結局場所法ってどう進化すんの?

これは令和3年5月5日にきおく仙人さんの弟子のニッシーさんとTwitter上のspaceにて話そうと思って書いたものです。

私が考える場所法の“現実的”な進化先をこのnoteで提示します。
私が何より大事だと思っていることがあります。それは“想起スピード”です。なぜなら学習するにあたり、必ず復習が必要になるからです。記憶術といえど、一回で覚えたことを永遠に覚えていられる情報というのは希少で、ほとんどの覚えたことは復習しないといずれは消えます。
この想起スピードを最大化させるような場所法の進化をまずさせましょう。そう私は考えています。

それでは想起スピードをどう最大化させるとよろしいのでしょうか?
ここで私が着目したのは、「場所をたどることによる強制的なモノのイメージの想起現象」です。メモリーアスリートの人は場所を高速でたどることで、モノのイメージを半ば強制的に想起させているように見えるし、私の経験でも場所をたどると、そこに置いたイメージがぼんやり見えることが多々あることから、この現象は存在しているだろうと半仮説的に思っています。

この現象の肝となる部分は、“場所の情報量は多く、モノのイメージは少なく”という部分ではないのか?と仮説りました。これはなるべく特徴の多い場所の方が記憶しやすく、またモノのイメージは場所に一対一対応するぐらいの量であった方が、強制的な想起には向いている、という私の考えです。

この仮説が真であれば、場所に“無限大”の特徴数があって、モノのイメージは“ゼロ”であることがもっとも最適な解になると極論できます。
ここで皆さん、こう思ったと思います。「無限大の特徴数も無理だし、ましてやモノのイメージがゼロってww。何にも覚えていないじゃん!w」と思ったと思います。今の私の技術でもモノのイメージゼロは少し可能で、無限大の特徴数というのはまだ無理です。と、いうことでいつもの恒例になりますが、これまた答えがない問題だけの提起となります。

これに加えて、先ほどから想起の“スピード”のことばかり取り上げて来ました。が、本当は想起の“量”のことも取り上げなければ、片方だけ取り上げている感があります。

想起量の現象で破格の現象は、場所そのもの想起です。どうしてそうなっているのかわかりませんが、想起で一括で大量な想起をこなせるのは、場所しかありません。さあ、皆さん場所を思い出してください。するとどうでしょうか?一気に場所の地面や部屋であれば、壁と天井を思い出したと思います。

この現象をモノのイメージなどに応用できると今後記憶術の理解が深まると思います。またこの現象は、モノのイメージが場所になぜ定着するのか?ということにもつながって来る可能性があります。ようするに今まで漠然と置く力として位置付けられたイメージを強く場所に固定する作用に、この一括で想起できる現象というのが関わっている可能性がおおいにあるとにらんでいます。これは場所を思い出すことによって、“一括”でモノのイメージを強制的に想起できる点が似ているからです。

まとめ
想起“スピード”
半分仮説:場所をたどることで、モノのイメージを半ば強制的に想起させる現象
この現象を強く引き出すためには
仮説:場所の特徴は多ければ多いほどよい
仮説:モノのイメージは少なければ少ないほどよい
よって、極論仮説:場所の特徴数は無限大かつモノのイメージはゼロ
問題①:特徴数を無限に多くするためにはどうしたらいいのか?
問題②:モノのイメージをゼロにするためにはどうするか?

想起の一括“量”
観察結果:場所のイメージは、莫大な想起“量”を一括して想起できる
問題③:なぜ場所は一括して想起できるのか?
問題③が解けると解決するであろう現象
置く力がちゃんと言語的に理解される
理由:モノのイメージが場所を思い出すのにつられて、想起される仕組みが置く力と理解でき、場所の一括想起と似ていることから
仮説:つまり少なくとも置く力の十分条件が場所の一括想起現象ではないか

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