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水面


 水面の青は、あらゆる色相に跨っていた。
 航跡が上がるにつれて、心地よい高揚を認識する。小さな歓声と激しいモーター音が水上で交差した。それを嘲笑うように、どこかゆっくりとしたターンマークの攻防があって、その数秒後には紙屑になった投票券に目を落とす。声にならない声が漏れて、無性に煙草が吸いたくなる。
 いつものルーティーンめいた流れの中に、少しだけ変化があったのは、春と呼ぶにはまだ寒く、冬と呼ぶには冷気が大人しい、怠惰な平日の午後だった。
「兄ちゃん、いつも一人だな」
 声をかけられることは珍しくない。若い男の一人客は、平日には浮いて見えるのだろう。しゃがれた音に目を向けると、穏やかな笑みを浮かべた老父がいた。煙草を吸っている間は気づかなかったが、喫煙所と賭場を隔てる小さな植え込みのあたりに、しばらくそうして立っていたようだ。
「ああ……はい」
「一人で寂しくないんか」
「ギャンブルって一人でやるもんじゃないんですか」
 内心少し腹が立っていたが、顔にはぎこちない笑みを貼り付けたと思う。
「兄ちゃん、ギャンブルしてるんか」
「え、そうですけど」
「そうかぁ」
 妙な質問だった。春になると変人が出てくるという迷信があるが、その類型のようにも思えて、この場をどう切り抜けようか思案した。特別観覧席に入ってしまうのは妙案だが、この時間から入場料を払うのはいささかもったいない。舟券に投じる数千円は惜しまないのに、今日は昼飯すら食べていないのだ。
「えっと、ギャンブルしてないんですか」
 気づいたら妙な質問を返していた。面倒なことは避けたかったが、それよりも苦痛なのは無闇な退屈である。今日はかすりもしないノーヒットで、刺激に飢えていたのかもしれない。
「俺ぁ舟が好きなんだ」
「はあ」
「兄ちゃん、次のレース何が来ると思う」
「え、はあ」
 慌ててスマートフォンで出走表を確認する。紙の出走表も無料だが、版が大きくて使いづらい。投票もスマートフォンでできるが、それだと味気ない。デジタルに予想して、アナログに購入するという、自分でも変だと思う習慣があった。
「これ逃げるんじゃないですかね」
「そりゃあ、そう言えば半分は当たらぁな」
 老父は古びたふすまを動かすように笑った。不思議と腹立たしさは消えていた。顔のせいだろうか。数え切れない皺たちが、おかしな統率感によって一定の笑顔の形に整列している。賭場にいる老父は、みな一様に険しい顔をしているため、新鮮にも感じられた。
「おじいさんは、どう買うんですか」
「うーん、そうだなぁ。2-5なんてのはどうだ」
 半信半疑のまま、遊びで二連単を買った。数分後、老父のことが一瞬神様のように見えた。遊びの千円は、今日の負け分を大きく捲る五枚の一万円札に化けた。
 この日から、老父のことをニコ爺と呼ぶことになった。いつもニコニコしていることにも引っ掛けている。ニコ爺もその仇名を気に入ってくれた。
 奇妙な二人打ちが日課になった。

 毎日訪れるわけではないが、暇さえあれば行くようになってしまったのは、ニコ爺の存在が大きかった。あれ以来、ニコ爺は自分の予想をけっして話さなかった。しかし、横で一緒に競艇をしている時間に、説明がつけられない心地よさを感じるようになった。
 母が死んでから、内臓がひとつなくなったような生活をしていた。父を幼い頃に亡くし、人生のほとんどは慎ましい母子の二人三脚だった。少年期から倹約が身に染みついており、公営の小さな団地での支出は極端に低く、保険関係の仕事をしていた母と、一般的な営業職の自分の給与は、しばらく働かなくてもいいくらいの貯金として積み上がっていた。そこに保険金も来たものだから、どう使っていいかも分からず、なんとなく仕事を辞めた。愚策だった。暇は悲哀を増幅させる。
 その厄介な暇を塗りつぶすことは、使命のようなものであった。最初はパチンコ、飽きたら個室ビデオ、そうして競艇場に流れ着いた。
「ニコ爺はいつから競艇やってるの」
 口調からはすっかり敬語が剥がれていた。唐突にそんなことを訊く気になったのは、例に漏れず大きな的中もなく、いつもは耳心地いいモーター音にすら嫌気がさしていたからだった。
「そうだなぁ、兄ちゃんが生まれる前からやってるなぁ」
「ベテランだね」
「歳食っただけさぁ」
「年の功は偉大だよ」
「んなこたぁないよ。後悔が積もって、あんまり前が見えなくなる」
 見えていない割には2-5ぶち当ててたけどな。その無粋な感想は飲み込んで、痺れを打つような水面に目を移した。
 ニコ爺がどのくらい勝っているのか、あるいは負けているのか気になっていた。どうやら全レース買っているようだが、換金するところを見たことがない。それなのに、一度「大口窓口」のことを話していた。たしか五十だか百だかの払戻金は、それ専用の窓口に行かないと受け取れないというやつだ。都市伝説の類かと思っていたが、ニコ爺の語り口は滑らかで、経験者だとしか思えなかったのだ。それに、神がかった「2-5の実績」もある。
 こうなれればいい。ニコ爺と話していると、しばしばそんな気持ちになった。どんな結果でもいつも穏やかで、聞くに堪えない悪罵も、耳障りな嬌声もない。淡々と眼前の光景を眺め、ゆったりと話す。何にも急かされていないような不思議な雰囲気があった。このように歳を重ねることを、言葉に当てはめるなら老成とでも言うのだろう。
 そんなニコ爺が、初めて負の感情を出したときがあった。

 その日は珍しく勝っていた。どれだけ生活に影響がなくても、財布が一時的に厚くなるのは気持ちがいい。仕事をしていない身分だと、毎月一度の給料日なんてない。口座は目減りしていく一方なのだ。
 勝ち分をキープしながら、少し穴で遊ぶことにした。タイムだけ出ている新人を頭にして、スジを買ってみた。二百倍くらいはつく。遊ぶ余裕のあるときは、不思議と予想も冴え渡るもので、本当に青いカポックが捲っていった。
 しかし運はそこまでで、スジ舟券はすり抜けた。青白赤で三百倍。どれだけ勝っていても、逃した魚は大きく見える。ついぼやきが出た。
「何でカドが捲ったのに、赤が残るんだよ」
 そう言いながら横を見ると、ニコ爺のいつもの笑顔がなかった。水面の陽光が反射して、むしろ翳が目立つような切ない表情だった。はっと我に返るように、とってつけた笑顔を貼り直して、
「そうだなぁ」
気のない返事があった。
「ニコ爺、どうしたの」
「うん?」
「え、いやなんでもないならいいんだけど。外れた?」
「ん、ああ。いや、当たったな」
「え、いくら」
「いや、まぁ、どうでもいいだろう」
 それ以上は訊かないはずだった。しかしどうしても気になってしまった。
「たまには競艇教えてくれよ。こそこそ勝ってないでさ」
 自分も勝っているというのに、酷い言い草だった。八つ当たりをするような場面ではけっしてなかった。発話の速度に、理性が追いつかなかったのだ。
「本当は俺の買い方見て馬鹿にしてんじゃないの」
「そんなことはない」
「じゃあ教えてくれたっていいじゃん」
「ああ、いや、外れたんだ。別に俺ぁ競艇うまくなんてないんだ」
「なんだよそれ、本当かよ」
「あぁ、本当さ」
「なんだよ、尊敬して損したよ」
 最後は含み笑いを纏わせた捨て台詞になってしまった。ニコ爺は相変わらず笑顔だった。ずっと暖簾のようだった。しかしその日は、その笑顔の奥に何も寄せつけないような翳りを感じた。
 何やら気まずくなって、一週間ばかり競艇場通いをサボった。
 それ以来、ニコ爺の姿を見かけることはなかった。

 花冷えも過ぎ、ジャンパーを着なくても肌寒さを感じなくなった。水面には白く泡立った引き波が残っていて、自分の舟券が紙屑になったあとも、しばらくそこから目が離せなかった。
 無意識のうちにニコ爺を探してしまう自分に気づいた。誰に咎められるわけでもないのに、妙な罪悪感に苛まれて、そんなときは決まって水面を見つめた。
 展示航走のモーター音は、メトロノームに合わせているかのようなリズムで、耳当たりがよかった。しかし、その単調さにふと嫌気が差す瞬間もある。考えたくないことを考えてしまう。出走表に目を落とし、適当に買い目を決めて、室内の発券機に向かおうとした。
 珍しくなくなったとはいえ、若い女性の一人客は目を引く。賭場に似つかわしくないその女性は、舟券を買う様子もなく、ただぼんやりと水面を見つめていた。好奇の視線が彼女に集まっているのを感じ、その烏合の一人になったことが気恥ずかしくもあったが、一度目を切って投票券を買うと、すぐにその場に戻った。視界の端に彼女を入れながら、いくつかレースをやり過ごした。結果などどうでもよかった。
 最終戦が終わっても、彼女はまだ水面に目をやっていた。磨き忘れたガラスを見ているようだった。どこか虚ろで、そのまま入水でもしないか心配になる。人々が払戻の行列に吸い込まれていく。そういえばニコ爺も、なかなか水面から目を離さなかった。
「あの」
 気づいたら声をかけていた。
「どうかされました?」
 やや紅潮した白い肌。風を逃しそうな輪郭に、すとんと落ちるセミロングの黒髪が印象的だ。下唇だけが小さく埋もれるような逡巡があった。上目でこちらを見る顔は、目尻だけがやや不自然に柔らかい。突拍子もない、それでいて妙な現実味のある想像が頭に過ぎった。
「もしかして、誰か探してますか?」
「あ……いえ」
 ナンパだと思われているだろうか。警戒心のとれない表情。急に羞恥心が全身の皮膚を駆った。
「すみません、変なこと聞きました」
「あの」
「え?」
「これ、どうやって買うか教えてくれますか」
 彼女が小さなカバンから紙切れの束を取り出した。輪ゴムでとめてあるが、それは投票券だった。
 三連単一点。百円。あまりノーマルではない投票券だ。しかしその数字になぜか懐かしさを覚えた。腹の底から上がってきた感情の正体が掴めないまま、記憶の糸をたどった。
「ヨン、イチ、サン……」
「これって当たってるんですか」
「いや、っていうかこれいつの」
 日付を見た途端に閃光が走った。
 ニコ爺と最後に会った日だ。
「これ誰から?」
 目を泳がせながら、次の言葉を探しているのがわかった。春風がこちらの背を撫で、そのまま彼女の髪を遊ばせた。
「祖父です」
 ああ。目尻にそんな柔らかさを感じていた。

 ニコ爺は亡くなっていた。脳溢血だったそうだ。
 彼女、ニコ爺の孫娘は、遺品を整理していた際に投票券の束を見つけたと言っていた。最初は何か分からず、記載されている「戸田」の文字を頼りに、とりあえず来てみたらしい。それにしても、当たり外れ問わず投票券をすべて保存していることが奇妙で、しかしどこか腹落ちするものがあった。ついぞ換金の姿を目にしなかったことである。
「ご愁傷様です」
 だいぶ遅れてから定型文を伝えた。母が亡くなったときに何度も聞いた台詞だが、自分から言うのはいつぶりだろう。
「祖父は……どんな様子でしたか」
「様子、ですか」
 ニコ爺はいつも笑顔だった。お互いこれといってプライベートを開陳することもなく、本名すら知らないまま水面を見ていた。他愛もない会話の断片にニコ爺を思い出そうとしたが、浮かんでくるのはあの笑顔だけだった。
「祖母のことは」
 初耳だった。虚をつかれ、無言で先を促すことしかできなかった。
「私の祖母は、昨年亡くなりました。祖父の落胆は相当だと父から聞いていたので、心配だったのですが」
「いやあ、そんな感じはとても」
 そう答えて、少し無神経だったかと反省した。
「何も話してくれなかったんですよ。僕が知り合ったのも今年に入ってからでしたし。ニコ……おじいさん、いつも笑ってるだけで」
「でも、これを見ちゃうと」
 彼女はゴムをとり、束をほどいた。この束がいくつもあったんですよ、と苦笑する。トランプのように広げると、たしかにその奇妙さに気づいた。
 すべて同じ買い目の三連単だった。ヨンイチサン。あのときの三百倍がフラッシュバックする。ニコ爺は投票券を見せたがらなかった。そのとき、頭に小さな閃光が走った。
「これってもしかして、おばあさんの」
「はい、命日です」
 自分の予想を見せたがらなかったのではない。自分の目的を悟られたくなかったのだ。
 思い返せば、初めて喫煙所で話しかけられたとき、ニコ爺は「自分はギャンブルをやっていない」とでも言いたげな口ぶりだった。ニコ爺のあらゆる感情は、実は水面には向けられていなかった。そう考えると合点がいく。どこか決着に無関心なように見えたのも、小波の奥に亡き妻を想っていたからなのか。
 手元の束に目を落とし、投票券を一枚ずつ見た。スマートフォンで日程を確認する。戸田競艇が行われている日はすべて、全レース同じ舟券を購入しているようだ。
 こんな弔いがあるだろうか。少しぞっとするほどの念を感じた。
 今年から社会人だという孫娘に、舟券の買い方を教えた。本場でのレースは終了していたので、併設されている場外舟券売り場でナイターのレースを購入した。二人で百円ずつ買った。
 ヨンイチサンと、サンイチゴ。ニコ爺の命日も添えた。

 ターンマークの近くが定位置だった。しかし、土曜日ともなると人が大勢いる。野次や歓声とともに過ごすのは好みではない。特別観覧席へと向かったが、そこも満席だった。仕方なく喫煙所の近くでぼうっと突っ立っていた。
 ニコ爺の孫娘との邂逅から一か月ほど経ったが、相変わらず競艇をして、差し迫っていないタイプの一喜一憂をする毎日だ。変化と言えば、ようやく働く気になったことと、サンイチゴの「命日舟券」を欠かさず買っていることだ。もっとも、自分の予想も買った上で、ではあるが。
 思えば、最初の神がかった2-5も、偶然の産物だったのだろう。毎日誰かに声をかけていれば、いずれビタで的中する幸運な男に巡り合う。それが自分だったのだ。
 ぼんやりと結論の出ない考え事をするのに、競艇場という場所はうってつけだった。予想と購入を終えてしまえば、あとは眼前に広がる水面を眺めていればいい。その隙間は、とりとめのない思考で自然と埋まっていく。
 そこにうまく嵌まらない断片が、明確な疑問となって具体化したのは、準優勝戦を間近に控えた昼下がりのことだった。
 どうしてニコ爺はギャンブルをやめたのだろうか。
 孫娘との対話を経て、ニコ爺は「命日舟券しか買っていなかった」という確信を得た。弔いと思えば腑に落ちるが、それでも他の舟券を購入していなかったのは不自然だ。大口窓口の存在をあれだけ現実的に語れるあたり、賭博としての競艇にも一定の関心を払っていたと思われる。
 妻との死別がニコ爺を変えたのだろうか。それはどうしても納得できなかった。ギャンブルは、悲哀を埋めるには格好の題材なのだ。自分がそうであったように、人生へのやるせなさや、どうしようもない寂しさは、他のどうでもいいことで塗り潰したくなるものだ。わざわざ「命日舟券」だけを律儀に買い、片時も妻を忘れないのは、感動を誘う話ではある。しかし、ひとたびニコ爺自身の心情に寄り添うと、それは辛すぎるんじゃないか、そう思えてならない。
 いや、あえて苦行を自分に強いる理由があったのだとしたら。
 波のような思いつきは、指を動かした。競艇の公式サイトには、昨年の結果もすべて掲載されている。戸田競艇、四月十三日。
「あった……」
 2-5の二連単。高配当だった。
 この日、妻を亡くした日にも、ニコ爺は戸田にいた。そう推測するのは自然なことだった。このレースを的中させた可能性もある。なぜ初めて会った日、2-5という買い目が自然と口をついたのか。ニコ爺の頭から取り出しやすい数字だったのではないか。
 嫌な想像が頭をもたげた。
 準優勝戦の初戦が始まっていた。白いカポックがあっさりと逃げ、その航跡に鮮やかな五色が続いている。
 孫娘に、祖母がなぜ亡くなったのかは聞かなかった。いや、聞けなかったのだ。祖父を亡くしたばかりの彼女に対して、まだ鮮明に残っているであろう昨年の話など、尋ねられるわけがない。
 二周目、青いカポックが鋭いターンを決めて、半艇身先の舟を抜き去った。低い歓声と落胆のため息が、漣のように広がった。
 この束がいくつもあった。孫娘はそう言っていた。妻の死後、戸田で開催された全レースで命日舟券を買っていれば、それなりの金額になっていたことだろう。競艇は二十四場で年間五万レースほど行われている。戸田で二千と少しくらいか。百円ずつで二十万だ。
 命日を弔うだけではなく、舟券を買うことに意味があったのだとすれば。
 
競艇にマラソンのようなゴールテープはない。白から順に、次々と虚空に抽象化されたゴールラインを通過していく。優勝戦に進出する最初の二艇が決まった。観戦していた人々は散り散りになり、早速換金しにいく者と、次のレースに切り替える者の明暗があった。
 母親のことを思い出した。母子仲は悪くなかった。それでも後悔は積もっている。もう少し優しくしていれば、と思う場面ばかりだ。たまには二人で焼肉にでも行けばよかった。母はいつも同じような夕飯を食べていた。自分は職場の仲間と、たいして美味くもない酒に数千円を払うというのに。倹約家が染みついているせいで、そんな夜はいつも自己嫌悪に苛まれていた。
 積み上がった貯金は、見方を変えると後悔の山積でもあった。そんなものは、何も生み出さないことに遣ってしまいたかった。前向きに金を使おうとすると、嫌でも人生を直視することになる。
 ニコ爺はおそらく、妻が亡くなった日に競艇で勝ったのだ。
 大切な人と過ごさなかった時間が金銭という具体で残るのは、どれほど辛いことだろう。全部舟券に換えてしまいたくなってもおかしくない。妻の命日という、これ以上ない現実を刻印したことは、せめてもの贖罪だったのか。それで少しは救われたのだろうか。
 気づくと、準優勝戦の二戦目が始まろうとしていた。それぞれがそれぞれの定位置について、目当ての結果を待ち望んでいる。大げさに十字を切っている若者もいた。希望を持ってレースに身構えているが、その希望は刹那的なものだ。すべて承知の上で、それぞれはそれぞれの人生の断片を、小さな投票券に刻んでいる。
 堪らなくなって踵を返した。レースが始まると、通路の雑踏は広がり、幾分か歩きやすくなる。談笑する人もまばらで、モニターを真剣に眺めている老父がちらほら見えるばかりだ。
 建物を出ると、小雨でも降りそうな春の曇天が広がっていた。
 橋上から翻る彼方に、展示ピットを出る小さな艇が連なっている。
 モーターの音が橋まで伝わってきた気がして、それを踏みつけるように歩いた。



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