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何も起こらない


 何も起こらないというのは非常に退屈である。平穏であることを望んでいるようで、どこかで小さな刺激を求めてしまう。人間の性だ。

 競艇では、予期せぬことが起こると払戻金の倍率が高くなる。ルーキーが差したり、スタート遅い選手が捲ったり、明らかに格上の選手が逃げなかったり。何かが起こると配当は跳ね、人々の心を躍らせる。
 一方で、何も起こらず、周回展示のようなレースを見せられて1-2-3。これはつまらない。つまらないと思うから人は穴を探すし、数%の可能性に賭ける。それでも的中は欲しいから買い目を広げて、結果、たいして回収できない万舟をたまに当てる。穴が的中したときの全能感は麻薬だ。「何かが起こる」ことを予期したとき、人は未来を見通したような気になる。

 競艇は、スリットがしっかり揃って、インが素直に先マイして、2コースが素直に追走して、3コースがその外を回って、ダッシュ艇は3コースに舳先を届かせず、道中もその隊列を維持すれば、必ず1-2-3になる。そう、これだけのことが「起こって」はじめて1-2-3が完成する。もちろん、それぞれの条件はその都度変わる。スリットがバラバラでも1-2-3になることはあるし、1-2-4から道中抜いて1-2-3になることもあるだろう。「何も起こらない」というのは簡単そうに見えて、とても多くのことが条件になっている。「何も起こらない」ということが起こっているのだ。

 「何も起こらない」結果にも、数多の偶然性が纏っている。たとえばその本命決着レースでは、インが凹まなかったし、誰も飛び出さなかったし、道中の事故も起きなかった。そのいずれかが起きていれば波乱だったわけだ。
 「何も起こらない」ことに必要だったそれぞれの条件要素について、オッズを根拠に表と裏をひっくり返せば穴狙いになる。5倍だろうが100倍だろうが、当てたこと自体は何も凄くないのだ。偶然の度合いに差があるだけなのに、本命決着をいかにも《必然の結果》だと考えてしまうのは人間の愚かな心理である。
 「何も起こらない」ことも、数ある起こり得た未来のうちのひとつであり、そこに対しては波乱と同等のリスペクトを払わなければいけない。しかし、何も起こらなかったが最後、そこで起こった偶然——つまりは今後の糧である――には目を向けずに、「ああ、やっぱり本命決着だったか」と思考を停止させてしまう人が多い。その心理の蓄積が、なんてことない出目に期待値をもたらすのだ。
 安い出目を過剰に必然的だと思い込んだり、何かが起こることに期待しすぎて大穴を過剰に信じ込んでしまう。すべては人間心理が作り出す幻想だ。その幻想と現実の乖離が、オッズ上では《妙味》となる。

 どの「偶然」を自分が採用したか。たったそれだけの意思決定が、オッズを作り、的中と不的中を分け、収支のプラスマイナスに繋がる。
 そういうゲームをしているのだという自覚が、もしかしたらあなたの世界を一変させるかもしれない。


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