イラン男子エッサンとの「イン・シャー・アッラ―」な恋バナ
2017年5月 エッサンとはイランのシーラーズという街で旅行中に出会った。いわゆるナンパだ。
※以下に、イランに行った経緯を書いておくが蛇足なので読み飛ばしていただいてもこと足りる。前年、スペインを初めて訪れ、三か月かけて隣国ポルトガルも含め一通りの観光地を周った。特に、オビエド、サラゴサ、グラナダ、セビージャ、コルドバ、ポルトにおいては、イスラム教色の強い建物が残っており、コンキスタ(スペイン語ではレコンキスタとは言わない)の歴史に強く惹かれるようになった。教会の宗教画に疲れてきていたせいあった。アルハンブラ宮殿を観光するムスリマを見て、「つらくないのか?」と気を揉んだりした。かつて栄華を誇り、領土を広げ、美しい幾何学模様の装飾を残し、ヨーロッパでキリスト教徒やユダヤ教徒とも共存していたであろうムスリムたち。イベリア半島を追放され、現代では過激派組織、テロ組織のレッテルを貼られ大部分が誤解されているイスラム教徒の国は、いったいどんなところなのだろうと気になった。幾つかの候補の中から、アクセスがしやすく、広くて見所が沢山あり、あまり都会っぽく、親日なところ、それでイランを訪れてみることにした。イランと仲の悪いアメリカには当分行く予定がないから、いいやと思って。
旅仲間や「地球の歩き方」、その他イランに関する書籍やネットから、できるだけ情報収集した。airbnbやexpediaが使えないので、homestay.comを使い安宿を探した。クレジットカード決済ができない上に両替の桁数が大きいので札束を持ち歩く。そして、宿の手配から、現地でのトラブルまで今までの旅行先とはまるで違い、本当に毎日苦労した。私にはイランは時期尚早だった。そのトラブル話はボリューム大なので、また別の機会に。ただ、イラン旅行者全員が言うように、困っていると必ず助けてくれる人が現れるのがイランという国で、私も何度も救われた。イスラム教の教えなのかなとも感じた。
だいぶ前置きが長くなった。その日は、シーラーズと言えば「ペルセポリス」というほど有名な観光地(アレキサンダー大王に滅ぼされた都の遺跡)を午前中に見学し、猛暑下の徒歩で疲れきっていた。バザールの前をトボトボと歩いていると、髭もじゃの痩せたオジサンが英語で人懐っこく話しかけてくる。「どこから来たの?」「いつまで?」「名前は?」「仕事何してるの?」「あそこには行った?」「一人?」「時間ある?」それがエッサンだった。
ナンパだ。イラン入国初日のテヘランで、人懐っこく英語で話しかけてきた白タクの兄ちゃんに脅されてぼったくられ、イスファハーンでは、物乞いの子どもたちと喧嘩しかけた私は警戒した。しかし数分後、彼の車に乗って夜のドライブをすることになった。まあまあなアホだ。結局、犯罪に巻き込まれることはなく、エッサンは高学歴で好青年だった。夏のイランでは、人々は涼しい夜に遊ぶことを教わり、有名な詩人ハーフェズの墓廟を案内して貰い、ツーショット写真を撮った。お祈りの様子をカメラに収めていいよと手足を清めるところから見せてくれ、向日葵の種をかじりながらイランの結婚事情の話などを楽しんだ。完全に、デートだ。
お互いの年齢の話になり、私は39歳とあっさり教えた。彼は「何歳に見える?」という難題を突き付けた。どう見ても年上、45歳くらいに見えたがもちろん濁した。なんと27歳だった。言わなくて良かった。最近親友が結婚して羨ましいと言う。この流れはまさか、私が20代だったら、求婚されていたかもしれない。その可能性も込みでのナンパだったかもしれない。がっかりさせてごめんねエッサン、若く見えるかもしれないけど中年なの。
当時私が付き合っていた(と私は思っていた)スペイン人との話になり、「彼となぜ結婚しないの?」と聞くので、何でだろうねと言いながら、「エッサンは彼女いないの?」とボールを投げた。
「好きな子はいる。けれど、母が認めてくれないんだ」エッサンには兄が二人いて、二人とも既婚者で独立。エッサンが胎児の頃に夫を亡くした母は、末っ子の彼だけは手元に置いておきたいのではないかと思う、という話だった。恋愛結婚もあるようだが、かつての日本同様、近所のお見合いおばさんみたいなお世話係がいるそうだ。書類選考に合格した女性をまず男性側の母親が会いに行く。男性側の母親がOKなら、メール交換したり、親同席のもとお見合いをする。うまくいけば、その後結婚となる。だから、エッサンのその彼女は、一応母親の許可が出た相手であるはずだ。しかし、彼女とデートするのを許してくれず、メールのやりとりのみらしい。「幸せになりたいけど、母の気持ちも大事だから、待つんだ。神が望むなら(インシャーアッラー)、僕もいつか幸せになれるよ。君もね、だってこんなに素敵なんだから」私の願望で、偏った意訳をしているかもしれない。私が20歳若かったら、改宗も厭わず求婚していたのにと思うほど、スーパーナイスガイだ。
神のみぞ知る、神が望むなら、そう思えばクヨクヨ悩まなくて済むという境地を彼から学んだ。ぼったくられても、神がそう望んだのなら、それで私の命が救われ、誰かの食卓が潤ったなら、それでいいのだ。スペインで神や聖人の話には違和感を覚えたのに、この心変わりは何だろう。なんやかんやとっても大変で、当分行きたくないし、行ける国際状況でもないけど、イランを選んで本当に良かった。
その後も、エッサンとはWhatsAppで時々やりとりをしている。国費留学生として、イタリアに半年滞在するほどの優秀な人だった。しかも、コロナ下のイタリア、心配になってメッセージを送ると、シチリアの写真とともに、「自転車を漕いでいたら池に落ち、スマホが壊れてイタリアで買い換えた(笑)!沢山の初体験を楽しみながら論文書いてるよ」と陽気な返事が来た。初体験と言えば、アレもか?と未婚のイスラム教徒に対して下世話にも聞いてしまった。「イタリア人の彼女はできた?」「まだだけど、インシャーアッラーだね」とのことだ。改宗してイランに住んでも良いよ、という若い女子がいれば一番に紹介したい。
※私が言える立場ではないですが、国際ロマンス詐欺や、現地での凶悪犯罪事件も沢山ありますので、知らない人との交流にはじゅうぶんに気を付けて下さい。https://www.anzen.mofa.go.jp/info/pchazardspecificinfo_2020T021.html#ad-image-0