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モーニングの番組がしょうもない理由


 平日はいつだって憂鬱だが、スタートにしてラスボスの風格である月曜日には、その憂鬱が殊更に感じられる。麻生太郎は言った。希望とともに目覚め、懸命に働き、感謝を抱いて眠れと。そうして日々を過ごしていくことが何よりも大切だと説いた元宰相には申し訳ないが、月曜の朝に希望を感じることなどありえない。
 ホモ・サピエンスは、起床すると大脳の扁桃体という部分が活性化する。これによって運動能力や記憶力が上がりやすくなり、だから朝は脳にとってのゴールデンタイムなどと言われている。朝の日光が網膜から入ると、脳に覚醒を促すセロトニンというホルモンが放出され、活動する準備が整うというわけだ。
 そんな中で行われるモーニングシード戦。

 毎日毎日飽きもせず、燃えカスみたいなオッズが並ぶこの番組に、推定3,000万円ほど突っ込まれるのは何の因果か。
 この「当たったところで仕方ない番組」でも、賭けるインセンティブがある。その背景に、社会人たちの憂鬱が見て取れないだろうか。
 ギャンブルとは、退屈を紛らわせてくれる装置である。その中身は何だっていい。小銭を賭けて、結果を見る。その作業こそに意義があるのだ。退屈であればあるほど、ダウナーであればあるほどしょうもない番組は輝く。胴元からすれば、とりあえずでも当たってくれればまた明日も賭けてくれるので、逃げ率80%を誇るシード戦を毎朝毎朝用意する。

 モーニングの結果は、その日の収支にあまり影響を与えない。当たっても大したことなく、外れても次から次にレースが行われる。追い上げをするようなギャンブラーでも、モーニングは「スタート」だ。そんなに多額は賭けないだろう。
 コロガシの一発目に手堅く増やそうと目論むベッターや、朝イチ少額で大穴を狙うベッター、見送るつもりで出走表を眺めているうちに「やっぱりここだけは……」と一点買いをするベッター、朝の通勤電車でとりあえずポチポチとするベッター。様々な描像は、それぞれの胸中に退屈と憂鬱を抱えていて、それらを振り払うように投票する。

 くっきりと分かれたオッズ、くっきりと分かれた結果。ガチガチ決着と大穴決着にポラライズされた番組が組まれるのは、実は彼らの憂鬱を加速させないためである。

本命を買う→荒れる→仕方ない
     →当たる→そりゃそう、俺は天才!
大穴を買う→ガチガチ→仕方ない
     →当たる→キタコレ、俺は天才!

 我々は国土交通省にバカにされているのだ。モーニングの番組がしょうもないのは、それが我々の憂鬱と親和性が高いからである。ほらほら、どうせこういう番組でお茶を濁したいんでしょう? と運営が語りかけてくるようではないか。
 たまにはゴールデンタイムよろしく、冴えた脳で立ち向かいたい。番組をつぶさに眺めて、その上で見送るのだって立派な「ベット」なのだ。それがどうしても嫌なら、わずかに残る期待値を掬い取る妙手を見つけたっていい。

 憂鬱とともに目覚めてしまったすべての社会人に幸あれ。感謝とともに眠れるその日までお付き合いいたします。



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