アマチュアチェリストの上達を阻むもの


アマチュアだから、下手でもいい

プロチェリストとアマチュアチェリストの違いはなんだろう。
プロは上手で、アマは下手、とイメージする人も多いかも知れない。
そういう僕も、かつてはそう思っていた。
「アマチュアだから、下手でも楽しめればよい」と。
「大人になってから楽器をはじめたのだから、練習してもそんなにうまくなるわけがない」と。

でも、今の僕は、上記の考え方には、ふたつの誤りがあったと思っている。
ひとつは、「アマチュアだから下手でも仕方ない」と考えていたこと。
もうひとつは、「大人になってからはじめても、うまくはならない」と考えていたこと。

僕は18歳でチェロをはじめて25年ほどになる。
でもその大半の時期を「アマチュアだから」、「大人になってはじめたから」という理由で、上達することを諦めてきたように思う。
その反省を、戒めのために書き留めておくために、この記事をまとめてみた。
同じように諦めている人がいるなら、この記事が少しでも参考になったら嬉しい。

まず一つ目の「アマチュアだから下手でも仕方ない」について。
結論的にいえば、そもそもアマチュアという言葉は「愛好家」という意味であって、そこに上手、下手といった技術的な意味や、経験年数の考え方は含まれてない。
だから「アマチュアだから」下手という関係自体成り立たない。
実際にプロでも「下手」な演奏もあれば、アマでも「上手」な演奏はある。

アマチュアという言葉を下手の言い訳に使っていた

改めて考えてみると、かつての僕は、「アマチュア」という言葉を理由にして、自分自身で勝手に限界を作っていたように思う。
自分で限界を作っているから、当然目標も低くなり、思っている以上には上達もしない。
実は上達というのは時間がかかるし、練習に取り組んだばかりのころは、なかなか結果が出ない。
でも大きな壁を越えたとき、飛躍的に上達する。
だから、壁を乗り越える前に、自分で上達しない理由を作ってしまうと、自らの可能性をつぶしてしまうことになる。
「自分はこんなもんだ」と。
僕は、その理由に「アマチュア」という言葉を使っていたのだと思う。
「アマチュアだからこんなもんだ」と。


そもそも上手とは何か

僕の好きな演奏に名指揮者フルトヴェングラーの指揮した、ベートーベンの第九がある。バイロイト祝祭管弦楽団の有名なやつだ。
第4楽章の最後、ベートーベンの指示はPrestissimoだが、ここのテンポは指揮者によってさまざまだ。フルトヴェングラーのテンポはかなり速い。
オーケストラもついていくのに必死で、縦線もあわなくなっている。
最後の音に至っては、なんと音が外れてしまっている。
それでもこの録音は、いまなお第九の一二を争う名盤として評価されている。


この演奏は、上手か下手かといえば、音を外し、リズムも乱れているのだから、下手な演奏ということになるだろう。
でも、この演奏は素晴らしく、聞くたびに感動する。
乱れて音が外れてしまった最後も含めて、ひとつの作品として成立していると思う。
そもそも、上手か下手か、技術的な正確さは、演奏を評価するひとつの要素に過ぎない。
上手か下手かよりも重要なのは、その演奏を聴いて、聴衆がどのような体験をするか、どのように感情を揺さぶられるかだろう。
ミスのない、極めて標準的な演奏の良さもあるが、挑戦的な演奏、技術的には失敗しているが情熱的な演奏、楽器を習いたての子どもの素朴な演奏にも人を感動させる力がある。
そして、技術的に未熟な演奏にも、そのように人を感動させる演奏はたくさんある。
僕は大学オケのころ、たくさんの大学オケや市民オケの演奏を聴いた。
そのどれもが技術的には不十分なところもあったが、内容は素晴らしかった。

「上達」のために必要な考え方

では、私たちはテクニックの習得をどのように考えればよいのだろうか。
正確で美しい演奏は、極論を言ってしまえば、コンピューターで作ってしまえばよい。また、聴衆が感動するかどうかは、人ぞれぞれの好みもあり、狙って得られるものでもない。

ここで「上手」と「上達」の違いについて考えてみたい。
僕は、この二つの言葉には大きな違いがあると思う。
「上手」は、他人と比べて評価するもの。
「上達」は、その人の成長を表すもの。

練習において大切なことは、上手に演奏できるようになることではなく、上達することではないか。
すなわち、「昨日の自分よりも成長できているかどうか」ではないか。
誰かと比べたり、人の評価のために練習するのではなく、自分の実力と向き合い、昨日の自分より少しでも上達することが大切ではないか。

アマチュアチェリストの上達を阻むもの

ところが、自分自身がどれだけ成長しているかを知ることは、案外難しい。
技術の習得は一朝一夕にできることではないからだ。
練習しても、なかなか上達しないことの方が多い。
それは、草木の成長を毎日見ていてもわからないのに似ている。
月日がたてば、草木は大きくなり、花が咲き、実を結ぶ。
同じ様に、諦めずに練習を重ねれば、必ず上達はする。
しかし、そのプロセスを実感することは難しい。

でも人間の脳は、繰り返すことで、神経回路のつながりが強くなることがわかっている。これは、楽器の練習についてもいえることだ。
つまり、繰り返し練習すれば、脳に神経回路が出来上がり、必ず上達するということだ。
神経回路の強化は、大人になっても、高齢になっても続くことがわかっている。大人になってからも、上達はする。
だから、「大人になってからはじめても、うまくはならない」という考え方も間違っている。

きっと、神経がつながるまでのスピードは、草木の成長のように、本当にゆっくりしたものなのだろう。
この目に見えない成長が進んでいる最中に、無理だと諦めて練習をやめてしまえば、上達はしない。

経験則としては、この神経のつながりは、徐々につながるというより、ある日突然つながるように思う。
1カ月くらい練習してもうまくいかなかったフレーズやパッセージが、何度も練習していると、ある日突然弾けるような感覚が訪れ、それからは数日のうちにみるみる上達するのがわかる。
つながった神経回路が、指数関数的に強化されるような感じだ。
そこに至るまでは、上達しているようには感じられない。
でも、信じて繰り返し練習すれば、必ず上達はすると感じる。
もちろん、正しい練習方法でという条件はあるだろうが。

人と比べるのではなく、自分自身と向き合う。
今の僕は、そのことを大切にして、上達を諦めずに練習している。
アマチュアやレイトスターターであることを、上達を諦める理由に使ってはいけない。

今回の記事をまとめる中で、自分自身、新たな気付きを得ることができた。
書く前は思ってもいなかった結論に達した。
noteにまとめるのって面白い。
今回の発見をいかして、これからも、自分自身と向き合い、一歩一歩練習を重ねていきたいと思う。
練習って奥が深い。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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