食洗機と予想屋
85,000円で購入した食洗機を10年間使うと仮定した場合、1日に2回食器洗いをすると、手洗いの場合33円、食洗機洗いの場合35円かかるという。朝の情報番組で甲高い声がアナウンスしそうな内容だ。1回あたり食洗機の方が2円高い。でも2円で済むなら時短をとりましょう! こうして食洗機は売れる。
人は何かを購入するとき、多くの場合、実は時間を買っている。このケースなら、2円と数分をトレードしている。電車に乗るとき、ファストフードで済ますとき、専門学校に入学するとき、あなたは自分で歩くより早いから、自分で作るより早いから、自分でコツコツ学ぶより早いから、それ故に対価を支払うのだ。
金で時間を買い、時間で金を得る。自分の人生が有限であることを知っているから、私たちは積極的に時間を買っている。
賢い消費者でいるためには、予想屋からも時間を買わなければならない。
そんなことありません、予想屋からは的中を買うんです。そう本気で信じている人は、今すぐ本屋に行って『ナンバーズ4で確実な当選を手にする方法30』を買い、温かいお風呂に浸かりながら熟読してほしい。
予想屋からは時間を買うのだ。それ以外ない。情報であろうと、考察であろうと、その質の是非はさておき、そこには予想屋の「時間」が詰まっている。食洗機を動かしている間、あなたがYouTubeでABEMAの切り抜き動画を観られるのと同じで、予想屋が必死こいて探索し、組み立て、お節介にも買い目まで記載している間、あなたはギャンブルのことを考えなくていいのだ。その対価として記事代を支払う。
ここで「自分で洗った方が早くないか」と気づいた人はセンス十分だ。多くの――ほとんどの予想屋が出す記事は、十分な時間をかけられていない。
情報に対していくらの時間的コストがかけられているかは、単純な制作コストだけではなく、それまでその販売主がどれだけの経験(=時間)を積み重ねてきたかを考慮しないといけない。調理時間が30分でも、そのシェフは人生を捧げてその料理を完成させてきた。だからそのレストランで10,000円支払うのだ。予想屋も、相当な努力を重ねて、この運と実力が不可分な領域で研鑚を積んできたのであれば、その単発の予想には相当な「時間」が込められている。
逆に言えば、その背後に「時間」があると思えないのであれば、そしてその「時間」に対して支払うべきコストでないと判断されるのであれば、その予想は買う必要がない。1回あたり2,500円かかる食洗機なら、あなたは購入を躊躇うだろう。この場合、手荒れを受け入れ、YouTubeは我慢するべきだ。
情報の質は買ってみないと分からないが、提示されたものに「どのくらいの時短効果があるか」であれば、案外素直に測れるものだ。
人間は時間とともに生きるようにプログラムされている。物の価値は曖昧で、運と実力の見分けは難解だが、自分の時間に対してはシビアでいられるのだ。
いくら知識がなくても、ゆっくりと調べ、整理し、噛み砕いていけば、目の前のレースを単純に予想することなんて容易い。そして何より重要なのが、いま積み重ねた経験は、次のレースではさらなる時短に繋がる。こうして指数関数的に上昇していく「コスパ」を、あなたは数百円出して諦めてしまっていないだろうか。
生活必需品であれば、少なくともあなたは私より「買い物上手」なはずだ(私は未だにサイズの合わない服を買っては後悔している)。情報商材に対してだけ無頓着になる理由はない。
もっとシビアに見てやろう。彼らが出す「商材」の背後にどれだけの時間が堆積しているか。あなたの脳はそれを感知できるようにできている。