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短編小説 【Uターン】

28歳になったばかりの夏、やたら蒸し暑い日だった。僕と美嘉は近所の中華屋にいた。

「アタシ、会社辞めるんだ」
美嘉の突然の話に俺は食べていた冷やし中華を危うく吹き出しそうになった。

「いつ?何で?」「お前会社では上手くやってるって言ってたよな」

「上手くやってるけど、あんな印刷屋の事務仕事なんてもうやりたくないよ」
「他にやった事ないのに大丈夫か?なんかアテあんのかよ」

「ないよ。だから暫くヒロシの家においてくれない?頼む。この通り」「炊事も掃除も私がやるから。こう見えてもそういうの得意なんだ」

「勘弁してくれよ。あんな10畳程度のワンルームマンションにお前が住むスペースないだろ」

美嘉は目を瞑って顔の前で手を合わせている。美嘉に頼まれると嫌だと言えない。美嘉は同郷の3人組だった誠とのバランスを崩してまで一歩踏み出した間柄だった。

「わかったよ。じゃあ2週間な。2週間だぞ。絶対だからな」

「うん、わかった。助かる」

2週間の約束だったが、あれからもう2年になる。今も美嘉は俺の家にいる。嫁さんとして。

あの2週間、一緒に暮らして美嘉の女性としての素晴らしさに気がついた。

俺の母親は家事はさっぱりであまりやらない人だった。学校に持っていく弁当だってユニークだった。白飯の上に鯵の干物を置いて、はい終わりとか、それのどこが悪いの?というような人だった。だから、弁当はそれから父親に頼んでいた。それに美嘉ほどの気遣いはできない人だった。

だからって訳じゃないが、美嘉の人間としての魅力や家事をテキパキやるところがキラキラ光って見えた。

それからはターボが効いたように事はトントン拍子で進み、俺たちは結婚した。そしてそれを機に田舎にUターンした。

東京では手に入れたはずの物が掴もうとすると指の隙間から溢れ(こぼれ)ていく。自分が今どこにいるのか見えなくなる。ただ真っ直ぐな俺には暮らしにくい街だった。

今は鄙びたこの村に暮らしてるが、ここに帰ってきてよかったと思っている。俺たち夫婦を頼りにしてくれる村の人達、特にお年寄りには比べるとずっと若い俺たちは頼りになる存在らしい。何より俺たちが頼られるのが心地良い。

もうすぐ美嘉との終の棲家も出来上がる。この田舎街で生まれ、そこで生きていく俺たちは、実体が掴めないあの都会にしがみついていた頃の俺たちより、きっとずっと幸せだ。

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