構造と記憶
ボブの創造した「対文章式記憶術」の最大の利益は、
抽象的な構造の変換表を手に入れたことと
様々な情報が紐づいた情報の塊を
手に入れたこと。
これをドラえもん風に述べると、
ボブ太「ねーねー、シモえもん!全ての文章を抽象的構造で捉えたいよー!」
シモえもん「しょうがないなーボブ太君!ちょっとパンツの中から出すから待って。ゴソゴソどぴゅっ。対文章式記憶術の変換表ーー!」
ボブ太「何か白濁汁が付いているよ(汚いボソ)。それはそうとこれで文章を抽象的構造として見れるのかい?」
シモえもん「うん。しかも全ての文章を数字に直すこともできるし、簡単な四角形などのイメージにすることもできるんだ(ちょっと汚れているけど。。)」
文章を抽象的構造として認識できるようになる?
はっ!
あんたバカじゃない?
そんなことできて何の意味があるの?
と言ってくるエヴァの搭乗員とかいそうですけど(笑)
例えば文章を運動の軌跡として覚えたい!としたときに、
抽象的構造であれば具体的な性質を抜きにして、
線として捉えることができます。
対文章式記憶術的に言えば、
◯◯◯→これをーー→の
運動として捉える。
このようにしてパーツを運動として捉えることができます。
これをドラえもん風に述べると、
ボブ太「シモえもん!文章を全て運動で捉えたいんだけど、どうしたらいい?」
シモえもん「そんなの簡単だよー。何のために対文章式記憶術のパーツを覚えたんだよー(あったま悪いなこのクソメガネボソ)。
例えば
◯
◯◯
ていうパーツがあったとする。
これは
↓
∟→
ていう運動に相当すると頭の中で盟約に誓えばいいんだよ!アッシェンテ!!」
ここで重要なのは、
このような応用ができることがスゴイのではなく、
色んな形の情報(数や形、概念など)が規則的に並んでいて、
しかもそれを覚えていることが大事だということ。
ここがピックアップされるべきポイントだと思っている。
そのため色んなことに応用が利く。
対文章式記憶術がスゴイ、、
ではないということ。
ちな
文章を数にできるということは、
そこに数の分割や数の足し合わせなどができる。
それが素晴らしい!!
ちなみに
この文章自体、
あるnoteの記事と併せて読むと
あー、この人この方法を念頭に置いて
このnoteの記事を書いているんだーと、
真の意味で理解できる仕様になっています。