは被害は大きくないとみて幸志郎も少しは安堵したようだが、完全に防げたわけではない。聞いた事実を受け入れ、複雑な顔をしている。

「この屋敷の方はどうなってる? もうとっくにこの部屋にも火が回ってきててもおかしくねぇと思うんだが、一向にその気配がない」

「この部屋から滲み出る唯ならぬ空気が進行を妨げているようで、火は屋敷の南側を燃やし尽くしたところで止まっています」

「そうだったのか……。不幸中の幸いって言やぁそうなんだろうけど、なんか釈然としねぇな」

「明確な理由はわかりませんが……。
  ――――紡に託された文書、確認しました。現在は二手に別れて動いています。屋敷の中には俺たちの他、清乃と救急箱を取りに向かった新入隊員候補1名、杏がおり、火事と雷獣の対応は菊之介、絢悠、新入隊員候補3名、紡が行っています。隊長と副隊長も合流予定です」

「大事な試験中にすまんな。しかしそんなに来てくれてるのか、ありがたい。まさか試験中の受験者たちや隊長、副隊長たちまで動いてくれるとはな」

    心底ありがたそうに幸志郎は庵と清春、真光を交互に見つめる。

「庵、来たばかりですまんが、怪我人――――、一ノ瀬さんを部屋の外まで連れ出してくれんか? できるだけ安全なとこで処置してほしい」

「待ってください」

    幸志郎の依頼に庵が答える前に一ノ瀬が口を開いた。

「俺にもここで見届けさせてもらえませんか? 旦那様のことも、東郷のことも、その責任があると思うんです」

「しかし怪我が……」

「痛みはありますが、傷は深くなかったようで出血は止まってきています」

    一ノ瀬の目は、不安気なまま、それでも真っ直ぐだった。周りの奉公人たちは複雑な顔を浮かべている。

    「わかった。この姿勢のままですまんが、仲間にちょっと今の状況を説明させてくれ」

   印を結ぶ姿勢のまま4枚の術符に異常がないことを確認し、幸志郎は続ける。

「彼に傷を負わせたこの鎌鼬はこの件の依頼主、西賀(さいが)氏が生み出したものだが、今は制御できなくなり誰の意図も関係なく暴走している」

    結界の外では勢いの衰えることのない風――――鎌鼬が飛び交い続けている。壁も天井も床も明確に見えない部屋の中ではその端は見極められないが、白い刃は時々何かに当たったように動きを止めると跳ね返されたように同じ角度で逆方向へと攻撃を始める。鎌鼬同士がぶつかった場所では互いの力が少しの間拮抗し、大きな風を巻き起こして霧散する。それがあちらこちらで起こっている。改めて先程まであの中にいたのだと考えると今も擦り傷のみで済んでいることが信じられない。

「止められそうですか」

    奉公人のうちの1人、目元に深いしわの刻まれた大らかそうな雰囲気を持つ年配の男性が問う。彼も何か術を使っているのだろうか。その手は💫
静かだが貫禄のあるその声の方に視線が集まる。心配の色は窺えるが、不安や動揺を隠しきれていない他の奉公人たちに比べると彼は随分落ち着いているように見えた。

「善処します。十分かはわからないが、人手が随分増えた。安心してほしい」

    幸志郎は保証のない絶対は伝えず、それでも誠意の込もった返答で彼らの不安を軽減しようとしていた。訊ねた男性のその表情からは完全には憂慮は消え去らないまま、それでも少しの安堵を湛えながら清春たち4人を順に見て柔らかな物腰で深々と礼をする。彼の態度もおそらく他の奉公人たちの不安を今以上に煽らない為のものだと感じられた。

「頼みます。状況が厳しい場合には、奥様と直(すなお)様、環(めぐる)様、そして若い者たちを優先して守ってもらえるとありがたい」

    どちらが兄でどちらが弟かはわからないが、直と環というのが少年2人の名前なのだろう。清春は、年配の奉公人のその切実な瞳と言葉に誠実に応えたいと思った。これまでの会話から真光と自分が正式な隊員でないことは伝わっているはずだが、そのような自分たちまで信頼してもらえることのありがたさが身に染みる。男性の言葉に気持ちを引き締められ、それと同時に上手くいかなかった時のことがより怖くなり、気負いや緊張感も増していく。
    幸志郎の言った西賀氏というのがこの度の依頼人、この家の主人の名前らしい。文書には闇雲(やみぐもり)が呪術を発動したとあったが、依頼主は依頼主で鎌鼬を発生させている。何故、依頼主は自分の屋敷で身内を巻き込んでまでこのようなことをしたのだろう。闇雲(やみぐもり)への抵抗だろうか。本人は今どこにいるのだろう。闇雲(やみぐもり)の姿も見ていないままだ。
    渦巻く思考がすべて読まれたわけではないが、状況をうまく把握できない清春たちの中に疑問が多く生じていることを察していた幸志郎が要点だけでも理解できるようにと考えながら続ける。

「まだ伝えておきたいことはあるが、懇切丁寧に説明してる余裕はねぇ。俺自身わかってないことも多い。ざっと説明するのをおおまかに理解してくれ。清乃も聞こえてるか?」


    返事はない。清乃のいるはずの部屋の出入口には、誰の姿も見当たらなかった。


「――――――?」





    読んでくださりありがとうございました。誤字脱字など、お気づきの点がございましたら教えていただけると幸いです。

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