気持ちいい生活まで
本能的に欲しいと思う人と人間として好きって思う人は必ずしも一致する訳ではないこと、その事実知ってしまった私は初めて子どもに戻れない事を悟った。会った瞬間に胸の奥がビリビリと痺れて触れたいと思う感覚、それを目の当たりする度に私たちの前世は動物だったことを思い知らされる。そういう人の前では口はキスをするためのものになるし、ある人の前では口は素敵な言葉を発するものになる。人間、動物、人間、動物、を、行ったり来たりもどったり。男と女で生まれてきた以上分かり合えない私たちは、そこにあるお互いの違う身体に手を伸ばす。素敵な身体にぴったりとくっついてる間私は完全な生き物と化す。この為に生まれてきたとすら思える気持ち、男ならきっと一生わかんないでしょうね。友達が多そうなのにどうしてそんなに寂しそうなんですか?って質問、今答えるなら寂しさを埋めるのは友人ではないってこと。悲しいけれど、本当にそうだと思う。寂しさを誤魔化してくれるのが友人だとしたら、寂しさを埋められるのが恋人だとそう思わない?言葉で交わすコミュニケーションと身体で交わすコミュニケーション。どうして、私たち人間はこの2つしか持つことが出来ないんだろう。もっと違う意味で繋がってみたい。重たいこの肉体から抜け出して、概念として目の前の誰かと繋がってみたい。または、大好きな人の身体の中に入って細胞を取りこめるとか。そして、大好きな人たちの細胞で新しい生命体を作ってその個体ができた瞬間私という存在がいなくなる。その代わり、その生命体が私と認知されるなんてすごく素敵。犬みたいにおしりの匂いを嗅ぐだけで、分かり合えるようになりたい。ヒキガエルに生まれ変わって、誰かに舐められて気持ちよくさせてみたい。私がビッチな女の子だったらこんな欲求もたずに誰とでも繋がることが出来たのかもしれない。でも、きっとそれだけじゃつまんない満たされない。声や身体で相手を感じるように風が頬を撫でた瞬間、プラットホームで電車をまってる瞬間、今にも消えそうな星の灯りをみた瞬間、私を感じて欲しい。五感の先の六感で繋がりたいってずっとずっと思ってるよ。理性を持った動物として何が正しいか、楽しいかずっと考えてる。