出したものを受け取る
出したものが受け取るもの、与えたものが受け取るものと良く言われているが、決して物質的な事を言っているのではない。
昔は自分も勘違いしていた人間なので、神社に行ってお賽銭を1万円してみなさいとか収入の10%を寄付してみなさいとかを耳にし実際その通りにしてはないけど、そういう事だと思っていた。
お賽銭はしてないけど、無理して受け取りたいが為に使った事はあったが、当たり前だけど手元から出した分だけが単に無くなった。
当然無理しているのだから、気分はネガティブ、焦り感、不足感しかなかった。
そもそもそういう意味ではなかったのだ。
出すというのは思い(非物質)の方だった。
幸せになりたければ幸せになりなさいとは良く言ったものだ。
幸せな時は幸せな思いを必然的に出しているのだ。
なので、出したもの、いわゆる幸せを受け取る事になる。
好きな事だけしなさいと言われるのはその為だ。
好きな事をしている時は幸せだからね。
ほぼこれを出し続けているだけで、完璧なのである。
仕事が上手くいっている時もお金をたくさん自由に使える状態の時も好きな人と一緒に楽しんでいる時も健康な時も必ず幸せな気持ちを感じでいるからね。
物理的に親切にしても、感謝される時もあれば迷惑がられる時もある。
寄付しても自分に直接現金が流れ込んでくる事が決まる訳でもない。
何か二次的なものを手に入れる為に出そうとしている時に出ているのは欠乏感に付随している気持ちだ。
受け取りたいものをどうやって得ようかと考えるより、受け取った後に自分から出ている気持ちに着目した方が今に幸福を持ってこれるのだ。
忘れてはいけない。
”今”しか存在していないのだ。
ならば出している時は受け取っている時なのだ。