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虚飾症
とある予想屋の所作を批判した。未来のことなど誰にも分からないし、その場その場の的中や不的中なんて時の運なのに、当たったら「当然」であり、外れたら「不調」だと言わんばかりの言動が、妙に滑稽だったからだ。
ギャンブルをやる人間にありがちな誤謬である。的中程度で何かを成し遂げた気になってしまう彼らは、不的中の波にすぐ心を病んでしまう。自分が否定されたような気分なのだろう。連敗確率を数学的に考察するような人生ではなかったのだと思う。それはそれで幸せなことだ。ギャンブルを心底楽しみ、一喜一憂し、己のストレス解消の道具として使う。悪いことではないが、まぁ、その段階に留まっている限り、プレイヤーとしての資質はさておき、予想販売者として対価は要求すべきでないと思う。
話は逸れるが、買い目だけを掲載して販売する予想屋がいる。その善悪については各々に判断を任せるとして、少し考えたいことがある。
明らかに本命寄りの出目が売れている番組。たとえば1-23-234がすべて一桁のようなレースだ。この題材を与えられたとき、1-23-234を本命としている予想屋がいる。それがダメなわけではない。彼のファクターや着眼点によると、その本命ラインにはオッズ以上の確度があり、一桁でも十分買う価値のある(リスクに見合っている)ものだという帰結なら、予想としても価値がある。躊躇っていたあなたは背中を押されるかもしれない。悪いことではない。
問題なのは、それが買い目だけだった場合、あるいは「インは逃げ率80%、アウトは連対率劣る。1-23-234」みたいな予想だった場合である。もはやそれは予想ではない。そう、それって単なる出走表なのだ。
顧客を馬鹿にしてはいけない。出走表くらい誰でも読める。出走表から当然のように導き出せるような買い目を販売するなら、それ相応の根拠づけが必要だ。そのファクターに優劣はない。展示気配でもいいし、選手特徴でもいい。水面に言及したって、胡散臭いAI予測を持ち出したって、この際構わない。しかし、それすらないまま「出走表の掲載」をされても困る。
買い目が結果的に本命ラインの順張りになったとしても、そこに纏わせる根拠があれば、それが単なる出走表ではない、その予想屋の個性になるのだ。それを怠る予想屋は、致命的にズレている。自らを自らで辱めているのだということに気づかない。その帳尻を合わせるためか、虚実的な売上を伸ばすためかは分からないが、とにかく的中を喧伝する。己の中身ではなく、何の担保もない結果だけをアピールする。
それでは何も見えてこない。そんなアカウントは、この世に腐るほど存在しているのだ。もはや低俗なbotと呼んだ方が近い。個性を亡くした人間と、個性を隠して詐欺を働く人間を、あなたは肉眼で見分けられるだろうか。
予想が上手いとか下手ではなく、回収できるとかできないではなく、己が本当に没個性的だと認めてしまうことこそが何より悲しいと、どうして思えないのだろうか。
己が優れているということを、対価を要求するのであれば「真剣に伝える」べきだと、どうして思えないのだろうか。
何も恥ずかしくはない。見栄やプライド、ナルシズムが垣間見えたって、そんなものは「才能」の前では無力化する。表面的なアピールに終始しているから、肝心の才能が見えてこないのだ。己が対価を貰うに値する存在だと示すために、いったい彼らはどんな努力をしているのだろうか。
送られてきた的中画面をリツイートしている場合ではない。炎の絵文字をマメに付け加えている場合ではない。そんな予想屋は腐るほどいる。一緒に腐ってどうするのだろう。
没個性の沼から這い上がって、この世に生を受けた意味を必死で探るような泥臭さ。それすらないとは信じたくない。
「切り替えます」「明日は頑張ります」といった、没個性の予想屋にありがちな口癖。そんな取り繕った言葉で飾らないといけないという事実が、普段の空虚な己を鮮明に照らし出してしまっているという皮肉がある。
虚飾をすればするほど、実像を示すことからは遠ざかる。己を殺してまで得たいものとは、いったい何なのだろうか。予想屋の所作という小さすぎる窓からでも、そんな形而上学的な疑問を抱いてしまう。
もう少しだけ実像の持つ力を信じて、虚飾にまみれた世界にこの身を刻んでいきたいと思った。