ちょうどよくない
もう使っている人もほとんどいないだろう。iPodはその昔、一世を風靡した。中でも人々のお気に入りは「ランダム再生」だった。私も好きな曲を詰め込んだiPodをシャッフルし、その順番を楽しんでいたものだ。
Apple社にはひとつ課題があった。試作品を作ったとき、ランダム再生をテストしてみると、こんな奇妙な現象に悩まされたのだ。
「同じ曲が続いてしまう!」
いや、奇妙だと思った社員はいないだろう。なんてことはない、完全なランダムにしてしまうと、一定の確率で「同じ曲の連続」を引き当てるというだけの話である。仮に1000曲入れていたとしても、0.1%の確率でリピート再生されてしまうのだ。これではシャッフルの魅力が半減する。
スティーブ・ジョブズはのちに「もっとランダムな感じにするために、少しランダムでなくした」というコメントを残している。真のランダムネスはときどき繰り返しを生み出す。そうならないように、シャッフル再生はまず登録されている音源をすべてランダムに並べ替えて、それを上から順に再生していくのだ。これなら一周するまで被らない。
真のランダムネスはときどき繰り返しを生み出す。このことは、理屈で考えれば簡単だが、実感として持つのは難しい。たとえば、1レースごとの的中/不的中はほぼ完全にランダムだが、面白いように連続して的中することも、何をやってもダメなこともある。しかし、思っているより「ちょうどいい起伏」はない。平均的な日を思い出せるだろうか。当たって外れて当たって外れてトントン、そんな日はむしろ珍しいのだ。
下ブレという言葉がある。収支の波が下がっているゾーンだ。そういう期間はできれば短く終わってほしい。上ブレと下ブレが交互に来てくれれば楽しい。しかしランダムネスはそれを許さない。容赦なく続く下ブレは必ず訪れる。
ちょうどいい具合を期待すると、ギャンブルのランダムネスな分散に耐えられなくなる。10日負けっぱなしだって「普通」の範疇だ。数字はそんなに優しくない。しかし、厳しいわけでもない。
淡々とランダムな振る舞いをし続けてくれる確率に対して、心を乱して憤る人が多い。それはもったいないことだ。現象を正しく理解していないからこその心理だと言える。克服すると新しい世界が見えてくるだろう。
確率は、私たちのことを嫌っているわけではない。ランダムとはそういうもの。それだけの話である。