勝ちたい?
競艇予想について書き始めた頃、よく「勝つためにはどうしたらいいですか」という相談を受けた。そのたびに回答に窮していたのだが、面倒だから放置するという思考がない私は、そのたびに長文を書いて送りつけた。返答があるのは数割だ。あまりに理不尽である。
回答には「そもそもどうして勝ちたいのですか」という質問を付け加えるようにしていた。当然ではないか。ギャンブルで勝ちたい。その意思には理由が必要だ。勝たないと気が済まないのか、明確に稼ぎたい額があるのか。それによって回答は変わる。なぜ勝ちたいのかを訊かないことには、どうやって勝つのかについて語りようがない。それなのに、返答があるのは数割だ。もう一度言う。あまりに理不尽である。
そういう手合いを晒し続けていたら、無礼なダイレクトメッセージはママ活を除いてほとんど来なくなった。今思えば、少しもったいないことをした。サムバディの「勝ちたい理由」を知ることは貴重な機会なのだ。フィーバー率数割のクソ台でも座り続けていればよかった。
お金を得ることが嫌いな人は少ない。賭博に手を出しているなら、その傾向はより強く、ありていに言ってしまえば「楽して金を得たい」の一心なのだろう。それ自体は悪いことではない。適切なリスクをとっている自覚があるなら、楽して金を得ようとする欲求は理にかなっている。
しかし、市場で勝つためには、それ相応の努力が必要だ。胡散臭い情報商材だってその当たり前のことくらいは前書きに記載している。努力なくして成功なし! 以下の応募フォームから限定10名様の特別テキストを……。せっかく努力が必要だと詐欺師も説いてくれているのに、フォームにクレジットカードの番号を入力しているとき、彼らの頭から努力の二文字は消え去る。
自分に嘘を吐かない方がいい。努力して成功したいなんて本当は思っていないでしょう。多くの人は、なにがなんでもギャンブルで勝ちたいのではない。自分が楽に金を得られる情報を、ノーコストで取得したいのだ。私は、そのような情報の持ち合わせがない。そんな野郎には用がないので、返答が来ない。元ホテはこうして孤独になった。
努力をしてでも勝ちたいという奇特な価値観をお持ちであれば、なぜ勝ちたいのかをもっと明確に考える必要がある。そこが曖昧だと、短期間で大きく負けた際に底知れない絶望感が襲ってくるからだ。ギャンブルから離脱する人は、大半がそのような経路を辿っているように思えてならない。
面白くもない努力をして結果(≒金)を得ることは、なにもギャンブルでなくても達成できる。アルバイトなどはその典型だし、株式投資にしがみついても構わない。資格をとってキャリアアップするのも、社内営業に精を出して昇進するのも、すべて努力コストを支払って対価を得る行動だ。そんな「つまらないこと」をギャンブルでやりたいなどという人は、その時点でだいぶマイノリティだ。楽しんで金が得られればラッキーと考えるマジョリティの方がよっぽど自然で、むしろ「合理的」かもしれない。
ギャンブルにおいて、金銭面以外で挫折する人は、そのいずれでもない煉獄のようなところでもがいている。本当は楽して金を得たいのに、そうでないと勘違いし、下手に「努力の沼」に足を突っ込んでしまうという煉獄だ。
自分自身の満足度が、何によってどの程度上下するのか。勝つための方法を模索するより先に、そうやって自分を見つめる時間を持てた人は強い。
マーケットの魔術師として一世を風靡したエド・スィコータの「みな相場から自分の欲しいものを手に入れる」という言葉は、字面以上の含蓄がある。「自分の欲しいもの」を理解しているのは大前提なのだ。そこがスタートラインであるはずなのに、それを考えずに煉獄へと足を踏み入れてしまう人がいる。
SNSでいくら嘘を吐こうが自由だが、自分自身の効用に嘘を吐く必要はない。果たして本当に勝ちたいのか。そのためにどのくらい努力したいのか。その渇望はどこから来るのか。問いかけるべきは自己である。