見出し画像

智者のふるまいをせずしてただ一向に生きるべし

充満する線香の匂いを嗅ぐ度に帰ってくるのはここだと思う。願我身浄如香炉から始まる香偈、大師在御判で終わる一枚起請文を聞くと子守唄のような安心感に包まれる。大本山知恩院はひっきりなしに49日法要から3日供養など休むことなくお経をあげ続けている。扇風機の意味もなさない本堂の中、お経を聞き続ける私は死に救済を求めている。極楽浄土は信じていない、あっても行きたくない私は阿弥陀如来から睨まれて動けずにいる。極楽浄土は苦しみや悩みから開放された幸福な世界?そうではない、苦しみ悩みを感じなければ幸せは生まれない。煩悩自体がないのだから幸せなど存在しない。つまり無、無の世界だ。そこには何もない。とこっそり教えてもらってから私は極楽浄土になんの希望を持たなくなった。それなのにも関わらず、私は手を合わせて時折ぶつぶつ念仏を唱える。なぜかはよく分からない。ただ、私は帰りたかった。ただ、私は死以外の救済を見つけたかった。ただただ安心したかった。トイレ休憩を挟みながら計3組の法要を聞いてた時である。大丈夫ですか?と老夫婦が私に聞いてきた。え、と聞き返すと熱中症なってない?と肩に手を置いてきた。それで初めて自分が異常なほど肩で呼吸していたことに気づく。暑くてたまらないのに手先が冷えきって痛いのに気づく。周りの参拝者の視線が恥ずかしかった私は、大丈夫ですとだけ言ってふらついた足で本堂を出ていった。知恩院の男坂をくだるだけでとんでもない汗と息切れと目眩を起こした私は階段の真ん中辺りに座り、近くの病院を探した。病院までとても遠かった。1時間近く待って採血をした後に点滴をした。脱水症状と軽い栄養失調だと言われた。よくよく考えるとコーヒーゼリーにトーストを2口、笹かまを1切れだけで3日間生活していた。死にたいからとかではなく、本当に食欲が湧かなかった。食べ物の匂いを嗅ぐだけで気持ち悪くなるし、自分は食べる価値のない人間とすら思う。たまにある、こういう時期としか思うしかなかった。看護師さんからはこれは緊急措置で脱水症状を良くするだけで栄養もほとんどないからなにか食べなあかんよ。と関西弁で言われ点滴の針を外された。帰りの電車の中、横に座ってきた赤ん坊と目が合った。普段は赤ん坊はあまり目に入らないのに、なぜか目が離せずにいた。3曲目、ランダムで流れてきたスティーヴィー・ワンダーのIsn't she lovelyで私の顔は醜くく歪み、顔を覆い隠す。美しく真っ当な歌に美しい生き物。何からも汚されて欲しくない。この前、ある母親に言った"子どもは子どもらしく生きるべきで大人の事情で大人の汚い部分を見せてはいけない"という言葉。私の涙はどうしても見せたくなかった。指の隙間から覗いた赤ん坊から一筋に垂れるヨダレを見ながら私は子どもを産むべき人間ではないと思う。なのにも関わらず股の下からずっとたれ続けている赤が酷く憎く悲しかった。今の私は人間のかたちをしてるのかすら分からない。私ね、美しい生き物や素敵な人たちの大好きな人達の不幸や苦しみを背負う存在になりたい。美しいものは素敵なものは何からも汚されるべきじゃない。そう思う。マミィ、ダディ、ごめんなさい。私生きてる意味がわからない、まだ見つけられないの。私、誰も傷つけたくないしむしろ誰かのためになりたい。くるしい、頭が痛い。今日はお布団で沢山沢山寝たい。今日だけは自分のために祈る、悪い夢を見ませんように。いい夢を見れますように。って

2024.9.16

今日、夢を見た。とても幸せな夢。前飼っていた犬が人間に生まれ変わって私に会う夢。犬は私を見るなり、一目散に駆けてきて笑顔で私に飛びついてくる。見た目も性別も年齢すらも違うけれど、私は一瞬で前に飼っていた犬だと分かる。けれど、人間に生まれ変わった犬には新しい人生が待っている。だから私はまたねと言うと犬は寂しいと言った。けれど、私は寂しくなかった。犬の笑顔をみれただけで、私のことを覚えていてくれただけで私は胸がいっぱいになっていた。そんな幸せな夢。暗い私をいつも笑顔にさせてくれる、とても強くて優しい犬。それは人間になっても変わらなかった。ありがとう、ただただ楽しいあなたが好きだよ、暗い僕を盛り上げるからね。



いいなと思ったら応援しよう!