夢と現実の水辺で
ディズニーリゾートへの訪問を徹底して避けてきた人生だった。私はとにかく人混みが嫌いである。飲食店も可能なら必ず予約し、待たずに入れない場合はスルーする。たかだか数分のアトラクションに240分も待つ神経が理解できないので、必然的に夢の国への誘いはすべて断ることにしていた。
一生ディズニー童貞として生きていく覚悟を決めていたところに、悪名高いウイルスが蔓延した。ピーク時に比べたら考えられないくらいの「閑散」が、ディズニーリゾートでも体験できるということで、春休み後の平日というおよそまともな人間なら来ないような日程を選び、初体験を捧げることにした。
ほぼすべてのアトラクションが15分程度の待ち時間で乗れ、歩くのにまったく苦労しないくらいの入園状況だった。なるほどこれなら何回来てもいい。気候条件も完璧で、つくづく幸運な初体験だ。池袋のどうしようもない三流ソープランドで童貞を喪失した後輩に申し訳なくなる。こんな素晴らしい状況は二度と来ないだろうと同行者は言っていた。ファストパスをとるために開園ダッシュし、食事をとるのにも一苦労、メインのアトラクションなら3時間待ちは覚悟する――戦後の壮絶な暮らしを聞いているようだった。
アクアトピアというアトラクションが最も記憶に残ったのは、普段から哲学に傾倒しているからだろうか。
この乗り物の売りは「どう動くか予測不能」という点だ。何台ものビークルが水上を走り回るのだが、けっしてぶつかることはない。派手さはないがクセになる。「最新の科学技術を体感してください」というアナウンスも、あながち大げさではない。
ビークルの進路にレールは存在せず、コンピュータ制御でランダムに行動する。GPSで位置を確認しながら、前進・後退・旋回を繰り返す。単純なアルゴリズムだが、接触を回避するという目的は高度に達成しており、同時に「予測不能性」という面白さも実現している。
アクアトピアは、ゲストが物を落とすなどのエラーに弱い。仮にひとつのビーグルを急停止させたとしよう。それは他のビーグルに即座に影響し、やがてすべてのビーグルが身動き取れなくなる。こちらのブログでは、アクアトピアが運航を停止している様子が写真におさめられているが、相当大がかりな修復作業をしていることが分かる。
予測不能性を維持するためには、高度な管理が必要で、それ故に些細なエラーにも弱い。
この、ある意味で逆説めいた性質は、実生活にも様々な知見を提供してくれる。
人は、無作為であろうとすればするほど、内在するバイアスによって「隠れた規則性」を作ってしまう。ためしに、まったくランダムに10ケタの数字を作ってみてほしい。
どうだろうか。ランダムだと言われると、同じ数字を2回続けないようにだとか、連続した数字を作らないようにだとか、余計なことをいろいろ考えてしまうだろう。残念ながらその思考はノンランダムネスだ。規則によって世界を認識する人間にとって、ランダム性は自由に作り出せるものではない。だからこそ乱数発生装置は重要な役割を果たすのである。
投資の世界で一時期もてはやされた「ランダムウォーク理論」という考え方について、少し思いを馳せてみたい。
この理論を単純に説明するなら、過去のデータやトレンドから未来の値動きを予測することは不可能である、というものだ。「猿がダーツを投げても結果は同じ」といった比喩がよく使われる。競艇に置き換えて言うなら、過去の逃げ率から目の前のレースの逃げ率を推定しようとしても無駄、あたりになるだろうか。
すべてが偶然であるのだとしたら、その世界で利益を出すことは完全に運だと言える。あなたがもし勝っているなら、たまたまダーツ投げが上手い猿なのだ。ランダム性への諦念は、我々の実力なんてものは幻想であり、すべては運のいたずらだという「虚しい結論」を導き出してしまう。
私が常に考えているテーマは、まさにそれである。本当に世界はランダムなのだろうか。不確実性を理解することを放棄してしまってよいのだろうか。
アクアトピアは、高度な管理によって予測不能なように見せている。そしてその管理は、トップダウン的な制御システムではなく、すべてのビーグルがお互いを認識しあうことから始まる。ネットワークによる「接触を避ける」管理が、あのランダム性を演出しているのだ。
猿もダーツを投げるうちに学習するだろう。それがどんなことかはさておき、それぞれの猿の相互作用によって一見するとランダムな事象が「現れてくる」のだとしたらどうだろう。
また、アクアトピアで「ゲストが物を落とす」アクシデントが起こったときのようなことが、自然界のランダムネスにも頻繁に発生するとしたら。そのとき、システム全体が停止するような「秩序状態」が訪れるのではないだろうか。
この先は、まだ考えている途中だ。そして、生涯を捧げると決意している研究課題でもある。競艇という俗物を対象としながら、この世界の謎に迫ってみたい。
つまり、ディズニーリゾートには哲学が詰まっていた。訪れてみてよかったと心底感じている。
浜風の心地よさを思い出しながら、夢と現実の水辺に我が精神だけでも置いておこう。